ネイルカラーを買った。(女子力+10)

安い物だけど。
これで女子力を鍛えられるかな。


今まで使ってたマニキュアは全て固まっていたので、引越しの際に捨てた。(女子力-50)


今日はワンピースとカーディガンを手頃な値段で買えたし(女子力+15)、春に向けて爪や髪も可愛くする作戦。(女子力+20)


友達が最近みんなネイルに凝り始めたのが動機であるが。
自爪でよくあんなに可愛くやるものだ。


と思ったらフレンチネイル用の白いの買ってくるのを忘れてる。(女子力-5)



今日はベースだけ塗ろう。
ドライヤー使ったら速く乾くかな。
よくわからない…(女子力-5)




がんばって猛者になる。


昨日の朝は、せっかく母が起こしてくれたのを無視して
四度寝を決め込もうと寝っ転がったところで





ベッドのへりに頭をしこたまぶつけ、のたうちまわって目が覚めた。





あれほど「天罰」という言葉が頭を占めたことは無い。



ベッドで不用意に寝てはいけないのは分かってたんだけど・・・
私含め家族も何度も頭をぶつけたりぶつけそうになってるし
布団→ベッドへの習慣の差は大きいかもなあ。




しかし痛かった・・・鼻血出るかと思った。


というか1日経ってもまだ痛い。








たんこぶとか何年ぶりに作ったろう。









深夜三時くらいの気分でいたらまだ10時台


お得な気分を抱いて寝る




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昨日、パートのHさんに「Nさん(パートさん)が、aboさんの声可愛いわねって言ってたわよ」と言われた。

「あ、Hさんが思ってるわけじゃないんだ…」と思いつつ、
「ありがとうございます。でもなんだか恥ずかしいですね」と返すが、尚もHさんの言葉は続く。


「声優さんみたいね」「アニメの主人公とかやってそう」「すぐわかるわよね~」


なんだかいたたまれなくって顔が赤くなってしまった。

Hさんの表情はあくまで好意的だったけど、
これって褒め言葉…か??

普通にしてるのに声優みたいな声って、作ってるって思われているってことかなあ。
それはかなり嫌だ…



元バイト仲間のKさんにそれを話したら、
「確かに現実味のない声だよね」と言われた。
それは褒めてないな!
「褒めてないもん」

やっぱりね。

「でもaboさんみたいな声って他に知らないから、唯一だよ。
役者とかだと良いよね」

って役者じゃないしフォローになってません!
そんときはみんなで笑って楽しかったけど



自分の声に歳の割に落ち着きがないのは分かってるにしろ、
結構近い人たちにこうも言われると気になる。

声のことを言われたのはこれが初めてじゃないからなあ。
ここまではっきりと色々言われたのは初めてだけど。
自分だと声で得したことより、
損したことの方が多い気がするからどうにかしたい。



落ち着きのある話し方になりたい。
話し方の教室でも通おうか



鼻血で起きた。





ちょっと枕を汚してしまった。
まだカーテンを買ってないから、直射日光でのぼせたな・・・



その後もちょいちょい鼻血はぶり返した。
一回出るとクセになるのだ・・・間抜け・・・



明日は日が顔に当たる前に起きられるように気をつけよう。

9月におじいちゃんは亡くなった。



最期はいよいよ誰が誰かもあいまいになって
ろれつも回らなくなって、

約半年の間病院に通った私たちはやっと覚悟ができた。


段階的に回復が難しいのが目に見えてたから、
なんとなく、だんだん覚悟ができた。



おじいちゃんは自分の矜持を捨ててまで頑張って、
すぐには逝かないようにしててくれてたのかなって思ってる。


訃報を聞いた時はやっぱり嫌だったけど、
入院してすぐ「覚悟してください」って言われた時よりは平気だった。
泣かなかった。



病院に行ったらすでにおじさんがいて、
白い布をかぶせられたおじいちゃんが隣に寝てた。
母が「お父さん・・・」と涙ぐんでおじいちゃんの顔の布をどかす。


おじいちゃんは眉毛を黒々と書かれて、赤いほっぺたにちょっと唇もぴんくだった。


おじいちゃんはもともと眉毛が薄くて、よく眉毛をわざと描いては笑わせてくれた。
頭も薄かったからそのせいかと思ってたけど、
母曰く髪があった時からまゆげだけは薄かったらしい。
眉毛を描くのは母が子どもの頃からの鉄板ネタだそうだ。

私たちはおじいちゃんの顔を見て泣きながら笑った。

たぶん看護士さんのご厚意のお化粧だったんだろうけど、
偶然にしては出来過ぎてる。




葬儀はごく近い親戚だけでやることにしたので、
葬儀屋さんに頼んで面白い化粧は残してもらった。
みんな何回も何回も泣いたけど、
「最期まで笑わせてくれるよ」って何回も笑ってた。



