今年も、日本のプロスポーツのトップを切って、「大相撲初場所」の熱戦が東京・両国国技館で繰り広げられている。
毎年初場所では、横綱を始めとする上位力士の「強さ」と「技のキレ」に各メディアだけでなく、相撲ファンや外国人観光客が熱狂するのだが、今年は異様に静かな日程消化が進んでる。
それもそのはずで、今年の初場所6日目となる今月17日、久々のモンゴル出身力士で横綱に昇進した第73代横綱・照ノ富士関が、突如引退を発表したのだ。
足腰のけがを抱えつつ、今場所に3場所ぶりに進退をかけ復帰したのだが、四日目の取組にあっさり敗れると、5日目からは休場となり、今回の結果に至った。
それにしても、最近の大相撲の「横綱」は、余りに短命と言わざるを得ない。「横綱」だけでなく「大関」にしてもだ。
私が子供の頃は「北の湖」「輪島」という「絶対的横綱」や「旭国」などの「大関」が、どうだと言わんばかりの力技を繰り出し、土俵を沸かせた。
しかし今の大相撲では、照ノ富士関の前に横綱だった第72代横綱・稀勢の里関も、僅か二年足らずで土俵を去った。その前の鶴竜関・日馬富士関も5年そこそこ。「平成の大横綱」と言われ久しい第69代横綱・白鵬関が15年余り「横綱」を務めたのと比べば、雲泥の差がある。
力士は「体作り」を名目に、過食な生活を続ける余り、間接等への体重負担や内蔵機能が過食による負担に耐えられず、糖尿病や肝機能障害を患い通常生活にも支障が生じる程、番付が挙がる程にそうした傾向が顕著になるそうだ。
続に「あんこ型」と呼ばれる力士体形が、自身の体調に会うと言うならまだしも、健康を害してまでも、そうした体形作りに拘った食生活をさせるのは、本当のアスリートの姿と言えようか。
さらに、大相撲を巡っては、「横綱」など上位力士への推挙を巡り、今話題騒然となっている放送・芸能界の様な、実力無視の興行優先の番付が行われている。そうした事が「短命横綱」が連発すると言う異常な状態を引き起こしてるのではないか。
いまの「日本相撲協会」は、相撲と言う「スポーツ興行の実施」を行う一方、「相撲文化の保持継承」をも目的としてるそうだが、「文化の保持継承」に偏り過ぎて、「横綱」など番付に拘り過ぎてるのではないだろうか。
純然たるスポーツとしての相撲の醍醐味を味わいたい我々としては、番付云々よりも、かつて第65代横綱・二代目貴乃花関が提唱した力士全てに一切番付が無く、トーナメント方式で賜杯を競う様な姿こそ、今後の相撲発展には、相応しいのではないだろうか。