以前から世の中の色々な事に関してモヤモヤする事が多かった。
仕事に追われ周りを見る余裕が今まで無かったのだけれど様々な事が今年1年で起こり自分の周りを見る余裕が少しずつだけれど戻ってきた。
そんな時目に付いたのは何とも悲しい現実。
満員電車で我先にと列を無視し人を押しのけてまで座ろうとする人。
「ここでは飲食禁止」と書かれているのにも関わらず周りの人が食べているからとその場で立ち食いする人。
ファミレスの店員さんに対し、ほんの些細なミスをネチネチと上から目線で言い続けるお客。
正義という名の集団的な言葉の暴力で人を貶めて優越感に浸る人。
そして特に私が悲しみと落胆を感じたのは……。
「自分の心に正直に」「ワクワクする事が大事」と言うスピリチュアル的な考え方をはき違えている人が多いということ。
確かにこの2つは大事なこと。
決して間違っていない。
しかし意味を履き違えるととんでもない事になってしまう。
特に最近目立つのか「ワクワク」したのだから何をしたっていい!
と傍若無人な振る舞いや身勝手な行動すら正当化してしまう人。
そう、それはまるで今年問題になった渋谷ハロウィンの暴走のようだ。
楽しければ問題ない、なんとかなる。
ワクワクしたのだから正しいはずだ。
しかし、ワクワクしようが心に素直になろうが大事な人としての根幹が伴っていなければ意味が無いしそれが無いまま集団化すればタダの秩序の無い嵐だ。
次元上昇。
3次元から4次元へ。
確かに上には素晴らしいものがあるだろう。
しかし足元には綺麗な草花、もしかしたら花壇、花畑があるかもしれない。
先程の無秩序な人達は、上は素晴らしい素晴らしいと言いながら上ばかり見上げて足元の綺麗な草花に気付くことなく踏み荒らしているのだ。
本当に自分というものを認識できた人は上を繋がり見つつ足元の草花にも意識が向いている。
だから自分の心に素直に行動しても足元の花々を避けて歩き踏み荒らすことは無い。
踏み荒らす人、荒らさない人。
違いは何か。
これは個人的な解釈だがそれは「道徳心」だと思う。
そう、「人としてどうあるべきか」
この考えが根本になければ意味無い。
これが無いまま行動すれば始めは良いかもしれないが後々破綻する。
そんな人を私はこの1年何人か見てきて思った。
モヤモヤの原因はコレなのだと。
いくら周りから尊敬され崇められるような人でも何故か納得出来なかった理由。
ヒトとしてそれってどうなの??
やりたい事やったあとは知らんぷり??
後始末も何もせずに「まぁいっか」?
ヒトとして当たり前の事を「ドヤ!」さも凄いだろ〜と言う。
何故みんな不思議に思わないのか……。
それこそ上ばかり見て周りが見えていないのだろう。
いや違うな、そもそも感覚の中心が自分ではなく他の価値観になってしまっているからなのだろう。
あの人が言うから正しい。
あの人のやることに間違いはない。
何をしたってあの人は可愛い。(例えおかしなことをしようと)
あの人が〇〇してたから
あの人が〇〇だから
あの人が〇〇って言ってたから
あの人が〜
あの人が〜
あの人が〜
自分の感情が無いじゃないですか!!
あの人がどうこうしてても大事なのは自分じゃあないのでしょうか?
その人のおかしな所を「ちょっとそれってどうなの?」って忠告することも無く「ウケるー」「可愛い」の一言で片付ける。
百歩譲って…いや千歩譲って「ウケるー」はいいとして「可愛い」って意味がわからない。
みなさんもう一度冷静に物事を見てみてはいかがでしょうか?
ここまで色々書いていますがぶっちゃけそんな偉そうなことを言う程できた人間じゃあ無いです。
でも自分の中ではここだけは譲れないものがあるんですよ。
それは自分の正義を、道徳心を貫き信じること。
ヒトとしてどうあるべきか、1人間として心の芯を通すこと。
今の日本、これが無くなって来てると思います。
思った事をツラツラ書いていて文脈などグチャグチャで何を言っているか分からないのですが
今の私の思いを書いてみました。
さぁ、書いたからには自分も気持ちを引き締めてまた明日から頑張って行かねば。