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 季節が秋から冬へと傾き始める頃、私はいつも決まって本を読みたくなる。

 

理由ははっきりしない。

 

 ただ、冷たい風が吹きはじめ、空気が鋭く澄みわたると、文字が自分の中にまっすぐ届いてくるような気がするのだ。

 

 夏のように光が強すぎる季節では、言葉がどこか眩しさに負けてしまう。

 

 だが、冬の手前の薄曇りの空の下では、言葉が静かに、しかし確実に内側へ沈んでいく。

 

 街路樹が葉を落とし、枝だけになっていくのを見ると、まるで世界が余計な装飾を取り除き、

本質だけを残そうとしているように感じる。

 

 そんな風景の変化は、読書への態度をも変える。暑さで集中が削がれる夏とはちがい、寒さはむしろ心を内へと向ける。

外界の刺激が少なくなるほど、人は自分の内にある小さな声を聴こうとする。

 

 読書は、その「声」を増幅してくれる装置のようなものだ。

 

 冬に向かう空気は、ページをめくる手つきさえ変える。

 

 指先が冷えると、紙の質感が妙にはっきりしてくる。ページをつまむ、紙を押さえる、その小さな動作すら、どこか慎重になる。慎重になればなるほど、読み進める速度もゆっくりになり、そのぶん物語の奥行きが増す。

 

 冬の読書とは、言葉の影を読む行為なのだろう。

 

 陽光の強い季節には見えなかった微細な陰影が、冬の光のもとでは鮮明になる。

 

 私の部屋には、本棚が二つある。

 

 ひとつは一年中読む本を置く棚で、もうひとつは「冬専用」の棚だ。

 

 冬に読むのがふさわしい、というのは奇妙な表現かもしれないが、事実としてそういう本は存在する。

たとえば、トーマス・マンの『魔の山』や、カミュの『ペスト』、ドストエフスキーの諸作のように、

人間の内面に深く沈む作品たち。

 

 寒さは孤独を研ぎ澄ませる。世界と自分の間に薄い膜が張られるような感覚が生まれる。

 

 その膜の内側でこそ読める本が、この棚には並んでいる。

 

 冬が近づくと、その棚の前に立つ時間が自然と増える。

読み返したい本の背表紙を指でなぞり、今年はどれから読みはじめようかと迷う。

その時間がすでに「読書の前奏」のようなものだ。

 

 本を選ぶという行為は、ただ読みたいものを探すだけでなく、

これから訪れる数日の精神のあり方を選ぶようなところがある。

 

 冬の読書は、季節ではなく、自分の心の温度を読む行為なのだ。

 

 夕方が早く訪れるようになると、部屋の照明に頼る時間が増える。

 

 外が暗いぶん、部屋の灯りが暖かく見える。

読書に必要なのは、この小さな光だけだ。

本を開けば、あとは文字が勝手に世界を照らす。物語の中の街路、雪原、あるいは登場人物の揺れる心。

どんな場所も、言葉さえあれば目の前に立ち上がる。

 

 冬の読書が特別なのは、世界の静けさが言葉の響きを強めるからだ。

 

 寒さのせいで人は外を出歩かなくなるし、虫の声も、雨の音も、夏のような喧騒もない。

聞こえてくるのは、自分の呼吸と、ページをめくるわずかな音だけ。

音の少なさは、言葉の密度を高める。まるで読書のために世界が余計な音を排除してくれているようだ。

 

 外が冷えるほど、読書は「内的な旅」になる。

布団の中で読むとき、部屋の隅で読灯の下に座るとき、

ストーブの音が静かに響いているとき──体は確かに家にいるのに、心は遠くの場所へ自由に飛んでいく。

北欧の小さな町、雪深い村、あるいは心の奥底にある記憶の風景。冬は、その旅立ちを手助けする。

 

 私は毎年、冬が近づくと一冊のノートを開く。

 

 読書記録というほど固いものではなく、印象に残った言葉、情景、感情をただ書き留めるだけのノートだ。

 

 冬の読書は、夏よりもはるかに自分の気分が変わりやすい。

部屋の温度、風の匂い、窓の外の曇り具合、そうしたささやかな気配が文章を読み解く感受性を揺らす。

だからこそ、そのとき感じたことを記録にしておきたい。

 

 冬の読書には、ある種の「祈り」のような側面がある。

 

 寒さで縮こまった心を、言葉によって少しだけ温める。

世界の厳しさを、物語によって柔らげる。

他者の孤独に触れることで、自分の孤独が少しだけ軽くなる。

物語に救いを求めるのではなく、物語と共に静かに耐える時間こそが、

冬の読書の本質なのかもしれない。

 

 ページを閉じて顔を上げると、外はすっかり暗くなっていることがある。

 

 夕暮れと冬の闇の境界は曖昧で、気づいたときには世界が夜に変わっている。

その移り変わりがとても好きだ。

本を閉じた瞬間、外の寒さと部屋の温かさの対比がはっきりする。

その温度差が、読んだ本の余韻をいっそう濃くする。

 

 冬が近づくと、人はなぜか「今年の自分」を振り返りたくなる。

 

 読んだ本の数よりも、それらを読んだ時間のほうが記憶に残っている。

 

 迷いながらページをめくった夜、疲れた心に一行だけが深く刺さった朝、

読み終えて涙が滲んだ日。冬の読書は、年間の中で最も生活と密接に結びついているように感じる。

 

 やがて本格的な冬が訪れる。

 

 雪が降る日もあるだろう。風が強く、窓ガラスが震える日もある。

 

 でも、そのすべてが読書を豊かにする。外が荒れれば荒れるほど、部屋の中は自分だけの静かな小宇宙になる。本を開き、温かい飲み物を用意し、毛布を膝にかける。それだけで十分だ。

 

 冬の読書とは、世界の冷たさを受け入れつつ、心に灯りを点す行為である。
 

 ページから立ち上がる言葉たちは、小さな焚き火のように、人の内側をじんわりと温めていく。

 

 そして、また今年もその季節が近づいている。
 

 私は、冬だけの特別な読書の時間をそっと迎える準備を始める。
 

 本棚の前に立ち、背表紙を指でなぞりながら、一冊の本を選ぼうとする。
 外は冷たく、部屋は暖かい。
 それだけで、もう十分なのだ。