ずっと行きたかった田原坂へ。

鹿児島から高速バスで熊本へ。
熊本から路線バスで田原坂へ。

西郷隆盛たちは歩いて行ったんですよね。

ドラマでしか見たことのない田原坂。
急坂をイメージしていたらそうでもない。
ごく普通の坂道。






登ると雲仙がくっきり



ごくありふれた坂道であったゆえ、
官軍が大砲を運ぶ唯一の道だったそうです。
通りたい官軍と、食い止めたい薩軍。

こうして死闘が繰り広げられました。
1日あたりの銃弾は旅順攻撃を凌ぐほどだったとか。



双方のけが人を救護するために、
博愛社のちの日赤が誕生します。


熊本に戻り、食事はラーメン。
黒亭を調べたら、下通りにお店ができていました。





私が一番好きなラーメン。
スープまで飲み干しました。



熊本城も再建中。
西南の役でも耐えたお城が地震にはかないませんでした。

熊本いい街です。

あと、1週間で平成30年が終わります。
下半期、いいことも嫌なことも色々ありました。

ふとピーチの値段を見たら、鹿児島便が安い!
クリスマスの予定もなくなってしまったので、
鹿児島に来ました。

せっかくなので、かぞくいろの肥薩おれんじ鉄道に乗りました。






有村架純ちゃんラッピングも楽しみでしたが、
ずっと行きたかった水俣病資料館が肥薩おれんじ鉄道の沿線なので後押しになりました。


市街地のチッソ工場から離れたところにありました。道の駅や運動公園のずっと奥。
「なんでこんなところに」と思いました。

しかし、説明を読むと、
有機水銀の汚泥を取ったあと、
埋め立てたということでした。

今、公園になっているところが昔水俣病を生み出した海だったと思うと、怖くなりました。
水俣病は差別との戦い。

ムラで最初に水俣病にかかった女性が、
2番目だったらいじめていたかもしれないと書いてあったのが印象に残りました。

水俣市の50%以上の財政を支えた企業。

あなたが、
市民だったら
市長だったら
チッソの社員だったら
水俣病の患者だったら
患者の家族だったら

資料館の問題提起がありました。



水俣の帰りには、神村学園の前を通りました。
西郷どんに始まり、神村学園で終わる。
まさに鹿児島の年でした。



鹿児島に戻り天文館へ。




久しぶりのこむらさきでした。


チャーシューと野菜、他にはないラーメンです🍀