しばらくはおばあちゃんの家におじいちゃんを思い出してちょっと辛かった。

食卓も、おじいちゃんの席におじいちゃんはいない。

年末にはおばあちゃんの家を模様替えして、
おじいちゃんの指定席はなくなった。



そのうちに家は完成して、
引っ越しの日取りも決まり、最近ばたばたと段取り悪く引っ越した。
ご近所に引っ越しのあいさつもまだすませてない。

今は毎朝ご飯をもって隣のおばあちゃんの家に行き、朝ごはんを食べる。
たまに夕ごはんも一緒に食べる。



ちんたら食べてても、おかずをおじいちゃんに取られることはもう無いので安心だ。



うそ。
おかずなんていくらでもあげる。


初めてもらえた私の部屋を見てほしかった

おやつ貰いに行って「おまえにゃやらねー」っていじわるしてほしかった

隣で一緒に暮らしたかった

私の為にまたお魚買ってきてほしかった

お花とか仏像とかもっと色々なこと教えてほしかった

お正月にまた日本橋で七福神めぐりしたかった



気持ちの整理はついたけど、やっぱり寂しい。
新しい家には引っ越したけど、隣の家にやっぱおじいちゃんいないしな。


しかし引っ越したからには、おじいちゃんのぶんまで
おばあちゃんといっぱい話すぞ!お手伝いもする。




ばっかでー、おじーちゃん。
うちらが行く前に死んじゃうなんて、こんな甲斐甲斐しい孫の可愛さを享受できないなんて、後悔するぜ。


今までありがとう。
先日、友人から「嫌いなやつにこんなことしてやったwww」といったような内容の話を聞かされた。

共通の友人同士の席だったが、私たちは件の友人の知人と接点があるわけではないし、何故そんな話を聞かされたのかわからない。
分別のある人だと思っていた友人の下衆な一面を見て混乱した。
嫌いだというのも、特に理由は無いようだった。
そんな間柄の人にどうしていたずらに悪意を向けられるのか、一層不可解である。

その場は混乱も手伝い、こちらも「はあ?」等終始突き放す反応を返してしまったが、
友人ならば一言「それはおかしいよ」と言ってあげるべきだった。



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誰にも教えない

先日、家具を見に行った。
ショールームも観に行った。

家を建てるのだ。
父母私弟4人の家を、母方の祖父母の家の隣に建てる。
契約も交わした。
祖父母の家でみんなで図面を囲み、間取りも決めた。
早ければ来月には着工できるそうだ。

狭いながらも6畳の自室を私にも弟にも作ってくれるそうで、
この歳にして初めて自室が持てる。
長年の夢だった、「友人を自宅に呼ぶ」ことができる。
今まで電車で1時間はかかった祖父母のそばにもいてやれるし、
何をしようか、何をしてもいいだろう、
やりたいことは山のようにある。

家ができたらああしよう、こうしてやろうと、ドーナツを齧りながら糖尿病の祖父は私に話した。
江戸訛りで誰にでも軽口を叩くので、建築士の人は少し困っていた。


その3日後祖父が入院した。
足を引きずるように歩いていたのを見て、母が「何かおかしい」と思い、
脅かすかのように病院に行くよう提言した。
その物言いに、接骨だと思いこんでた祖父も病院に行くことを決めたらしい。

即日で入院し、1日目はよたよたとでも歩けていたのに、
2日目にはそれも困難になった。
日を追うごとに悪くなり、1週間たって私が見舞いに行った時には、
目も片目しか開かず、口もろくに回らない状態になっていた。
飲食物も水しか口にできないようだ。
右腕には手甲のように内出血が黒く浮き出て、
それでも頭はしっかりしているから、
手をこちらに振って「腐乱死体~~~」などとおちゃらけていた。
相変わらず頭の回転は速く、回らない口で人のことをからかうのだ。


癌だった。
骨に癌が転移し、その為に下半身や背中が痛く、足を動かせなくなっていたのだった。
私と笑っていたその日も、祖父は痛みを我慢していた。
医者には覚悟をしてください、と言われた。


病室を出て、エレベーターで母と泣いた。
弟も泣いたらしい。
つい先日まで、あんなに動き回っていたのに、
あんなに食い意地が張っていたのに、
それがたった数日でできなくなるなんて。
誰も覚悟なんてできるわけがなかった。

やるせなかった。
つい先日描いたばかりの青写真が全てかなわないなんて。
悲しくて辛くて、でも母は私より辛いだろうから誰にも言えなくて、
何も手につかなくなった。


それが先日、

病室に行ったらけろっとしていて、
起き上がってご飯を食べていた。
心電図計も血圧をあげる薬もない。
見舞にいくにつれ、今度はどんどん元気になった。
薬を弱めてもらい、食事を自身でしたのが回復のきっかけのようだ。
点滴もなくなり、今では病院食では足りないからと、家から料理を祖母が届ける始末。
手甲のようだった内出血も跡形もなく完治した。
相変わらずよく回る頭のようで、良く回る口で祖母や私に文句を言ってくる。

私も母も弟も父も祖母も叔父も、笑った。



ただ長くは持たないらしい。
持って2か月だとか。
足の感覚も無くなってしまったようだ。
やはり祖父との共同生活の夢は潰えてしまったことに変わりはない。

それでも少し救われた。
まだ残された時間があるというだけで、気持ちの整理もつくし、
したいことをしてあげられる。


いつかはこうなる日が来るのはわかっていたけれど、
それでも嫌だ。悲しい。今でもすごく悲しい。
会えば楽しくて、もう泣くことなんて忘れてしまうけど、
残された時間があと少しなんて信じたくない。


今日から新学期。
合間を縫って、会って、話して、
他のことも精一杯頑張る。


震度3なんて絶対うそだー!


地震車くらい揺れた気がする。
前回と違って、家族4人揃っていたので軽いパニックであった。
家族と一緒の方が地震の時怖いのはなぜだろう。


母は騒ぎ、父は懐中電灯を持ち、弟は非常持ち出し袋を持って外へ向かっていた。
私は風呂で目を覚ました。



揺れてる中、風呂場で何よりも真っ先に考えたことは、



「くつ下から履くか、ぱんつから穿くか。」