先日、夫の実家に行き、夕食をごちそうになりました。

 

その時、お義父さんが、心臓の具合がよくないようで、

少し元気がなくて。

「もう、先は長くないかもしれないなあ・・・」と話していて。

 

 

お義父さんはかなり高齢の77歳。

今までも、何度も大病を患ってらっしゃいますが、

少し前までかなりお元気でした。

だから、きっと今回も克服されてよくなるんだろうなとおもっています。

 

 

そんな話を聞いた後、

お義父さんはあと少しの人生かもしれないけれど、

私は今まで生きてきた日数よりもたくさんの時間を生きていくことが、

今から、妊娠をして、子供を産んで、いちから育てていくことが、

とんでもなく果てしなく、遠いものに思えたのです。

 

照れもう、満足できてる。」と、思いました。

 

 

子供のころは、

「いつか、大人になったら・・・・」

「大人になっときのために・・・・」と勉強したり、少ないお小遣いをためたり、いろんな我慢をしていました。

 

独身のころは、

仕事は順調にこなしていましたが、

心の中ではいつも、

「いつか、結婚したら・・・・」

「いつか、赤ちゃんができたら・・・・」

「結婚も、妊娠もしてないなんて、人生はじまってもない。まだまだできていないことがいっぱいある、このまま仕事だけなんてしていられない。自分の人生を作るのは自分だ・・・・」

 

と、いつも、見えない未来を夢見ていて、

満たされない心で生きていたように思います。

 

だけど、約1年前、結婚してみて、

仕事をやめ専業主婦になり、、

1日を自分の好きなように使い、

子作りをしてみてもできないことがわかり、

できないから、と不妊治療にすすみ、

怖いと思っていた採卵も経験でき、

受精すらしていないんじゃないかとおもっていたけれど、

受精して胚盤胞ができ、

超有名な不妊治療の最後の砦のクリニックの院長にも見てもらえて、

子供という結果は出ていないけれど、

数年前に「やり残している」と思っていたことが、

いつの間にかたくさんできていて、

夫は優しくて穏やかで不満はないし、

料理もおいしく作れるようになったし、

たまの休みには、旅行したり、おいしいものを食べたり。

本当に平和で幸せだなあ、としみじみ思えました。

 

もし、今、自分の人生が終わったとしても、それはそれで、いい。

そう、思いました。

 

寝る前に夫に

照れ「もう、人生に満足できた気がする。」という話をしたら、

 

真顔ほらー、子供がいなかったら、そうなるよ。子供がいれば、子供の成長が楽しみだし、小学生とか中学生とかどんどん大きくなっていくのが楽しみになるよ。そのうち、孫と会えるのをたのしみにしたりさあ。それに、親より先に死んだらいけないって、俺はおやじに言われた。両親に孫を見せてあげようよっっ、ねっっ、そうでしょ!?

 

と。

 

 

なんだかんだいっても、

昨日の続きで、今日も私は生きています。

 

目の前にあるのは、採卵の次の移植。

 

移植から逃げているのか、

お母さんになるのが怖いのか、

よくわからないんですが、

そういう気持ちになりました。

 

そして、夫の言う、

「子供がいたら、未来にまだまだたくさんの希望が持てる」

ということに、

新たな可能性を感じました。

 

今、自分のための人生は終わろうとしていて、、

子育ての人生への転換点?!なのかもしれません。

 

年末年始に10日間の休みがあるクリニックなので、

しばらく移植はお預けになりそうですが、

まだ見ぬ「子供のいる未来」を夢見て、

来年も不妊治療、がんばろうかなあ、と思えてきました。