エホバの証人は独特の教義があります。エホバの証人以外の人と必要以上に交わらない、国家、校歌を歌わない、不純異性行為をしない、信者以外と恋人関係にならない、などなどたくさんあります。でも、私は、だいたい守っていなかったので…
その中でも、馬鹿馬鹿しいのは輸血拒否と排斥制度です。これはあくまでも私の視点ですが…
輸血拒否は輸血拒否の意思を示すカードに署名し、そのカードを肌身は出さず携帯することです。
輸血拒否カードは集会でその場の人に配られます。
欲しい人はどうぞ。という感じではないです。
ほとんど、強制的で子供たちはどうすることもできません。その場で拒否すれば、後でムチが飛んでくるからです。
信者たちが集まる集会で、そのカードを、ちゃんと携帯しているかを、確認し合うということもありました。
この頃は私はまだ子供だったので、母が変わりに私の輸血拒否カード書いて、私に渡します。
母:ちゃんと、持ってなさい。
私は無言で受取り自分の部屋に行き、見つからないように、速攻で破り捨てます。
ですので、不定期の輸血拒否カードチェックの時は、私はいつもカードを持ってませんでした。
私の精一杯の意思表示です。
母は、私がすぐに輸血拒否カードをなくすので、私のことを単にだらしない子としてみていたとおもいます。
妹たちはというと、私が中学生2年ぐらいのときには、もうエホバの証人の信者でしたので、この輸血拒否カードを肌身は出さず持っていたといいます。
あとから末の妹とその話になったとき
『今思えば、恐ろしい。もし、輸血しないと助からないことがあったら、私は、死んでいた。』その言葉を聞いて私は、ゾッとしました。
自分の命さえも脅かされる状況にもいたのだと改めて思いました。大人になってから振り返ると本当にとんでもないけどだと。まともじゃないと思います。
#4でもお話しましたが、末の妹が排斥されています。
これは、もう当人同士の問題ですが、初めのうちは末の妹もショックだったようです。
ですので、最初は私が末の妹の近況を母に伝えていましたが、母はとても嫌そうです。
だって末の妹が幼い頃は、信者のなかで神童とよばれてましたから。
母は全面的に期待していた、娘に裏切れた気持ちでいっぱいだったのでしょう。
末の妹も、だんだん面倒臭くなったみたいで、当時働いていた職場では、母は死にました、といっていたようです。
それで心の折り合いがつくのであればいいと思いますが、大変なのが、その中間地点にいる人間です。私は厳密に言うと、そもそも信者ではありませんので、まるで伝言係のようです。
母から、あなた(末の妹)の税金払っておいたからすぐに返してって言っといて
そんなことが続きます。私はついにブチギレました。
排斥制度とか知らないし、私関係ないし、お金の話は当人同士で話してください。
排斥制度は他人を巻き込む最悪なシステムです。誰が考えたんだこんなバカなこと!
輸血拒否も恐ろしいですが、私が一番腹が立つのは排斥(忌避)制度です。
だから、今排斥されて悩んでいる人は、馬鹿馬鹿しい制度にわざわざ付き合ってあげてると思うか、もう死んだことにするか、何らかの心の折り合いをつけると良いと思いますよ。
次回 心に住み着いていた闇について