バツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルー

 

前回“おなら”というお題を出した私のだんなさん(おっぱぬん)のこと

いろいろ言ったからか、

今回は“アイデンティティー”というかなりレベルのあがったお題を出された。

 

 

そもそも“アイデンティティー”とはなんなのか。

 

アイデンティティーを日本語にすると

自己同一性。

 

つまり「自分は一体何者なのか。」に対する答えのこと。

 

もっと砕いていうと、「これぞ私だ!」と言える自覚のこと。

 

私は日本人である。

これも一つの立派なアイデンティティーだと思う。

 

アメリカで言う身分証明書とは直訳するとアイデンティティーカードというらしい。

 

これは実に対照的に決まるもので、例えば韓国人がいるから私は日本人だ、と区別することができるのだと個人的にそう思う。

 

もし、世界に日本人しかいなかったら、きっと私は自分のことをただの“地球人”とでしか認識できないかもしれない。

 

そして、アイデンティティーにおいてとても重要なことは、“自分で自覚すること”。

 

どんなに明るく元気な人でも、自分でそれを自覚できなければ、

アイデンティティーと言うことができないのだ。

 

性別や、国籍など相対的な事柄によって簡単に自覚できるアイデンティティーもあれば、

自分の意志や、感覚によって決まるアイデンティティーもある。

 

 

 

…なるほど、アイデンティティーとはそういうことなのか。

 

私は何者なのか…。

 

アイデンティティーというと、頭に浮かんでくる歌がある。

 

それは、『アンパンマンマーチ』だ。

 

個人的にアンパンマンが世界で最もアイデンティティーを

確立している一人なのではないかと思う。

 

 

『アンパンマンマーチ』の中で

 

何のために生まれて 何をして生きるのか

 

何が君の幸せ 何をして喜ぶ

 

という、心に刺さる歌詞がある。

 
きっとアンパンマンはこの質問に答えられるのだろう。
 
 
私ならなんて答えようか....。
 
まず“何のために生まれて”について、
中学生の時、始めてアイデンティティーという言葉を知り、
私のアイデンティティーについて聞かれたことがあった。
 
それで、自分のアイデンティティーについて考える機会があったのだが、
その中で印象的だったのは、私は自分で生まれてきたくて生まれた存在ではないということ。
 

性別も、国籍も、両親も、時代も、何一つ選択できないまま生まれた存在だということ。

 

この点についてはアンパンマンも同じだと思う。

 

アンパンマンだってアンパンマンとして生まれてきたくて

アンパンマンになったわけではない。

 

ジャムおじさんがアンパンマンをアンパンマンとして作ったのだ。

 

もっと言ったら、アンパンマンの作者である「やなせたかし」さんが、

戦争を経験しながら空腹の辛さを知り、

「本当のヒーローであるならまずは飢餓にある子どもたちを救うべきだ」と考え、

アンパンマンが生まれたのである。

 

つまり、アンパンマンは空腹の人たちのために生まれたのだ。

 

私だってそうだ。

自分で望んで生まれたわけじゃない。

まぁ、今の時代に日本人の女の子として生まれたことにはとても満足している。

でも、そもそも誰かが望んでくれないと人は存在することすらできないのではないか。

 

なので私は望まれて生まれてきたのだ、と単純にそう思った。

 

もっと言うと、私の母はずっと未来の子孫のために一生懸命生きてきた人だったので、

私もきっと未来のために生まれたのではないかと思う。

 

そのためか、私も未来に素晴らしい子どもたちが生まれてくることを願っている。

 

きっと“何のために生まれて”は、もっといろんな答えがあるのだと思う。

もしかしたら、人類共通で言える“何のために生まれて”も存在するのかもしれない。

 

もし、共通する答えがあるのなら、みんな幸せになるために生まれてきたのではないか、と私は思う。

 

 

次に“何をして生きるのか”だ。

 

私は現在そのことについて迷子状態になっている。

 

アンパンマンのように顔がアンパンという才能があればいいのになぁと思ってしまう。

空腹の人を助けるために生まれたのならなんて素晴らしい才能だろうか。

 

私も、何か文を書いて生きていきたい。

 

他の人を感動させるような、心にいい感情が生まれるような

そんな何かを書きたいと思っている。

 

中学生の頃、図書館で仕事についての本を読んだ。

作家についても書かれていて、そこで作家は、最後の職業だと書かれていた。

 

医者になっても、公務員になっても、アイドルでも誰でも作家になれる。

 

そうあったので、作家になろうと努力しなかった。

 

韓国に留学したり、メキシコに語学研修に行ったり、

まぁ、自由に過ごしていた。

 

問題はそれからだった。

 

そもそもどうやって作家になれるのかよく分からない。

 

とりあえず、自由に文が書けるということでブログをはじめてみた次第だ。

 

実行しないことには何も始まらない。

方法性はあっているのかよく分からないけど、

とりあえずやってみようという感じなのだ。

 

アイデンティティーを確立するうえで、他人から認めてもらうことも

大きな要因になると思う。

 

どんなに自分が医者だと思っていても、

実際に医師免許をとらなくては医者になることなどできない。

 

もし、地球に自分だけしかいなかったら、アイデンティティーなど確立することは

不可能なのではないかと思う。

 

“何をして生きるのか”も相手がいてこそ何かできるのではないか。

 

私もただ自己満足で文を書くより、

私の書いた文章が、誰かの役にたてたらいいなと思う。

 

 

 

最後に“何が君の幸せ、何をして喜ぶ”について。

 

果たして、アンパンマンは自分の顔を分けることを幸せだと感じているのだろうか。

自分の顔がなくなるのではないかと不安にはならないのだろうか。

 

でも、客観的に見る限り顔を分け与えることが嬉しそうに見える。

 

お腹のすいている人に顔を食べさせることがアンパンの才能で、

その才能で多くの人が感謝してくれるなら嬉しいのではないだろうか。

 

自分の才能や、特技で誰かが喜んでくれるなら

私も喜びを感じると思う。

 

アンパンマンも自分一人でアンパンを食べるより、

空腹の人に自分の顔を分け与えることで心から喜んでもらえるほうが嬉しいのではないか。

 

確かに、一人でお腹いっぱい食べることも幸せだけど

私の経験上、誰かに喜んでもらえるほうが何倍も嬉しかった。

 

もし、衣食住に困ることがなかったとしても、

海の近くの豪邸で毎日おいしものを食べて、ブランドの服をたくさん持っていたとしても、

一人だったらむしろとっても悲しくなるのではないだろうか。

 

 

 

アイデンティティーとは“自分らしさ”を追求していくことだけど、

“自分らしさ”を見つけるには自分以外の存在に目を向ける必要があるようだ。

 

“自分以外の誰かのため”があってこそ、本当の意味で

アイデンティティーが確立していく気がする。

 

そもそも人は自分一人で存在できるようにはなっていない。

一人で生きていくというのはありえないことなのかもしれない。

 

だから、生きているこの期間は、たくさんの人に会って仲良くなって、

多くの人を喜ばせられるように生きたいなって思う。

 

後で自分の人生を振り返るとき、また会いたいなって思える人が

たくさん思い浮かぶような、そういう人生にしたいし、そういう人になりたいな。

 

丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド丸ブルーバツレッド