「個人が社会の中に埋没して、個人の命が社会という巨大な機械に組み込まれた部品のひとつになってしまった。しかも、その部品の代わりはいくらでもある(北野武)」



チャップリンは、現代人を巨大で野蛮な首のない怪物だと表現しました。

そうであるならば、 これから社会に出ていく人には社会的地位や収入などではなく、社会から必要とされる人間でいることを意識してほしい。

その希少性が高く評価されるはず。それが、現代でサバイバルしていくための最善の策だと思います。




科学が進歩しても、人間の本質はそうは変わりません。

「自分探し」や「アイデンティティの確立」などの言葉が生まれ、個での完結を求められる世の風潮はあります。ただ、人間であれば社会や周囲の人から必要とされている感覚があって、はじめて生きている実感があるはず。

http://www.youtube.com/watch?v=0eshHkLSjlg


一方で、そういった人間が生まれ持っている感覚は、社会が成熟して組織化された世になることを後押しすることになるはずです。

「個」としての完成度より、効率を求められることになる。




そういった成熟し組織化された世の中で、拳ひとつで身を立てようというボクサーの立ちふるまいや身にまとった空気にすごく憧れる。尊敬できるんです。


スポーツは(特にオリンピックなどのイベントやチームスポーツ)、自我の代理戦争の側面がある。


そんな前提があったとしても、


「生きる方法として、ボクシングを選ぶのはどんな心理なんだろう?」という関心。

強さを感じさせるボクサーは、戦う人間の瞳ではなく守りに行く人間の瞳をしている。そういった人間が持っている独特の空気。


そこに惹きつけられます。







かつては、玄人好みの試合をするスピードとテクニックの才に恵まれた人間。

パフォーマンスを人一倍嫌う人間。

にもかかわらず、派手なボクシング、魅せるボクシング、KOを狙うボクシングをする背景。


すごく尊敬していますhttp://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2014/04/16/post_222/