人体は放射線を浴びれば浴びるほど、遺伝子の損傷が進行するという。
後世に健全な遺伝子を残すためには、遺伝子が損傷したと推定される人間の殺処分が必要だ。
しかしそれは無理な話だ、隔離ですら無理なのだから。
近頃、極論を断じることがぽつぽつ増えてきたが、それは俺の私生活の不遇振りと比例している。
俺という人間の心は、上方に位置する人間による異分子リスク排除原理とでも云う極論的愚策によって、ことある毎にズタズタにされてきた。
やる気、積極性、チャレンジ精神、フロンティア精神、法令順守精神、すべてが何の評価もされなかった。
放射能にこそ汚染されていないが、汚い社会からはボロ雑巾の如く扱われてきた。
しかしそんな社会の上方に位置する人間や飼いならされた人間の多くは、得てして己の汚さを覆い隠そうとするため、小奇麗なスーツでその身を装って善良な仕事人面をしているものだ。
マネジメントがどうのこうの、それなりの知識武装で階級差をも演出して。
スーツの威を借りて、まともな仕事と性質を装う傲慢者とでも断じておこう。
俺個人としては、そんなに長く生きられる訳でもないので、人間の遺伝子が損傷して未来に伝わり続けることに、さしたる関わりもないが、後に生まれる人々にとって、それは負の遺産以外の何物でもないだろう。
人間はもっと淘汰されるべきだ、というのは格差社会の上方に座す者の多くが持つ思考。
だからこそ上方に安住して、下方を何のためらいもなく蹴落とすことができるのだ。
そいつらが舵取りしてきた日本社会よって、無慈悲にも放射能はばら撒かれ、生命論理的に汚染された個体を速やかに淘汰すべき状況が齎されてしまったのだ。
まず淘汰されるべきは、汚染体では無く、そいつらだということは言うまでも無い。
法治国家日本、いまや守るべき法律は何も無いと俺は断じる。
ボロ雑巾はボロ雑巾らしく、世の中の掃除に役立たなければなるまい。
相場を廃業したら、掃除屋になるしか道は無い。
汚れの本質を知った人間が掃除屋なら、いい仕事が出来るだろう。