5月のダーナ・キャンプ
ダーナはキングス・ハイウェイ沿い、カラクとペトラのほぼ中間にある谷にある村の名前です。この村はオスマン帝国時代にできましたが、今から50年ほど前、ほとんどの住民が出て行ってしまい、ほぼ廃村となっていました。オスマン時代の風情を残す住居だけが残され、廃墟趣味にはたまらない村になっていましたが、最近、ダーナ谷全体が自然保護区になり、RSCN王立自然保護協会が運営するようになると、なんとかかつての住民にUターンしてほしいと、ダーナ村自体にも金属アクセサリーなど住民ができる仕事を持ち込んだりして、だんだんと村にも人が戻ってきています。
ダーナが自然保護区になったのは、標高1500mから0m以下に至る長大な谷間に、バラエティに富んだ野生動物が見られ、なかには希少な動物も多いこともあるのですが、なんといってもここが渡り鳥にとって重要な休息ポイントだからです。沙漠が多い西アジアにあって、死海東岸は貴重な緑地帯が続いており、アフリカとユーラシアを行き来する渡り鳥の「回廊」になっているのです。
RSCNはダーナ自然保護区内に3カ所の宿泊施設を整備しています。1つはダーナ村にあるビジターセンターで、近代的な建物内にあるホステルといった感じ。1つはほとんど海抜0m近くまで谷をずずっと下ったフェイナンという、ユダヤ時代から精錬を行っていた銅山の跡にあり、こちらは太陽光発電パネルが屋上にずらっと並ぶ「エコ・ロッヂ」。そしてもう一つが,ダーナ村から北に5kmほどの尾根の上にある、自然派キャンプ場のルンマーナ・キャンプです。
見わたす限り茶けた土漠が広がるヨルダンに住む日本人にとって、緑豊かなダーナは心安らぐのか、ここでのキャンプは非常に人気が高く、だいたい5~6月頃になると、誰からともなく「ダーナにキャンプに行くんだけど、一緒にどう?」というお誘いがあるのです。
5月も下旬ともなれば、南部を中心にヨルダンは夏に向かってぐんぐん気温が上がって行きます。標高が高いダーナでも、昼間はかなり暑い。1枚目の写真は真っ昼間ですが、テントの日陰に逃げてうだうだしているところ。男二人は半袖Tシャツですが、基本は長袖の方が良いでしょう。からっとしているので、日陰ならエアコンなしで大丈夫なのは、ヨルダン中、夏を通して変わりません。
朝晩はわりと冷えるので、日中肌を守るためにも、薄手の長袖が欠かせません。2、3枚目の女性陣の服装は、夏のヨルダンの基本といっていいでしょう。男性でも日焼け止めは忘れずに(特に首筋とか)
アレッポのキリスト教徒
ヨルダンと異なり、シリアの大都市にはキリスト教徒が集住している地区があります。シリアでもイスラム教徒が8割以上、キリスト教徒は2割程度でしかないのですが、集住することで無用の摩擦を避けているようです。服装もそう。写真はアレッポのラテン教会付近で見かけた美男美女のカップル。ラテン教会は狭い路地が入り組む旧市街アルメニア人地区ではなく、アズィーズィーエと呼ばれる新市街側の地区にあります。さすがキリスト教徒といった感じの半袖ポロシャツを着こなし、まるでモデルのようです。だいたい、こんな写真を撮らせてくれるところから違います。というか、ヨルダンのイスラム教徒なら、婚約前はこういったデートすら御法度です。
真夏の都市部
先にも触れましたが、だいたい5月下旬から9月いっぱいくらいまでが、ヨルダンの盛夏。ただ、日本のようにだんだん暑くなって次第に寒くなるというゆるやかな感じではなく、暑い時には40度前後が3~4日続き、それ以外だと35度前後、たまに30度程度の涼しい日がやはり3~4日続くという、周期的な変動があります。ですので短期旅行者がどんな暑さに合うかは、まったく運次第。例えば、2006年6月はわりと涼しく、ペトラなんかにいっても下手すると3月よりずっと回りやすいんじゃないか、という日があったりもしました。
なお、からっとしているので、42度といっても日陰に入ればそれほど暑さを感じません。建物も分厚い壁で熱を通さないようにできているので、なかにいればやりすごすことはできます。アンマンの私が勤務していた役所も、エアコンなしでしたが、崖に面していて部屋も両方に窓があり、風が通るのでよっぽどきつい数日以外は、なんとか仕事ができるといった感じ。ただアップタウンの繁華街にあるビルとかだと、風通しも悪いし空気も排ガスで汚れているので、日中人がたむろするオフィスだとたいていエアコンが稼働していました。
