日日是好日 -4ページ目

日日是好日

毎日を、「いい日」にしたい。

今日は、すきな人とごはんに行きました。

こんな風に、心があったまるんだと、本当に忘れていました。
ぽかぽかする。

いろんなことをきけて、話せて、よかった。

わかったことは

やっぱり、とても愛がある人だということ。
優しいけど、芯がしっかりしてるということ。


この半年間、一瞬たりとも恋愛対象として見たことがなくて
関係性から言っても、絶対にありえない と線引きしていたのに

気がつけば。

優しいなぁとか、愛があるなぁとか
客観的に感じ続けるうちに。

不思議なものだなぁ。


仕事がなくなっても、人生はつづく。

恋愛も結婚も、人生なのです。


こういう風に、じんわりと人をすきになることもあるんだな。。

おもしろいです。


とても誠実なその人と

これからうまくいくとしても、多分かなり時間がかかる。

勢いでどうこう、みたいなことは絶対にないし。

でもなんか
その時間も、うれしいものです。


あまりに合わなくて、ぼろぼろになったこともある職場。
辞めるべきかと考えたこともある職場だけど。

こういう、愛のある人と出会えて
なんかそれだけで、全部ちゃらになるかもしれない。

うまくいっても、いかないとしても

それは、多分変わらない。

だから、うれしい。


自分の生活を、まずは楽しもう。

これは、純粋なるプラスαなんですから。

依存はしないように。

日々成長していきたいです。

その人に、おいていかれないように。
ねむたい。。

お風呂がわくのを待つ間。
寝てしまいそう。

髪を切ったらきりすぎて、子供みたいになった。
そうとう落ち込む。。

と思ったけど

そんなことないよ、と言ってくれたから、半分はもういいや。


今日は、歩いて帰ってきて

その道中、春のうごめくかんじを感じて、どきどきした。
冷たい風とぬるい風がせめぎあってる、と思った。

春には、いろんなことがあるから。

今までのいろんなことが凝縮されて、春の風に混じっている気がして
どきどきするんだろう。

自分がうまれた季節だからか
この微妙なあったかさは、とても好き。

明日からまた寒くなるらしいけど。。

三寒四温。
行きつ戻りつしながら、少しずつ春はやってくる。


一緒に帰った帰り道

緊張せずにはなせる自分に驚いた。

沈黙は、前より重いけど
なんでもない話も、楽しいんだった。

最近では、いちばん話しやすい人になっていたんだった。
と思い出した。


今日は、お客さんに「ほんとうにありがとう」とにこにこしながら言ってもらう場面があって

本気で泣きそうになりました。

じんときた。

みんなの努力の結晶。
それによって得られる「ありがとう」を独り占めするなんて、うしろめたいくらい。

喜ぶ顔が見たい。
私にとって仕事をする動機は、そういうことなんだと思った。


やさしい日々であれば。

なんでもいいのかもしれない。


明日は、どうなるかな。

わかんないけど
きいてみたいことをきいてみよう。

それだけでいいような気がする。
昨日は、ちょっと変な会に参加しました。
合コンとお見合いパーティーの真ん中のような。。

仕事も服装も全然違う人たちが集まって、話して、また別れる。

なんとも不思議。

化粧も直さず、ごはん食べにいく感覚でそこに行った私は
ほかの女性の気合いの入り方に圧倒されました。。

きれいにしてたなぁー。

経営者とか、商社の人もいて、みんな年も価値観も離れすぎていてびっくりしました。
世の中にはこんなにいろんな人がいる。。

違和感のざらざらの中で、今度ごはん食べにいこう、と言ってくれた人のことばかり考えてしまった。。

同じ会社にいるってことは、それだけで価値観の大枠が合ってるってことなんだなって。
もちろんみんな違うけど、大きなカテゴリーでみれば同じものに入ってる。

それは貴重なんだなと思いました。

だからきっと同期とも気が合うんだな。


昨日は、会社でずっと心臓の裏が痛み続け
心拍数もいつも高くなって
いつもより、疲れた気がした。笑

二人きりになるともうなんかどうしたらいいのかわからず。。
あわてふためくのみでした。。


よく考えれば

優しくて、思いやりがあって
人にも信頼されていて
明るく人と話ができて
たばこも吸わないし
自立していて
猫が大好きで

とてもよいのに、気づかなかった。

やっぱり、そういう目で見ないように意識的にしていたのかもしれない。。


なんか今朝もやたら早く起きてしまうし
私の体内時計は完全に崩壊したらしい。

ふぅー


最近、サカナクションをきいています。

かっこよし。

プロモがクオリティー高くてびっくりした。

久しぶりにフェスに行きたいなぁと、ちょっとむくむく思い始めています。
出たらいいなぁ。

きれいな朝の歩道、川沿いを、音楽をききながら歩くのにちょっとはまりそう。

音楽にとけ込んでいく気がする。一歩一歩が。

さーーー、土曜日!!
寝なくちゃいけないのに眠れない。
いつも思っているより疲れていて、夜にはすぐ眠れるのだけど。

わたしの働く場所には、たくさんいい人がいます。
そうじゃない人も、いるかもしれないけど
いい人が、わりと多いように思う。

その中でも、ほんとに近くで仕事をしていて
誰にでも分け隔てなくやさしくて思いやりがあり
我慢する力もストレス耐性もあって
ありがとう、を呼吸するようにいえる人がいて

