文章力がなく読みにくいとは思いますがご了承ください。
私は男尊女卑、外ヅラを良くが当たり前家庭内はめちゃくちゃな家に産まれました
家族構成は祖父、祖母、父、母、いくつか離れた兄と私でした
その内祖父、祖母、父の考え方や常識は決して褒められた物ではなく母を飯と金の要らない家政婦のように扱っていました
そんな家庭でまともな人格が形成されるわけが無いのですが母と兄が少しでも悪影響を与えないようにと母は私を3人からできるだけ遠ざけ兄は非行に走り自分に目が向くように仕向けてくれていましたがそれでも普通とは程遠い人格成形がされたでしょう
不幸中の幸いと言ってはアレですがテーブルマナーや外でのマナーは鬼の様に仕込まれおかげで外ではあまり恥をかかずに済んでいます。
そして幼稚園に入る頃決して褒められた体型をしていないのと家の噂のため虐めの対象にされました、幼稚園児のする事など幼稚な物でしたがそれでもしていない事を私のせいにされる事や見て見ぬふりをされたのは辛かったですね笑
ですが友人にも恵まれ理解ある先生にも恵まれた私は楽しく幼稚園を過ごし小学校も辛かったですが家にいるよりはマシだ楽しいと毎日通い続けました
そして小学3か4年生の頃ちょっとした事件が起きますその時祖母は肺に水が溜まりいませんでした母はそれを見計らったかのようにハイターを飲み倒れている所を私が発見し救急搬送に付き添いで丁度家にいた父が付いていきました、私は1度事故で救急車に乗ったこともあり良くないことが起きた、でも怪我はしていないし風邪をひいたという感じでもないでも苦しそうだし今にも母がいなくなってしまうかも知れないと不安になりましたがどこか現実味がなく時折救急隊の人と母に意識があったので死なないかの確認をしつつ大人しく母を見ていました
病院に着きお医者さんの診断を待っている間父と一緒に待合室で待っていました
1時間くらいでしょうか、その時はとても時間が早く感じれたのでもっと経っていたかも知れません、看護婦さんが来てお母さんに会えるよ無事だと聞き付いていきました、父は用事があると言いどこかに行ってしまいましたが気にせず会いに行きました、母はベットに座っておりどこか憑き物が少し取れたかのようにさっぱりして見えました、隣の机には牛乳が置いてありいを洗浄するためだと説明されました、もう一度だけ死なないかの確認をした後緊張の線が切れてしまったのか泣いてしまい母に抱き寄せてもらいました、久しぶりに感じた母は暖かく酷く安心しました
午後2時くらいに牛乳を2リットル飲み終え病院を出てタクシーに母と2人で帰路につきました、車は父が乗っていってしまったので
タクシーの中で母はお父さんは?と聞かれたので用事があるって言ってどっかいっちゃったよと伝えたところそっか…と寂しそうに返事をしました
家につき母と2人で遅めのお昼を食べました多分初めて食事が楽しいと感じたのはこの日だと思います、空がとても青く母が美しく見えたのを覚えています。