私のネット上の友人は、ほとんどが
生死の狭間を彷徨った経験を持っています。
家族はみな一様に「亡くなる覚悟をして下さい」と言われています。

だから、一命を取り留める事の有難さは、
身にしみて知ってる方ばかりです。

でも、それでも、みんな、
「あの時死んでれば良かったと思う時がある」と言います。
死の淵から、やっとの思いで這い上がった先が、
「こんなにも辛く苦しい惨めな世界だなんて」と悲しみます。


そもそも医学は何のためにあるんでしょうか?
医療は何故、命を救うんでしょうか?
命を救うというのは、どういう事でしょうか?



それはもちろん脳卒中だけじゃなく、
他の病気や事故が原因でも同じことで、

重篤な状態から生命を救うだけが医療ではないと、私は思うのです。
救った生命の、その先のフォローが出来て初めて、
人命を救った事になると思うのです。

だから、障害を負ってしまった悲しさ悔しさを知りもしないで、
「受容できてない」なんて、
健常者の医師や療法士に簡単に口にして欲しくありません。


例えどんなに重い障害を背負ったとしても、
少しでも良くなろうと希望を持って、
安全に、安心して暮らせる生活を取り戻したいと願って
何が悪いでしょうか!?



いつまでも回復にこだわるのは却って本人の為にならない、等という、
まことしやかな嘘っぱちが、
どうやらリハビリの教科書か何かに書かれているらしいですが、

それは、継続的なリハビリを維持できない言い訳、
詭弁でしかありません。

保険点数や日数制限以外に、
リハビリを中断する目安が具体的にありますか?

それでも、もしも、どうしても、
これ以上の回復を望むのは、我が儘だとか、夢物語だとか、
いい加減にあきらめた方が良いとか言うのであれば、

もう最初っから、
リハビリなんてしなければイイんだと思います。
療法士の仕事なんて無意味です。

いや、そもそも、重い障害が残る可能性がある命なんて、
救わなければイイんだと思います。
医者なんて必要ありません。



どうせ医学には、それだけの力しかないんです。


最後まで責任も持てないくせに、偉そうに、
命は救ってやったんだから、なんて、言われたくありません。

瞬きが出来た、指が動いた、と喜ぶ家族に、
「単なる反射です」と冷たい言葉を投げかけるのが「医者の常識」なら、
そんなモノはクソ喰らえです。

患者の人生なんかより、
自分の功名心や病院の経営の方が大事なヤツが、
「医者でござい」って大きな顔して、ふんぞり返って、
あんた自分を恥ずかしいと思わないのか、と糾弾したいです。

私だってたまには、
世界中に向かって馬鹿野郎と叫びたいです。


※2014年2月に書いた記事を若干の手直しとともに再掲載しました。