
いよいよ、今日は「クジャクのダンス、誰が見た?」の最終回ですね。
どんな内容か知らないままに題名が気になったので、何気なく見始めたこのドラマ。
いつの間にか、今クールで一番展開が楽しみなドラマになっています。
Adoの力強い歌声の主題歌も、ドラマの雰囲気にマッチしていて震えます
以下、ここまでのネタバレを含むので、まだ見てない人は要注意です!
これまで
こむぎちゃん(広瀬すず)は、山下春生(リリーフランキー)の娘と思っていたけれど違った。
東賀山事件で一家全員首吊りで殺されたけれど、当時赤ちゃんだった1人だけは生き残った。その子供はこむぎちゃんっぽい。
今の疑問は、
・こむぎちゃんは、なぜ山下春生の子供として育てることになったのか
・山下春生は、なぜ放火されて殺されたのか、放火・殺害したのは誰か
(東賀山事件で逮捕された父の息子が防犯カメラに写っていたから、と逮捕されたけれど、冤罪だと思われる。前回の放送では、赤沢刑事の奥さんが真犯人っぽい)
・こむぎちゃんは、産婦人科医の手によって出生証明を偽造した。それを指示したのは誰が、何のために誰に放火・殺害されたのか
(前回の放送前までは、赤沢刑事が放火したっぽいとおもっていたけど、前回の放送では阿南検事のお父さんっぽいけど、本当は誰?)
・カラビナの男=阿南検事のお父さん=鳴川徹は、何を隠したいのか間違って遠藤力郎を逮捕してしまったことを隠すために、いったい何をしてきたのか
最大の謎は、東賀山事件のこと。
金持ち一家が赤ちゃん1人を除いて、全員首吊り状態で見つかった事件。
犯人は、遠藤力郎とされているけれど、こむぎちゃんのお父さん=リリーフランキー=山下春雄刑事は、冤罪なのではないか?と再捜査をしていたところ、自分まで放火殺害された。
遠藤力郎は、盗みに入ろうと庭で様子をうかがっていた時に、一家の奥さんではない人が、一家の夫と一緒に家に入るのをみていた。
その女性は、赤沢刑事の奥さん?廣島育美?
人の道に反した子供を宿したことで、一家ともめたことが考えられる。
だけど、複数の人を1人で殺すのは無理っぽい。
どうやって殺したのか、共犯者がいるとしたら?
廣島育美はなぜ1億円を赤沢刑事の奥さんに仕送りしていたのか?

・・・はっ
女性でも簡単に殺せる方法としては、ミネラルウォーターに毒を入れて毒殺したとか
こむぎちゃんは、廣島育美の娘で、赤沢刑事の奥さんに「無事に見守っててね」と託したから1億円も振込していたのでは
・・・となると、赤沢刑事が、廣島育美と赤沢刑事の奥さんが一緒にうつっているパンフレットをみてびっくりしていたのは何だったんだ
赤沢刑事の奥さんは、「夫にはある会社に投資していることは夫には内緒にしている」と言っていました。その投資先と言っているのは、廣島育美のミネラルウォーターの会社とわかっています。
・・・ということは、廣島育美と赤沢刑事の奥さんがつながっていることも知らなかったはず。
それが、つながったことを知り、奥さんを問い詰めたと思われるとき、
前話の最後に、赤沢刑事が、奥さんから刺されて殺される事件が発生しました。
・・・ということは、赤沢刑事はすべてを知っている風でしたが、本当の真相を知っているのは赤沢刑事の奥さんであり、首謀者っぽい

TBSの番組HPから拝借しました相関図。
赤沢夫妻と息子の関係には「親子」と書かれておらず、「息子」となっています。
おそらく血のつながりがないであろう、小麦ちゃんと山下春生でさえ「親子」と記載されているのに・・・・
赤沢夫妻の息子は、赤沢夫妻ではなく、「誰かの」息子なのか
鍵になるのは、テーマソング「エルフ」と「クジャクのダンス、誰がみた?」というテーマ
エルフ=ゲルマン神話に起源を持つ、北ヨーロッパの民間伝承に登場する種族である。日本語では妖精あるいは小妖精と訳されることも多い。 ~ウィキペディアより~
「ヒンディー語で「ジャングルの中でおどるクジャクのダンス、誰が見た?」ということわざがあり、「目撃者がいなくても価値があると言えるのか」という意味を持つ。」~ウィキペディアより~
エルフの歌詞は、
「この世に生まれたからには、その人生を精一杯生きてほしい」という親から子への熱いメッセージのように思えるし、
「たとえ、哀しみや辛いことに巻き込まれようとも、真実を知っているなら、声を上げ続けなさい。絶対に明るい道がある」というメッセージにも思えます。
今、はっきりしているのは、
やっぱり、遠藤力郎と遠藤友哉はそれぞれ冤罪だったっぽいってこと。
最近、検察の不正とか、冤罪とかいう筋書きのドラマ、多いですね。
現実にも袴田事件とか、検察が証拠となるデータを改ざんしていた事件とかありましたからね
国家権力とか、大きすぎる敵を目の前にしたとしても、
クジャクが羽根を広げたか、広げてないか、
真実は、自分の心のなかだけにある。
そして、その真実は、忘れてしまいそうになるけれど、絶対に残っている。
たとえかすかだとしても残っているから、
疲れたときは休んだり、時には目を背けたりしながら、
明るいほうへ動きたいと思ったら、走りなさい
希望はどんな時にでも、誰にでもあります
ってことなのかな。
だから、こむぎちゃんが主人公というよりは、遠藤友哉の境遇にスポットを当てているのか
我ながら、まとまりのない文章になってしまいましたが、
今日の、最終回、すっごく楽しみです