写真は上から
6月のアンマン・ダウンタウン
6月のイルビッド・ダウンタウン
7月のアンマン、私の同僚たち
です。肌の露出を避けるというイスラームの教えの影響もあるでしょうが、ワイシャツのような薄い長袖を、場合によって袖をまくり上げるというのが、ヨルダン人男性の夏の基本スタイルです。若者なら半袖Tシャツもありですが、陽射しはきついので、肌の保護のためにも長袖をお薦めします。なお、型まで出るタンクトップや、ハーフパンツ類はNGです。半袖ならまだ教会にもモスクにも入れますが、タンクトップやハーフパンツは、当然入れませんし、現地人の感覚だと、「見苦しい」といったところです。
真夏のペトラ
ペトラ遺跡は谷間にあり、あまり風が通らないのと、遺跡を巡るトレイル沿いには日陰が少ないので、夏の遺跡巡りはワディ・ムーサで前泊し、早朝から遺跡に入ることをお薦めします。朝6時から開いています。最も有名なエル・ハズネまではワディ・ムーサからだらだら歩いて1時間くらい。10時半~11時半くらいがエル・ハズネに太陽の光が当たる時間なので、歩くのが嫌いでない人は、まずはローマ劇場や体力があれば列柱通りの沿道遺跡まで涼しいうちに先回りして、エル・ハズネに戻るといいでしょう。ちょいと歩くのがえらいですが、ペトラのメインストリートである列柱通りは真っ昼間、太陽の照り返しが強烈での、とても周りを見ようとは思えなくなるほどです。
写真1枚目はエル・ハズネ~ローマ劇場間、ちょうど犠牲祭壇への登り口あたりの朝9時頃。6月下旬です。陽射しがきついので、長袖長ズボンが基本です。後ろ向きの女性2名が日本人観光客。ちなみに犠牲祭壇への階段は、午前11時までなら半分以上が日陰ですので、きついけどなんとかなります。11時過ぎると、私でも登る気はしません。ロバを雇いましょう。ただ、ここの区間のロバは、観光客が多いので強気ですから、エド・ディルに比べると割高です。
写真2枚目は昼下がりの列柱通り。6月下旬です。この時間帯のこのメインストリートは、ごらんのとおりさえぎるものが全くない炎天下。ヨーロッパ人の観光客は、基本的に半袖が多いですね。彼らの皮膚が日本人より太陽光線に強いとは思えませんが。
しかし、ヨーロッパ人はなぜあんなに肌を焼くのが好きなのでしょうか。日焼けで真っ赤っかになっていたり、シミだらけになっていたりするヨーロッパ人をよく見ますが、現地に住んでいる間は、やはり「見苦しい」といった感じで見ていました。北部ヨーロッパから来ると、太陽が出ていて、肌を焼けること自体が、喜ばしいことなのかもしれませんが。
写真3枚目は7月のシーク。この時のヨーロッパ人も基本半袖でした。シークはまだペトラの入口ですので、元気ですね。ペトラは、往路が沢下り、復路がだらだら坂上りになりますので、疲れた帰り道をどうやって乗り切るかがポイントです。乗り物はいろいろありますが、疲れた復路に使うといいですよ。最新版の歩き方には区間別の乗り物相場一覧が載っていますので便利です。
真夏のウンムカイス
北部丘陵地帯、風通しの良い尾根の上にあるウンム・カイス遺跡でも、夏はかなりの暑さ。ここはガダラの豚の話で知られるイエスゆかりの地なので、熱心なキリスト教徒がよく来ています。イエスの伝道活動の拠点だったガリラヤ湖も一望できます。
写真の一行はガリラヤ湖展望ポイントで聖書を読み合わせしていました。
真夏のワディ・ラム
8月にワディ・ラムに行った時の格好です。やはり昼間の陽射し対策で薄手の長袖を羽織るというのが欠かせません。真夏なら、夜でも半袖で過ごせます。蚊もいることはいますが、あまり気になりません。パイプベッドをテントの外に出し、満天の星の下で寝るのは最高です。できれば新月の夜がベストですが、旅行者はそこまで日程を合わせられないですよね。
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