あまりに距離が近いし、そういう目で見たこともなかったのだけど
近頃、どんどんひきよせられていて
いろいろ差し障りがでるかも、と思って 気のせいだ!と言い聞かせていました。

だけど、やっぱり気のせいではなく
心臓の裏が、ずきずきしてしまい
気のせい気のせいと、呪文のように心で唱えていました。



ごはんにいこう、と言ってくれて

ずきずきが、増しました。。

きゃー!!!! と、完全に動転して、やや気持ち悪くなる始末。。

そして、目は冴えに冴えて全然眠れなくなりました。


人の痛みが、わかる人。なのだと思う。

私は、すぐにいろんな気を吸収するたちなので
人のそういうところは、わりと気づく。ような気がする。

何気ない気遣いが、ジャケットを羽織るかんじでできる。
ふわっと。ちょっと風が起きるくらいの自然さで。


わたしは、どっかで自分とセンスの合う人を探していたような気がします。

例えば、服を一緒に買いにいけるとか。
行きたい展覧会が一緒とか。
家具や雑貨の趣味とか。

そういう意味では全然ちがうのだけど

なんだろう、なんか人として、とてもいいなぁと思います。

結婚したら幸せになれそう、みたいな。。


何も、本当に何も始まっていないし
始まるかもわからないし

だから、今は深く考えないように。

職場では、わたしはかなりかっこわるいところも見せていると思う。
失敗したりすることもあるし。
うまくできないこともある。

それはもう、見せきっている気がする。

もともとは、ずぼらでこわがり、なので
多分それも、見えてしまってる。

なので。
もうこのままで、楽しく過ごそうと思います。

素の自分を見せなければ、なんにも始まらない。
それを恐れずに。


久しぶりに、ほんとにずきずきする。。
これ、いったい何がどうなってるんだろうか。

はー、もう日付が変わる。

私はほんとに、何も変わってない。
眠れなくなるとか。。

中学生か。。
パソコンが死んでしまったので、新しいのから。
父譲りのアップル教信者なので、迷わずMacBook。

なにしろ、プライベートでウィンドウズの画面を見るのは耐えられません。。

いろんなとこが進化してて、アップルはがんばってたんだなぁと安心。

高いけど、いい。それでもいい。
やりたいようにやってくれ、という気持ち。


今日は、職場の先輩とごはんに行きました。

孤立しがちで、はじめはいろいろな問題を抱えていたので
きっと、気にかけてくれているのだと思います。

その人からは、育ちのよさを感じます。

育ちがいい、というのはお金持ちの家の子 という意味ではなく
愛されて、必要とされて育ってきた ということなのだと、思う。

そういうのは、体の芯までしみていって
意識してなくても、空気を介して伝わってくる。

さっと手を差し伸べる早さとか
人の幸せに触れたときの無意識の笑顔とか

話し方と同じように、勝手にでてしまうものだと思います。

それがどんどん伝わってくるので、育ちがいいんだろうなぁと勝手に思っています。

それって、逆にいえば
自分の何気ない行動が、ほかの人に自分の本質を伝えているということなので

一番奥のところを育てていくことを忘れちゃいけないなと思います。


最近、半接客というか

知らない人に私の知っていることを教えてあげる仕事ができました。

大人だけじゃなく、子供たちにも。

家庭教師が大好きだった私にとっては、とても楽しい仕事です。

なんていうか
プラスのことを、人と共有するのが好きなのだと思う。

すごいですねぇ とか おもしろいですねぇ とか
それを共有するのが楽しい。

いわゆるキャリアウーマンの仕事ではないかもしれないけど。

私にとっては、お金よりも感情。
商売よりも、そういったことの方がやりがいを感じます。

だから多分、厳密にいえば働くことには向いてない。

