なぜモハメド・アリはモハメド・アリだったのか
1.はじめに
モハメドアリはボクサーとして有名で、彼の言った言葉は名言として、多くの人が励まされている。そんな彼の名前、モハメド・アリは生まれ持った名前ではないのだ。そこでなぜ彼はこの名前にしたのか、そしてモなぜハメド・アリ
と言う人生を送ったのか、人を励ます彼の言葉はどこから生まれたものなのか、調べた。
2.経歴
モハメドアリ(Muhammad Ali)。1942年1月17日、彼は、カシアス・マーセラス・クレイとして生まれた。アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル出身のイングランドとアイルランドの血をも引くアフリカ系アメリカ人。アメリカ合衆国のプロボクサーで、WBA・WBC統一世界ヘビー級のチャンピオンである。
ある日父親からの誕生日プレゼントの自転車が盗まれ、警察に行った際、警官に犯人に鉄拳制裁を加えるという意味でボクシングを勧められ、ジムに入った。
1960年10月29日にプロデビュー。タニー・ハンセイ
カーと対戦し、6R判定勝ちを収めて、プロデビュー戦を勝利。また、当時、アフリカ系アメリカ人(黒人)が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った公民権運動が盛り上がりを見せており、ネーション・オブ・イスラムの信徒であると公表し、リングネームを現在の本名である、ムスリム名モハメド・アリ(ムハンマド・アリー)に改めた。この名前は、預言者ムハンマドと指導者(イマーム)アリーに由来する。なお、1975年にはイスラム教スンナ派に改宗した。
多くの強く有名な選手やチャンピオンに勝利したアリは、1964年2月25日、WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑戦。当時史上最強のハードパンチャーと評価されたリストンに対しアリは絶対不利と言われたが、アリは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と公言する。試合に勝利した後アリは正式に本名をカシアス・クレイからモハメド・アリへと改名した。
1966年3月、アメリカ軍はベトナムとの戦いを本格化させていた、アリの「俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもない」「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない」「アラーの教えに背く刷毛にはいかない」という発言により、彼は瞬く間にアメリカ国民、政府、ボクシング界からの嘲笑、批判の的となった。そして1967年、徴兵を拒否した罪で有罪判決を受けた後、州のボクシング・ライセンスを剥奪された。(最終的には無罪を勝ち取るのだが。)以降彼は人道的活動に力を入れた。「金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く。そんなシステムを政府が作っている」など、直球で過激な発言が多く、ネーション・オブ・イスラム(アメリカ黒人のイスラム運動組織)からも距離を置かれることとなる。{人種を超えたのかより}
1984年現役時代に受けてきたパンチにより、パーキンソン病にかかった。しかし活動は続く。1996年にはアトランタオリンピックの開会式で聖火を点火、2005年ホワイトハウスにて大統領自由勲章授与、2009年アイルランド、クレア州エニスの名誉市民に選出され、2012年にはロンドンオリンピックの開幕式に参加した。しかし2016年6月3日敗血症ショックにより74歳で死去した。追悼式天では、宗教による偏見、差別を嫌っていたアリの意を汲んで、特定の宗教に沿った方式はとらず、イスラム教、キリスト教、仏教など様々な宗教の聖職者が、壇上で祈りを捧げたという。
3.考察
なぜ彼が改名したのか、どうしてモハメド・アリと言う人生を送ったのか。それはイスラム教信者だからだ。そしてカシアス・マーセラス・クレイトいう黒人奴隷時代につけられた名前が使われているため、社会的平等を求め改名した。
そして彼はモハメド・アリと言う人生を送り、多くの人の心を動かす言葉を紡いだ。モハメド・アリの人生を大きく二つに分けると、ボクサーと人道支援者だ。
まずはボクサーとしての方から考える。なぜあんなにも強い選手になったのか。その理由の一つもまた、イスラム教信者だからである。イスラム教の言葉で、ジハードという言葉がある。意味は、何事にも精を尽くそうとするさま。苦しい仕事や部活でも必死にがんばる。辛いことから逃げず、とにかく努力をするという意味を持っている。それに加え、イスラム教はキリスト教と違って、罪と滅びから私たちを救うために来られた「救い主」は、説かない。最後は自分でするしかないのだ。そのため彼は熱く、自信に満ち溢れている。彼はこんなことを言った。「俺はトレーニングが大嫌いだった。でも、自分にこう言い聞かせたんだ。『絶対にあきらめるな。今は耐えろ。そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ』」このように発言したのは、上記の考えが根底にあってのものだと判断する。
次に、人道支援者としての行動について考える。まず考えていきたいのはどうしてあんなにも強く徴兵に反対できたのか。それは彼の言葉から答えが見つかる。「私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。」彼は法律なんて怖くなかったのだ。しかし神のルールには恐れていた。殺人に加担することはそのルールに背くことであり、たとえ国からどう罰せられようとも守らなければいけないものであったのだ。加えて彼はベトナム戦争に投入された250億ドルを、賠償金としてアメリカ南部の黒人たちの家を建てるために使うべきだと提案した。{人種を超えたのかより}「他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。」とも言っている。これらの根元もまたイスラム的な考えである。イスラム教は信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじるという特徴があるのだが、そこからではないかと考えられる。他にも、イスラム教徒に対する偏見が起きると、声を上げてきた。2001年の米同時多発テロの後、アメリカ合衆国内で反イスラムが広がったが、「イスラム教は平和を意味する。イスラム教徒が原因だとレッテルを貼ることを見過ごせない」と批判した。
以上のように彼の行動、発言にはほとんどイスラム教が関係する。モハメド・アリ、彼の人生はイスラム教と言う大きな軸の元作られていったと考えて良いだろう。
4.個人的理解
授業を受けて、歴史を知り現在を知ったが、どんな考え方をしているのかはわかっていなかった。しかしモハメド・アリと言う一人の人物を調べ、イスラム教徒の人はこう言う思想も持ち合わすのだなとわかった。例えば、追悼式で様々な宗教者が祈ることができたことだ。神は一人であると根本的な考えがあるため、イスラム教に乗っ取った方法で行われると思ったが、助け合い、尊重し合う考え方もあるため上記のようなことを意としたのだ。
宗教理解というのはなかなか難しいものだが、イスラム教の優しく、激しい部分が見えて、とても興味深かった。
5.参考資料
・HUFFPOST『モハメド・アリは「人種を超えた」のか。いや、彼の人生はそんなもんじゃない』2018年12月23日閲覧
・Newsweek『モハメド・アリの葬儀に出る大物イスラム政治指導者とは』2018年12月23日閲覧 (https://www.newsweekjapan.jp/amp/stories/world/2016/06/post-5267.php?page=1>
・Wikipedia 『モハメド・アリ』2018年12月31日閲覧