岩。

苔。

洞窟。

ここはどこだ?


前田敦子は眼前に広がる光景を理解するのに一呼吸の時間を必要とした。

そして、昨日AKBバトル・ロワイアルという企画が始まったこと、廃校舎から
出てからいち早くこの洞窟を根城とて一日が経過したことを思い出し、ゆっくりと
上半身を起こした。


時計を確認する……午前10時50分。


この二年で前田の置かれている環境は激変していた。
AKBメンバーが多忙を極める中、そのセンターとして完璧な振り付け、自己管理、
メディアへの露出を要求される前田のスケジュールは圧倒的な密度を誇っている。


目覚ましに起こされなかった朝は何ヶ月ぶりだろう。


硬くなった体をほぐしながら急に空腹を感じた前田は、枕として使用していた
支給品のバッグからカロリーメイトを取り出し口にし始めた。ヲタの間で有名な
前田母による大量の朝食を習慣としている前田には余りにも貧弱な朝食。

ペットボトルの水でかさついた口内を潤し、一息つく。


寝よう。


前田はこの無人島で五度目の睡眠を開始した。



10:59:55
10:59:56
10:59:57
10:59:58
10:59:59


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廃校舎 AKBバトル・ロワイアル本部


オペレーター
「11時00分。禁止区域F-8において、首輪爆発による前田敦子の死亡を確認」


秋元康
「あつこぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」



【残り43人】
バトル・ロワイアル前夜。
篠田麻里子は秋元プロデューサーの事務所にいた。


「以上、バトル・ロワイアルの概要だ」

座っていても腕組みを崩さない秋元Pの説明に篠田は

「はぁ」

とだけ答えた。

正直、篠田は混乱していた。

篠田の脳内活動はバトル・ロワイアルの内容についてよりも、
自分がどのような回答を望まれているかを探ることに費やされていた。

長い間AKBをやってきて、
この思考様式は秋元Pと会話するときの習性のようになっていた。


いつものサプライズなのだろうか。

昨日ネイルサロンで仕上げたばかりの赤い爪でベージュのシンプルな
ソファをひっかきながら、秋元Pの次の言葉を待った。


「でね、麻里子。色々事情があって、あなたは特別枠です」

「はぁ」

思考が鈍る。想像を上回る事態が進行している。

「要するに八百長です。麻里子を失うということについてが多方面から
圧力があった。麻里子には生き残り組16人に入る優先権を与えろ、と」

篠田の返事を待たずに秋元Pは続けた。

「このゲームで期待されてるのは友情、裏切りなどのエンターテイメント。
そして予定調和です。価値のあるメンバーが生き残るべきであって、
生き残ったから価値があるわけではない」

咳払い。

「誰もやらないことをやる。それがAKBです」

そこまで言って秋元Pは満足そうにうなずき、ソファに座りなおした。

「誰かがわざと負けてくれないと八百長は成立しないんじゃないですか?」


八百長とは負けて欲しいメンバーに餌をぶら下げて初めて意味がある。
餌に釣られたメンバーは誰なのか、篠田は無意識に探ろうとしていた。

「そう、そこなんだよ。スポンサーは自分の都合さえ押し付けられれば
それでよし。我々運営スタッフが今回のバトル・ロワイアルを決めるために
何日徹夜したと思ってるんだ……」

篠田は「余計なお世話だ」という言葉を飲み込んだ。


「スポンサーとの妥協点だが……」

秋元Pが太い指でめくり始めた資料の初ページには
「優先生存権所有者への優遇措置」とあった。

「君たち生き残り優先組の初期配布武器が優遇され過ぎていれば、あまりに
露骨。八百長は明白になる。ヲタの目は誤魔化されないだろうね。何と言っても
AKBの売りは【ガチ】だから、運営としてはここでヘタを打つわけには……」

