とても久しぶりにここにきたし
とても久しぶりに文章を書く。


ふと
本を読むことは○○ことだ。
というフレーズを思いついたんだけど
みなさんは○○に何を入れるだろうか


私はこう思った。



本を読むことはいいことだ。



でも次の瞬間こう思った。


別に本読むことにいいも悪いもないわな、と



正解を知ってからじゃないと行動できないとか
正解の範囲内というか自分の見識の範囲内で
どうも判断しがち、

やっぱり失敗するのは嫌だからさ
失敗しない道があるんならそっちを選びたいのは
みんな一緒に決まってる。


いい、悪いを決めてるのはきっと先入観を持ってしまうからで
その先入観はいつできるんだろうって
きっと
いたずらに年を重ねてきた誰でもが
自分の経験だったり自分よりも年を重ねた人たちからの
請け負いだったりするんだと思う


だから小さいときにさ大人が何の気なしに言う
いい悪いっていう響きは
けっこう後のその子の生き方に関わってくると思うんだ。

話は戻るけど、本を読むことに対して
何がいいの?って言われて一つ挙げると
絵がないから自分の好きなようにストーリーの世界が
想像できるわけで、要は創造力の育成に
云々とか出てくるわけじゃん。

だから結果いいってなるんだと思うんだけど
子どもへはそのいいっていう結果じゃなくて
どういいのかっていう過程の方がきっと
大事なわけでその思考を停止させたら
子どもの可能性をその時点で摘んでしまってるんだなって


実は私がほんとに言ってしまって
とても後悔したって話。


あー、子どもにへんな先入観を
植え付けてしまったなって。
今度その子に会ったら
その子に本を読む理由を聞いてみよう。


ていう少し真面目なおはなしでした。
世の中には暇な人もいれば忙しい人もいるわけで
中学生くらいのときに
死んだらどうなるんだろうとか、何のために生きてるんだろうとか
考えるクラスタを中2病という名称で世間を轟かせましたが
そんな不毛なこといわゆる大人というカテゴリーの中に分類されても
まったく解決しませんよと教えてあげたい。
いや、むしろ謎は深まるばかりそれどころか中2の時より
深刻に考えざるを得んよと私は声を大にしていいたい。


人の一生がさ、まぁ平均をとって80歳だとしましょうよ
そんでまぁ高校を卒業したにせよ大学を卒業したにせよ
何かしら働かなきゃいけないわけじゃん。

というかもう社会に出始めてから働くことについてしか
書いたことないんじゃないかってくらい
労働に物申しているけどそれほど働きたくないわけですよ。

話を戻すとね、まぁこう社会という波にね
これ以上昆布だったら出汁でないんじゃないかってくらい
揉みに揉まれて定年を迎えたとしましょうよ
その間ざっと考えて35年くらいは働く生活が待ってるんじゃないかと
想像するんだけどね、わたしまだ残り34年残ってるっていう
衝撃的な未来をこなせる自信がこれっぽっちもないし
定年してからもあと15年生きなきゃいけないってことに
もはや絶望を感じるよね。
え、15年も何して生きようかっていうね、手持ち無沙汰よね

それこそ私は定年したと同時くらいにピュッと
東南アジアらへんに飛んでね、井戸を掘れてたら
どんなに幸せだろうかとおもうんだけどね、
こう今を今を生きる中で道の何一つも作れてないからさ
これはもう行き当たりばったりだぜと
煮を詰まらせている途中なんですよ。

まさしく暗中模索。若い頃は大いに悩め、そして行動しろ
みたいなことを大人はいってんだけどね、
もう小学生くらいから悩んでても一向に解決の糸口が見つからないんだけど
こういう場合はおとなしく敷かれたレールを辿るべきなのか
新しい道を作るべきなのかというところですが何せ
道を作るべき当本人がもう道作るのにふさわしくない心持ちと
言うなればバスケするのに格好ドレスみたいな
まったく準備不足な状態でほんと暗中模索。


小学校くらいから、おや、これはなにか大変だぞ
って思ってて、するとやはり歳を重ねるごとにだんだん
確信に変わってきてね日本の社会はどうやら私には
合わないんじゃないかという疑問がまた浮上してきてね
ていうのも今必死に抵抗しているというか
まだ何も一人で成し得たことが無いからここの確信は
つけないんだけど、その確信をつけるくらい日本で働く意味があるのかな
っていうこととこの疑問をなるべく早く解決したいっていう思いが
合いまってんだけどこうやって少しいやなことがあると
逃げてしまおうとする自分もいることは認める反面
どうしても働くことに対しての疑問が大きいわけね


