こんなツイートが流れてきました。

 

細かい状況はわからないまま皆このツイートを見ているでしょう。

そして4.2万件のいいねは「いじめ=悪」に基づくものでしょう。

 

いじめは良いか悪いか。

これはいじめが生起した事後としての状況に問われれば後者であると思います。

 

 

~いじめの定義~

そもそもいじめとは何なのか。

「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」

 

一定の人間関係…これはある程度の閉鎖的社会において継続的に関わる人間との関係という解釈でよいでしょう。

心理的、物理的な攻撃…自尊心を失うような言葉や直接的に身体に危害を加えることでしょうか。

 

要するに「ある社会に属する人間が同じ社会内に属する他人から悪口や暴力を受けて、嫌だと感じたらいじめ」ってことです。

つまり、いじめであるかどうかは受けた方の捉え方次第で変わっちゃいますってことですよね。

いじめの本質的な定義は存在しないということです。

 

~いじめの原因~

いじめとはあくまでも状況です。

昨今のSNSで言えば炎上している状況です。

何もないのに勝手に炎上はしません。必ず原因が存在します。

そしていじめには攻撃を受ける側と与える側がいます。

ここに存在するのは社会内での上下関係です。

社会内の上下関係を根絶することは不可能でしょう。

学校という社会ですら先生⇒生徒という絶対的上下関係を強いているのに生徒間で無くせというのは理にかなっていないです。

 

~いじめに対する考察~

そもそも個々の能力、思考等に差がある限り上下関係は必ず出てきます。

能力の高い人間と低い人間がいれば必ず具象化されていない上下関係があります。

問題はこの関係がどのように具象化されるかであると思います。

その具象化の結果としていじめがあります。

 

ではなぜいじめとして具象化されるのか。

①自己肯定力の低さ

②メタ認知能力の低さ

③自らの能力の過信

④所属社会の少なさ

 

こんなところでしょうか。

恐らくどんないじめもこの4点で分析すれば原因が見えてくると思います。

原因がわかれば適切な対応をとることができると思います。

 

最初にも述べた通り、上下関係が無くならない限り、その具象化のひとつであるいじめは無くならないと思っています。

 

子供のいじめに限って言えば、学校という小社会に拘る必要はないと思いますし、それで子供が学校に通わず教育が成立しないというのであれば、教育委員会のお偉いさん方が学校社会の構成を本質から見直すべきです。

学力をつけるのであればネットも使えるこの時代にわざわざ学校に行く必要もないです。

人間関係を学ぶのであれば、いじめが起きるということを学んだだけで大きな学びです。

別の社会でより良い人間関係を学べばいいだけです。

ただ、これは保護者がその責任を以て導くべきです。

 

保護者が安易に学校へいじめの改善を求めるのは自己の責任の放棄だと思います。

いじめが起きた社会に再度放り込むのは非常に理解に苦しみます。

かなりの誇張ですが、ある国に旅行に行かせて強盗に遭い、警察に文句を言いつつ同じ国に旅行に行かせているのと同じです。別の国に行かせたら良いでしょう。

別の国への旅券を用意できるのは学校でも子供でもなく保護者です。

 

なんかまとまりが無い文章になってしまいましたが、

いじめは悪いことなのは間違いないです。人間が嫌な気持ちをしているのですから。

要はいじめはその小さな社会に拘らなければなんとでもなるってことです。

 

この文を書いている間に元のツイートのいいねが4.8万件です。