「ちょっと待ってください」

篠田が秋元Pの言葉を遮った。

「『君たち』って、特別枠は私一人じゃないってことですか?」

「絶頂期が去ったとはいえ、君たちAKBは所属事務所にとっては虎の子だ。
ドル箱をそう簡単に手放したくない気持ちは痛いほど理解できるだろう」

ソファを引っ掻き続ける篠田の指が止まった。

「秋元先生。特別枠のお話、大変ありがたいのですが……」



総選挙万年3位。篠田麻里子の冠する二つ名。
総選挙で大島優子、前田敦子にトップの座を阻まれ続け、指定席となった篠田の位置。

AKBを国民的アイドルにまで引っ張ってきた自負が篠田にはある。しかし、それは
ゴールではない。大島優子を、前田敦子を排除し、AKBの真の頂点に立つ。

篠田は秋元Pの眼鏡の奥の目をまっすぐに見つめて言った。


「AKBは常に【ガチ】であり続けたからこそ、ここまで来られました。
AKBというバトル・ロワイアルを日常としてきた私に八百長は不要です」

長い沈黙が事務所の一室を包んだ。



「そうか……」

秋元Pは資料を机の上に放り投げた。

「君のように私たちが用意した椅子を蹴り倒したメンバーがいてね」

腕を組み、秋元Pは篠田に背を向ける。


「板野友美。彼女には注意しろ」
もう何度この山道に突っ伏しただろうか。

むわっとする土と草の湿った熱気を感じながら秋元才加は立ち上がった。

一張羅のジャージは泥だらけになり、膝の部分にはぽっかり大きな
穴が空いている。しかし、それを気にするだけの体力的、精神的余裕は
すでに失われていた。


「優子、大丈夫か?」


返事はない。
いや、返事がないことはわかっていた。

大島優子は壊れた。

廃校舎で高橋みなみが死亡したと同時に大島はショックによって
心を閉ざし、外部からの刺激に対して反応することをやめた。

秋元の運営に対する必死の懇願が功を奏し大島との同行が
許されたが、歩くことさえままならない大島を背負って山道を
走り続けること一時間。秋元の体力は限界に近づいていた。

最優先は大島を安全な場所に移すこと。では、その後は?



「芸能界はゲームです」

「AKBはすっかりダメになってしまいました」

「そこで今日は皆さんにちょっと殺し合いをしてもらいます」

「これだけは覚えとけ。みんなが必死になって戦って、生き残る。
価値のあるアイドルになりましょう!」



体力・知力・カリスマ性において、AKB最強と言われる秋元も
このバトル・ロワイアルという異常事態を受け入れるには
至っていなかった。

秋元は再び山道に倒れこんだ。

考える時間が欲しい。

秋元・大島の運動能力は他のAKBメンバーを遥かに凌駕している。
二人が手を合わせれば、どんな状況も乗り越える自信があった。

せめて大島が正気を取り戻せば……

「ヒヒヒヒ」

秋元は焦点の合わない目でおかしな笑い声を出す大島から目を背け
空を見上げた。雨は上がったが、空は依然として雲で覆われている。

旧チームKの信じられるメンバーを探そう。
梅田、宮澤、増田、佐藤、小林……

どん底から旧チームKをつくり上げたあのメンバーとなら、必ず何か
生還の糸口は見つかるはず。大島の安全を確保次第、彼女たちと合流
するしかない。

廃校舎を出て一時間。すでに何度か銃声や悲鳴を耳にしていた。
時間的余裕はない。休憩はここまで。

「行くぞ、優子」

秋元は再び立ち上がり、山道に転がる大島の顔に付着する泥を払った。

優子は弱い。私以上に。

何でも起用にこなし、前田敦子と並びAKBの顔となっている大島だが、
精神面では決定的な脆さがある。同様に精神面の弱さを抱える秋元が
正気を保っていられるのは、大島を守ろうとする義務感ゆえだった。

秋元は大島を背負い深呼吸する。
そして、一歩目を踏み出そうとした瞬間。


「才加ちゃん、見ーっけ」


大木の後ろから現れたまりもっこりのような笑顔。


「ゆきりん!?」


チームBキャプテン、柏木由紀の構えた黒い鉄の塊は正確に秋元の
心臓を捉えていた。


【残り45人】