生きるために働くけど。
それ以上でもそれ以下でもないのかも、と思ったりします。


初めてこのパソコンで文字打ったけど、めっちゃいいー。
耳障りな音がしません。

これからよろしく、アップル教祖のこども。
お正月明けから始まった風邪(かインフルエンザ)。

10日以上経っても、微熱がおさまらず。

今までそんなことは一度もなく
いつもだったら治るタイミングをとっくに過ぎても、全くよくなりませんでした。

病院でも首をかしげられ、ついに血液検査。

きっと、入院が必要な病気だな。。
と、結果が出るまでの二日間、生きた心地がしませんでした。

なにしろ注射が大嫌いなので。。


何とか覚悟を決めて検査結果をききにいくと、
「異常なし」で、全ての数値が正常。

でもやっぱり熱がある。。


なんでも、ストレスのせいで微熱が続く場合があるらしい。
と母にきき、ネットで調べるとそういった体験談がたくさん見つかりました。

何ヶ月も続く場合があるとか。。

近頃は、目立ったストレス要因がないと思っていたので
私がそれに当たるのかはわかりませんが、
物理的には異常所見がないということは、その可能性もあるのかなぁとぼんやり思いました。


どっちにしても。

人の体って、不思議だなと思う。

A=BでB=CならA=C、って、まっすぐ直進できない。
A'やB'があったり、○や△が突然入り込んできたり。

物理的問題がない、からといって謎の記号は体の中にあり
それを無視するわけにはいかないというか。。

このへんは、がっちりまっすぐな公式にしたがって猛進する「社会生活」の中では
意味不明、と一蹴されて終わることがあるので
それがつらいところだなぁと思います。

でも、なくなってしまったはずの指さきや足が痛むことがあるとか
人の体には、人間の理解を超えることもいっぱいある。

それは、この命自体が、人間の知能でつくったものじゃないから
当然といえば当然なのかもしれない。


この体自体が「自然」なんだと本で読んではっとしたことがあります。
森や川と同じように、この体も自然なんだよと。

自然は、コントロールしきれません。
嵐が来ることもあるし、川が氾濫することもある。

だから多分、仲良くやっていく、以外の選択肢はないんだなと思います。

とはいえ、入院とかなったらどうしよう、と本気で悩んだ訳なんだけども。。


なんでもコントロールできるぜ!!
っていう考え方は、やっぱりあさはかだなと、今回のことで改めて思いました。

こんなに休んだら有給なくなっちゃうよ。。
とか、そんなことは全然超越したものです。体は。


とりあえず

小林賢太郎さんの舞台「SPOT」に行けることになったので!
それまでに、治ってくださいと体にお願いしてみようと思います。
熱下がらず。

この三日でなんとしても治す!と気合いを入れて、
病院(すごい混んでた)のあと、食料をいっぱい買い込みました。

そして、書店へ。

一人暮らしで家の外に出られないというのは、すなわち相当暇。
一つ間違うと、泣きたくなるほどわびしい。


なので、三冊買い込みました。

「場所はいつも旅先だった」松浦弥太郎
「イトイの通販生活。」糸井重里
「ベランダガーデニングをはじめる本」

自己啓発的な、本気感漂う本は病人には重いけど
雑誌は小一時間で読み終わってしまう。

ので、エッセイ。

松浦さんの本は、読むと勇気や元気が出ることが多い。
単身アメリカに渡って生活したこととか、車での移動本屋をやってたこと。
そして、「暮らしの手帖」編集長になったこと。

なんか普通に、すごい大人です。

糸井さんの本は、得に通販に興味があったわけではなく
糸井さんの文章が好きで、装丁がすてき(クラフトペーパーみたいなブックカバー。書店のカバー付けるのもったいない!)で、挿絵が渋かったから購入。

