昨日の夜洗濯機を回したのに、うっかり寝てしまって…今朝もう一度洗い直した(;^_^A
マスターのMLでみらいから「自分の良いところを言えば良いのに」と言われてここ数日考えていた。
何で自分の良いところを言えないんだろう?
前にも同じような事を言われた。
10年以上お世話になっている臨床心理士の先生から
「さよさんには自分の良いところをもっと認めて欲しいと思います。」
と何度も言われている。
「どうして自分の良いところを認めないんですか?」と聞かれた時に
「認めてしまったら良くなる努力をしなくなりそうだからです。」と
本当にこのやり取りを何度もしている。
「良くなる努力をしなくなる」とは言いかえれば「終わり」ということ。
文字通り「自分が終わるということ」
「エホバの証人」だった頃、繰り返し繰り返し教えられた事は
「古い人格を脱ぎ捨て、新しい人格を身につけなさい」
「霊の実を身につけなさい」(「霊の実」とは愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制)
「自分のしたい事ではなく、エホバのご意思を行いなさい」
これは比喩ですが「あなたをつまづかせているものが手ならそれを切り落とし、目ならえぐり出しなさい。」というように
「今のままのあなたでは救いに値しない。だから聖書が教えている人格を身に付けるよう真剣に努力しなさい。そうしなければ滅ぼされますよ。」と教えられてきた。
徹底した自己否定を教え込まれてきた。
「ありのままの自分」を認める事は「終わり」つまり「滅び」を意味するんだという結論にたどりついた。
マスター講師のサトーさんに「ハルマゲドンが来るよ。」といじられると
「いや、そんなもの来ませんから。」と返してきたものの
私の心の奥底には滅ぼされる恐怖がしっかり残っていたのだ。
それだけでなく自己否定してしまう思考回路も強すぎるのか。
もうひとつ考えられるのは拗ねているのか。
とにかく自分の良さを認める事に対する抵抗は本当に強いものがある。
信者同士のやり取りでも褒められた側は「謙遜」して「受け取らない」のが普通だった。
一度褒め言葉に対して「ありがとうございます。」と返したらその場で
こういう場合は「そんなことありませんよ。」と返すべきなのだと
母親から注意を受けた事を思い出した。
試しに「私〜が得意なの、すごいでしょう。」と言ってみたらとても抵抗を感じて涙が出てきた。
これを繰り返し繰り返し抵抗がなくなるまで言い続けると変わってくるのかもしれない。
「エホバの証人」の教えは「その人らしさを否定」して不完全な人間には決して実現できない「模範的な人格」を目指させる。
私はもうそこから出てきて自由になったのだから「自分を認めて」「自分の意思を優先して」生きていっていいんだ。
辞めて10年以上経つのにまだまだ「エホバの証人」の思考から抜け出せていないことを痛感させられた。
そこにいた当時の自分をまだまだ客観視できていない。
多分たくさん縛られている部分があると思う。
マスターでカウンセリングを身につけたら自分の生き辛さを自分で取ってあげられる。
それを楽しみにして残りのマスターも通うのだ\(^_^)/