日常茶飯事

日常茶飯事

猫と和菓子好きです。落語や講談も好きです。

このブログは日々の日記

日常茶飯事のことが多めです。

どうぞ宜しくお願いいたします。

和の文化にひかれ続けています。けれどユルく自由でもいたい。

#落語 #茶道 #裏千家 #和の文化 #講談
#和菓子、#スイーツ#映画

映画🎬国宝


3時間に短縮しているのが秀逸
虚しい生を感じた



1ヶ月前に、評判の高い映画🎬国宝を観に行きました。

を主人公の吉沢氏は一万円札でお馴染みの渋沢栄一を演じ、相手役の横浜氏は現在『べらぼう』で蔦屋重三郎役を演じている

大河ドラマの主役二人に脇役が渡辺謙氏や田中民氏である。当然、インパクトの強い面々での、血が欲しい!才能が欲しい!のバトルのようなことが起きて、歌舞伎役者の血縁のない主人公が、育ての親であり、師匠の代演で『鷺娘』に抜擢されてから、

悔しさに負けて、師匠の実の息子である

方は、家を出て行く。主人公と付き合っていた女性と共に…。

血縁に関したことで、主人公はドライであり、京都の芸妓さんとの間に娘がいるのを

隠している。

ふと、思ったのだが、この主人公は売れたいから家庭を持たずに隠し子を持ったのか、有名になればなる程、結婚という形を取らないことは、かえって不人気の原因になると思うのだが、

色々と解せない感覚が残った。相手役と逃げてしまった女性には結婚しようといっていたのだから、本当に解せない。


しかし、この映画🎬は、舞台の描写が本当に美しい。


多少の矛盾も消し去る程、

美しい。


男性に美しくメイクされて、しなしなと踊られて美しいと感じてしまうなら、


自分はもっと美に対して頑張らねばならない気持ちにもなりましたが、相変わらずであります。


私が落語や講談をバカみたいに通い出してから、6年以上ということのようだ。

和菓子とお茶が好きではあったものの、当時の私は、新宿末広亭へ少し行ったことのある以外落語にも講談にも不慣れだった。



ある日、福島家の和菓子付きの落語会を知り、落語を聴けて、和菓子も味わえることに魅力を感じて、時々行くようになった。

誰かを追いかけるというより、色々な落語を味わう目的で、巣鴨にあった獅子座や巣鴨スタジオフォー、連雀亭、新宿道楽亭、新宿末広亭、上野鈴本、上野広小路へ足を運んでいた。

赤城神社へ通い出してから、落語家さんや講談師さんにも個性や芸風があることが分かり、追いかけることも学んだ。追いかけたからこそ、たくさんの落語のおもしろさが分かった。

落語をただ娯楽として誰でもいいから聴いていたままだったら、絶対に知ることのできない感激、聴いている幸せ、他の噺も聴いてみたいと感じる感覚は理解出来なかったと思う。

ライブである落語や講談は、客席と舞台つまり高座が近いので、お客が笑わないと、今日のお客は反応が薄いとか、途中で帰ったりするお客がいれば、帰ったお客がいた!などと、演者さんが反応し、その場で、高座でネタにしたりする。私は以前は映画が好きで、映画を鑑賞することは日常的ではあったが、映画鑑賞中に笑おうと、笑わないと、スクリーンの俳優さんは、気にすることはない。

だから、最初、落語家さんが反応してくることに慣れていなかった。
落語家さんのまくらに笑い転げることもあれば、違和感を感じることもあったけれど、

それでも、落語に入ると噺の描写が本当にうまくて、感動して、たくさん拝見させていただいた落語家さんもいる。

1人の演者から、ただ高座を聴いてるだけで感動からジレンマから味わえたのは、幸運だったと今の私は思っている。

どうでも良いことが圧倒的多数を占める人生、あらゆる感情を高座での芸で味わう体験は貴重だった。

猫の落語、露出狂の落語、野球選手の落語、または、宮本武蔵や赤穂の侍、織田信長などのエピソードの歴史を、手拭いと扇子だけで、噺の一つ一つを1人で再現し、人を楽しませられる落語や講談の素晴らしさに出会えて良かったと思っている。