こんばんは
今日は自分のことを書かせていただきます。
私には、主人と自分の親が一人も減ることなく四人揃っています。
四人共85~86才。
主人の母だけが施設のお世話になっています。
母は、東日本大震災のあった年の同じ月、3月31日脳梗塞で倒れ、1年半病院で治療とリハビリ、その後 老人保険施設に1年半、そして特別養護老人ホームで今日にいたります。
主人の親は自営業で、両親はいつも一緒でした。
母は亭主関白を絵に描いたような父の事だけに一生懸命だった気がします。
趣味を持つこともなく、友人と外出したりすることもなかったです。
病院大嫌いな父は、60才を過ぎた頃から少し具合が悪いと自分で病名を決めては良く病院に行くようになり、母はその付き添いでした。
なので、私は母が一人になったら女同士で旅行に行くのが夢でした。
でも、体調崩したのは父ではなく母の方でした。
私は入院中、昼食、夕食の介助に毎日2回1年半通いました。その後は、昼食は父、夕食は私になりましたが、会話も殆ど出来なくなる母を見るのが切ないのと、父が毎日行っているのでだんだん足が遠退いていました。
父は自己満足の介助で、食べたがらない母にムリヤリ食べさせる。
動けないので、お腹も空かないのではと思います。
空いても空かなくても食べることが仕事ですから····
食べたくないときもあるでしょう
でもそれでは父は納得できないのです。
今日も、切なそうな顔をしている母を見ていたら私はその場に居ることができず30分くらいで施設を出てしまいました。
その後ひとり歩きながら、私は何をしているのだろう、私にできることがあるはず、母が私にしてほしい事は何だろう···
自暴自棄になっていました。
そんな落ち込んでいたこのタイミングで友人からの電話。
友人の優しい声を聞いたら、堪えていたものが溢れだし声を出して泣いてしまいました。
こんなに泣いたのは久しぶりでした。
親のために何もしてあげられず、自暴自棄になっていた私ですが、何でも話を聞いてくれる大切な友人がいます。
ありがたくて、又涙がでます。
気が利かない私ですが、自分にできること焦らずやっていこう。
お母さん、何もしてあげられなくてごめんね。
また会いに行くからお話ししようね。
親の悩みはこれからも続くと思いますが、親がいなければ今の自分はいないです。
子供の役目果たします。