その①で、英語とピアノ、両方の看板を掲げることへの心構えについて書きました。
次に、なぜ、ピアノの先生と英語の先生になったのか、、、そのいきさつを
お話したいと思います。
私はピアノ教室を営む母と高校教師の父との間に生まれ、3歳になる前からピアノを母に習い始めました。
子どものころからピアノが毎日の生活の中心にあり、お友達と遊ぶよりピアノ、、、という感じで・・・
でも、母がレッスン室でピアノを教えていて自分の練習ができない間は、買ってもらった英語のカセットを、一人で繰り返し繰り返し聞いては、リピートして英語の音を楽しむ・・・
そんな変わった(!?)子どもでした。
その後素晴らしい先生方にもめぐり合い、
将来就きたい仕事は?と聞かれると、
「ピアノを教える仕事♪」
と即答していました。
・・・が、高校生になったある時、悟ってしまったのです。
「ピアノの先生は、無理だ!」と・・・
私は生まれつき手が小さく、しかも小学校3、4年生で手の成長が止まってしまい、高校生になってからもオクターブが届かないどころか、7度(ドからシ)も危うい状態でした。
でも、大曲にはオクターブは当たり前。オクターブ以上の和音も出てきます。
厳しく、苦しい練習を積み重ねてどんなに頑張っても、届かないのは努力が足りないからだ、と言われたこともあり、、、
思い詰めてしまって、とうとうピアノの道に進むことをあきらめざるをえない状況に追い込まれ、高校3年生の夏、とうとう音楽以外の道に進むという苦しい選択をしました。
やり場のない私を救ってくれたのが、小さいころから大好きでコツコツと検定試験など受けながら楽しく勉強を続けていた「英語」でした。
ピアノ講師の母の手前、本音が言えなかったのですが、
本当は「ピアノの先生」と「英語の通訳」、両方になりたい、、、と思っていたのです。
大学を卒業し、理工学系の大学院(信州大学大学院)に通いながら、通訳養成学校などで通訳になるための勉強もしました。
それはもう、がむしゃらでしたが、ピアノで培った「努力を継続する」ということは
平気でしたので、どんなにでも頑張れました。
そしてある程度自信がついた時点で進路変更のため大学院を中途退学し、ソニー(株)、特許翻訳事務所等の勤務を経て、フリーランスの通訳者として独立しました。
色々な分野での国内外でのお仕事をいただき、世界中の素敵な方々との出会いや、沢山の勉強の機会をいただいて、感謝の日々でした。
結婚、出産後しばらくして、教育委員会に英語非常勤講師として採用され、市内の公立小学校で英語の先生もしていました。
ある日、長女の幼稚園でご父兄の前でピアノを弾かせていただく、、、という機会がありました。ピアノは、ずっと続けていたのです。
そして演奏を聞いてくださっていたお母さま方から「うちの子にピアノを教えてもらえないか」と・・
一度はお断りしたのですが、「それでも!」と言っていただき、
それからはもう、猛勉強です。
レッスン料をいただく以上、生半可な気持ちではいけません。
PTNA(全日本ピアノ指導者協会)や楽器店の指導者向け講座を週にいくつも受け、
色々な教本を買い漁っては弾き込んだり書きこみをしたり、、、
PTNA指導者検定も受け、合格証をいただきました。
市内小学校の合唱部ピアニストもさせていただき、色々な経験を積ませていただきながら今年で8年目になります。
看板を掲げてからは、有難いことに生徒さんがだんだん増えて、今年で(今の場所で)12年目になります。
そして、毎日、
教えるプロとして昨日よりもっと素晴らしいレッスンを!
の気持ちで、英語もピアノも、講座や試験を受けて勉強を重ね、自己研鑽にいそしんでいます。
ちなみに、学生のころは「手が小さい」ということで自分をメンタルブロックしていたのか、
今も手の大きさは変わらないのにオクターブの和音をフォルティッシモで出せます。
大人になってからでも、十分に届くようになります。
「手が小さいから、、、」という生徒さん、手が小さくても広げる方法が色々あります♪
弾きたい曲をあきらめることはありません!
一緒に取り組んでいきましょう!
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