よのなかには

ツイッター、2ちゃんねる、ニコ動、各種SNS、など

マスメディア以外にも

たくさんの情報を得る手段がある。



時にそれらのメディアはテレビや新聞よりも

スピーディーに、かつニッチな情報も

比較的簡単に知ることができる。





今回の地震・津波災害でも

それらのツールや関連するキュレーションサイトなどは

非常に多くの人が情報を共有する場、となっている。






地震発生から3日。

ただ黙ってこれらのウェブ情報を見ていて

僕が一番強く感じたことは





『ウェブ社会の中で

個人が情報を発信する、という

文化・常識はまだ形成されていない』

という厳然たる事実。




テレビに代表されるマスメディアは

広く情報を人々に届ける機関。

だからこそ、時に彼らは

批判されることもある。

彼らは時に方法論を間違えたり

義務を権利とはき違えて

増長した意思を世間にまき散らすこともある。


原発の記者会見で暴走した記者は

その典型例だと思う。




でも大枠として災害報道を見ていて思うのは

彼らの報道の根底には責任感がある、ということ。


間違えたことを報道すると

叩かれるから、というネガティブな要素もあるけれど

やはり長年培われた報道リテラシーというノウハウが

彼らの情報配信には感じられる。


それは

ソース・出所があやふやな個別情報の類は

事実と誤認される報道は決してしない、

という責任感。





冒頭にあげたような個人発信が混じる情報媒体には

総体としてこの責任感に欠けている。




勿論個々の人たちは

「なにかをしたい」という

温かい気持ちが発端となって

知りうる、感じうることを

投げかけてはいる。

それ自体には何の問題もない。



けれど、そこには情報の発信手であるからこそ

絶対に必要な、

事実の正確さの確認が

かなり高い頻度で欠けている。




結局デマコギーとなってしまった

関西電力関連のチェーンメールなどは

人々の善意が結果として形にならなかった

悲しい事実。



「困っている人たちになにかをしたい」という

自然で素敵な気持ちが

気づかぬ内にヒステリックに、扇情的に、

なってはいないだろうか。




東北でも関東でも

被災地の方々は

冷静に社会的規範を守って

行動している姿が報道されている。


なのに、義援・支援する人間が

自分たちの気持ちをコントロールできず

ヒステリックになり

本当に求められていることを

伝えられないのはどういうことだろう。




ツイッターの各地震関連のハッシュタグを見ていて

「拡散(希望)」という言葉が

とても暴力的に見えてしまった。

まるで脅迫されているような錯覚も覚えた。



正しい情報や知識を

より多くの人に伝達することが

間違えているのではない。

マスのメディアにはできないことが

個人発信メディアにはきっとあると思う。



だからこそ

今自分が知っていることが

本当に事実なのか。

事実であるだけではなく

伝える相手の状況に適しているか。

を冷静に判断し

責任感を持って

世の中に伝えることができないだろうか。



これが常識になれば

情報はより価値のあるものになり

多くの困難な状況からでも

「ありがとう」が広がっていくと思う。




善意がそのままの形で生き続けることは

とても難しい。

そんなことを思ってしまった。



当然、自戒も込めて。



※長文と、まとまりのない勝手な感想を失礼しました。



【参考:地震に関するデマ・チェーンメールまとめ】
http://hara19.jp/archives/4905