月が変わって初めて観に行ってきた。

すぐに行かなかった理由は2つ。


ひとつは長い年月をかけてようやく折り合いをつけてきたものをまたぶり返すのが怖かった。

Kがいなくなってしまった今、何を観たって彼がいない現実を確認するだけだと思うから。


もうひとつは上映の映画館が辞めた勤め先の直ぐ側で、適応障害という病名のついた原因となる場所は1年半もの間、避けてきた路線と駅だったから。


別の路線でひとつ先の駅まで行った帰り道、来年からしばらくは毎月通うであろうその駅に、いつまでも避けているわけにはいかないという、区切りをつける意味もあり今日行ってきた。


映画は他の人達が絶賛しているようには感じられなかった。やっぱり私にとっては特別なものではなかった。


彼がいないブレアでの映像は

私にとっては観る意味もなく、当時のあの日あの場所に行かなかったのは正解だったとさえ思った。

Kがいないptpはもう意味がないのだから。

他の誰かが歌う曲なんて聴かなくていいし、聴きたいとは思わない。

Kの曲は彼自身が歌わなければ意味がない。


メンバーの3人の中、とりわけ石川さんが話す内容に関しては違和感を覚えた。どんなに大切に思っていたか語れば語るほど、それは大きくなっていった。

たぶん、私が親友という言葉を使う人に対して持つ不信感があるからだ。

もちろん私などにはわからない近くにいた人にしか保ち得ない絆があるのだろうとは思う。

だけど、それは果たしてKが望んでいた形だったのだろうか。彼を開放してあげることで少しでも心を救えなかったのだろうかと思ってしまう。


短い言葉の中で一番印象に残ったのは脱退した元メンバーのJINくんの言葉だった。

バンドがメジャーに出ようとしていた時、5人の中で唯一反対したと。それはKとの長い付き合いの中でメジャーの枠の厳しい活動に彼の繊細な精神が耐えられるのか心配だったからという理由だった。

お前はどうしたい?とKに聞いたら

俺はやりたい と言ったと。

メジャーに出ることを反対したのが脱退の理由。

噂されていた不仲とかでは決してなかったことを知った。

K自らが望んで選択したことだったけど

全てが幕を下ろした今となっては、JINくんのその杞憂は的確だったし、彼こそが本当にKを深く理解しようとしていたように思い、私はいいようのない人柄の温かみを感じた。


後からPABLOが語ったJINくんの人となりも、それを立証するような内容だったから、余計にそう感じた。バンドのムードメーカーで結果を残すより楽しむことを優先する、そういう方向にもって行こうとしてくれていた、と。

その時は結果を残すことしか考えられなくて気付けなかったことも、後になって今ならわかるのだろう。掛け替えのない大きなものを失ってしまったのだから。


そこが岐路だったのかも知れない。

自らの心の問題でその自由な振る舞いで周りの人を振り回していたかのようなKは、それでも彼の才能を欲する人達からは許されて愛されていたし、K自身もそれに応えようとしていたのだと思った。

その葛藤でどんなに苦しんだのか。

それが彼の痛みだったんだと思った。


ZAXが言っていた。

あいつはただ歌いたかった、もっと歌いたかっただけなんや。抗精神薬の服用で感情の動きが鈍くなり体力も落ちる。そんな状態で詩を書いたり歌わなければいけないのがどんなことなのか。

私自身も薬の服用でそれがもたらすものを身を以て知っている。感情の動きが乏しくなり、体力も落ちる。自分が自分ではない感覚。人前で表現をするアーティストという身で、その場に立たされて崩れていった彼がただただ可哀想で仕方がなかった。


もっと自由に彼の思うように歌わせてあげたかった。例えそれがptpというバンドの形ではなかったとしても。あの声で。あの感性で。

ただ、それは日本のかごの中ではなく

彼が好きだったL.Aの太陽の下で。


他の誰にも真似できない

彼が持っていたものを周りは皆欲したけれど

Kは誰にも捕らえられず

その手をすり抜けて一人で逝ってしまった。


私にとってはそんな哀しさを思い知らされる映画だった。二度も三度も観られない。


今はKが痛みから開放されて

元気だった頃の姿で好きな歌を自由に歌っているといいなと思う。

それはあなたの声であなたにしか歌えない歌。

二度と巡り合うことの出来ない

たった一人のsinger