糸井さんと仲間たちは、やっぱりセンスがいいなぁ。
ほぼ日で売っているくまのバッグ、ohtoもよだれをたらしながら見つめること多数。
かわいいいい。

ベランダガーデニングは、今年ほんとに始めようと思っているので。。

楽しみ。
とりあえず、じょうろを買うところから。。


本屋はオアシス。
小さい頃から、今でも。これからも多分。

この本たちの力を借りて、風邪(かインフルエンザ)治すー!
熱が下がらない。。
三日じっとしてましたが、インフルエンザかもしれない風邪はなかなか治りません。

もともと母にうつされたっぽい風邪で
責任を感じて病み上がりにも関わらず、私の面倒をみに来てくれていました。

買い物や料理をしてくれてとても助かっていたところ
母の熱が39度台まで上がってしまい、かなりはらはらしました。

てっきりインフルエンザだと思っていたので、一度平熱に戻れば大丈夫だろうと
考えていたけど、実際は風邪だったのかも。。

わたしの熱は37度と少しなので、軽くスープを作ったりして
薬も効いて、自宅に帰れたのでほっとしました。

うつした上に私に面倒をかけたと母はしょんぼりしていましたが
それでも、やっぱり「家族にかわるものはない」と改めて思いました。

一銭も得にならないことを親身になってしてくれるのは、やっぱり家族だなぁと。


損得でつながっている関係も生きていくのには必要だけど
人間としてというか、ほぼもう生き物として
そうじゃない関係が、いちばん大事だなと思いました。

例えば私が仕事をやめても、なんかの病気になっちゃっても
何があっても、助けようとしてくれるんだろうなって確信が持てる存在って
とてもありがたいものです。。


今、「クリスマスキャロル」を読んでいます。
英語に触れるために、原作版。

とてもいい話。

「自分がやるべきだったのは、仕事だけじゃなかった。
人に対する寛容さや思いやりを持つことが、すべて自分の"business"だったし
仕事は、その広い海の中の一滴でしかなかった。」

と、死んでから激しく後悔する場面があって
あぁーー、とページの端を折りました。

なんか。。
仕事ってなんだろなーと考えるようになった近頃の私には、どすんときました。

人生の一部なんだよなあと。。
そして、その人生の目的って、その死んでしまった人の言っていたことなんだよなあと。。

やっぱり。
これ一ついくらで売れた、の世界には私は向かないのかも。

うーん。。


とりあえず明日、仕事行けるだろか。。

全然熱下がらない。泣
昨日、仕事納めでした。

なんか。。
年貢をおさめる感覚で「普通の」会社に入り
社風がやわらかいところを選んだつもりだったけど、それでもいろいろあったなぁ。

世の中には、信じられないくらいいろいろな人がいる。

どんな人にも合わせられるようになるには、自分の輪郭をふにゃふにゃにすることだ、と思います。

最高は、水になること。
タオの言っていることだけど。。

どんないびつな器にもすんなりとなじんでいく。
みんなが嫌がる下の方へなんのこだわりもなく流れていく。

その難しさを痛感する一年でした。

心から自分を認めることで、他者の承認の必要がなくなること。
それがいちばんの近道だけど。

わたしにはやっぱり難しく、他の人の言うことに傷ついたりしてしまうのです。


同い年の先輩に、水に近い人がいて
その人は、失敗することを恐れません。
恥をかくことも、あまり気にしません。

自分をさらけ出してるというか。。

だから、人が寄ってくるのです。
その人の前でなら、みんな自分を出せるからだと思います。

そして、その人はよく笑います。

気にするかわりに、にこにこして流してるんだろうなあと思う。

どんなに鋭い刃物でも、水は切れないのです。


昨日は、わたしの苦手な「ザ・会社の忘年会 昭和バージョン」だったのですが

若い先輩の気遣いに、なんかほとんど感動しました。

去年はこんなことやったんだよ、って明るく教えてくれる人とか
ここはこうやってやればいいよ、ってさりげなく教えてくれる人とか

飲み会の風習が全然わからない私は本当に助かりました。

なんだあの一本締めって。。未だによく意味がわかりませんが。笑


来年は。

趣味に生きる。

ちゃんと始める予定の陶芸とヨガ。
あとは、ベランダで植物を育てたい。
服もつくる。
気になる場所には行く。気になる人にも会う。

仕事は理性。生活は感性。

割り切ろうと思って始めた仕事。

確かに今でも、割り切ってやるべき仕事はたくさんありますが
そこまですっぱり行かなくてもいいものも、少しずつ出てくる かもなので
焦らずに、待ちたいと思います。

もっと自分を出して、合う人を探そう。


自分、今年はほんとによくがんばったなぁ。
本日の夜ご飯。
さけのムニエル、エリンギの焼いたの、大根とツナのサラダ。

最近は、買うより自炊が多くなりました。

少しめんどくさい。でも、断然おいしいし、栄養のバランスがいい。


平日の夜だけど、友達と長電話。

月曜日からがんばって、前向きにやっているそう。
少し下り坂気味な私は、もっと前を向きたいと思った。


人は、人の気にひっぱられる。

前向きな言葉からは前向きなリアクションが
後ろ向きな言葉からは後ろ向きなリアクションが

おもしろいほどはっきりと、くる。

いい人でも絶対どっか悪いとこがある。逆も多分そう。

その人の、どんな面を引き出すのか。
それは、実は自分次第なのだと思う。

でっかい愛があれば、その人の中の愛を目覚めさせることができる。

わたしのはちっちゃいから、できないことも多い。


仕事がどうも、おもしろいと感じられなくなってきて
だから、余暇の時間を充実させようと習い事を足で探し中。

なんか

人生を全力で生きたくてしかたがないみたいだ。


ガーデニングもやってみたいし。
料理もいろいろやりたいし。

楽しいことはたくさんあるはず。

前を向け。前だけを向け。


むんむん