学生と社会のミスマッチがやっぱり大きいと思うのね
準備できてないわけよ。1年か2年はさ、絶対猶予与えるべきだと思うの
そんなこと言ったら何を甘えているんだとか
社会はそんなに甘くねぇよとか言われそうだけど
現にヨーロッパとかじゃ学校でてすぐ働く人のほうが少ないそうだし
どうせ今から長いこと働かなきゃいけないんだから
それなら自分がやりたいこと突き詰めればいいじゃない
みたいな風潮なんだよね、その代わりの代償として
絶対成果主義という日本人にとっては大きなプレッシャーが
のしかかってくるんだけど、まぁ日本みたいに一回入った会社が
辞めにくいってわけでもないしね、物は捉えようよね。


で、わたしのただ呆然と漠然な人生プランのなかで
その疑問を解消できるか
その結果自分はどうしたいのか
っていうことを考えたいからね
もう親には頭を下げたわけよ。

すみません、私はまだしばらくお世話できそうに無いし
まだまだ迷惑をかけそうなのでよろしくお願いしますと。

そしたら親は自分のお金ですべてをやるのであれば
私たちは何も文句は言いません。好きにしてください。

と交渉成立をしているので、あとは軍資金が貯まるまで
疑問の種を増やしながらいやだいやだとダダをこねる毎日です。
短期スパンで考えるとあと一年。
勝負が始まりそうです。
本当に自分で自分を追い詰めるのが好きだぁと思います。

今日トイレに行ってぱっと下を見るとびっくり仰天
ズボンの股の部分がぱっくりご開帳しててね、えぇ
破れていたわけですよ。そりゃあもうぱっくりと
ここで気づいたのが朝の8時。もう仕事場なわけ

もうね知らん振りして一日を過ごすとあら不思議
誰一人気づかないよね。っていっても裂けたところが股だからさ
誰一人として股を覗くやつなんていねーからさ
気づかれるはずも無いんだけど
ま、何ていうかみんな他人なんか見ても無いよねって話。


この国の大半の人たちは、馬鹿を見ることを恐れて、
何もしないじゃないですか。馬鹿を見るほど恐れてる、
馬鹿ばっかりですよ。

っていう耳の痛い言葉を全く言い返せないほど
自分を甘やかしに甘やかして甘やかしの魔術師って
コナンの今期映画タイトル狙えるんじゃないかってくらい
甘えさせてんだけど、今日駅のホームで
大きなキャリーバッグを持ったおばさんが
エスカレーター降りててその後ろから忙しそうなおばさんが
降りてきて電車に乗り遅れたんだけど

「くそ、間に合わんかった」

って独り言をぼやいて荷物を持ったおばさんをちらっと見たわけね
私も丁度その時珍しくイライラしてたからその一連の流れを見て
あぁ、結局人っていつまで経っても自分本位なんだよな
としみじみ世知辛さを噛締めたよね。


で、人ってさ何かを決めるときに手っ取り早い方法が
「好きか嫌いか」とか「都合がいいか悪いか」
っていう本能的な部分で決められたら一番気持ちいいと思うわけね
好きだから付き合う、都合がいいからこれをする
それでうまくいくときはいいんだけど多くの場合
そう簡単にはいかないわけじゃん
私の股のようにいとも簡単に破れてしまっては
社会の窓の役割を放棄したと言っても同然なわけよ

よく現状に対してこんなはずじゃなかったとか
もっといい状況になれたはずとか
だったらいいな論をろくな努力もせず飄々と言う人
私も軽々しくもし~だったらこうだっただろうになぁって
現状を見向きもせず想像を駆り立てるのが得意なんだけど
じゃあ実際もしも論の世界が与えられたとすると
うまくいくのかっていうと絶対うまくいかないよね

実際頑張る人もいるんだろうけど現状に満足している人なんて
特に社会に出るとほとんどの人が疑問を抱きながら
得意先に電話かけたりよく分からない起案作らされたり
わけもわからず怒られたり、無理難題なノルマを突きつけられたりして
お給料という対価で我慢をしているんだと思うんだけどどうでしょう


自分のやっていることって結局は自己満足だと究極思うのね
だからこそさ、自分にとって居心地の良い環境を
整えてやることが自分にとっては一番なんだろうけど
それはそこに住み着くまでの過程がきっと必要なんだと思うし
どの世界においてもやっぱり土台はしっかり作っておくべきだよね
本当に難しい世の中です。


と今日は自分を鼓舞する意をこめて
あまりにも人にうんざりすることが重なったので
今から股を縫ってあげようと思います。