いまでは遠い夢のような出来事について

 

 

1966年頃の話

 

父の運転で開通して間もない名神高速道路を走り紅葉パラダイスへ行った時のこと。

 

クルマはマツダB360のライトバン。全長3m・全幅1.3mの小さなクルマでしたが、父が試しにアクセルを全開にすると、メーター読みで時速84kmを計測。

 

注意深く運転してのものでしたが、それが父の高速道路初体験。

 

行先の紅葉パラダイスで乗ったジェットコースターはシンプルなものでしたが、個人的には乗る必要性を感じませんでした。なのに、実人生で乗りまくることになるとは当時夢にも思いませんでした。

 

 

1972年頃、父の運転でプレストロータリーTSSセダンを快適に飛ばして伊豆方面へ行ったことも現在では懐かしい想い出の一つです。

 

 

 

 

父は戦前郵便配達を自転車でしていた経験があり、戦後はクルマを数台乗り継いだ後、2007年84歳で免許の更新をして間もなく事情:認知症の疑い:で返納。

 

 

クルマも手放して曰く、体の一部を失ったような気がする。

 

その後4年間、一緒に買物や用事に数十回出かけたことも、いまでは遠い夢のような出来事です。

 

 

 

 

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作文集1

 

 

小6の時YO君と物々交換をしたことについて

 

塾の遠足で水晶採りに行ったことがあり、幾つも小さな石柱と欠片を採って来たけれど、それを持って学校へ行くとYO君が僕の漫画本と交換してくれと言って来た。

 

断ればいいところ人の好い自分は受諾してしまい、結局数日後貴重な水晶の欠片複数を古本数冊に換えられてしまった。しまったと思っても後の祭りという話。🤔

 

 

 

中二の時KS君に**中心的と言われて茫然自失したことについて

 

それでよくよく考えるようになって悩んだ結果、一人っ子的に育った自分は社会性が未熟だったという結論に。心理学の本を何冊も買って読むようになり少しずつ成長して現在に至りました。早

 

そして世の中を広く見渡すと動物も人間もエ*イズムの競争や戦争をしている。自分はそんなことはしない。と気が付くことに。

 

 

 

中一の時SY君に唐突にジ*アス気取りと言われてぽかんとしたこと

 

小学生時代、同じ集落に同級生のFY君がいて親友だったけれど、それなりに対等な付き合いをしていたと思う。問題は中学生になってから学校の雰囲気も同級生の様子も一変したこと。

 

生意気盛りというか大人びていくというか。自分よりよっぽど秀才を気取っている人達がいたけれど、私にそう言ったSY君は彼らのことをどう思って見ていたのか。

 

その渡辺君二人・田中君・吉田君・木浪君・中野君・社本君などの優等生の人たちは現在どこでどうしているのか。国が滅亡したことをどういう思いで見ているのか尋ねてみたい。

 

 

 

 

 

 

姉について

 

姉がいるけれど8歳年の差があり、それなりによく会話するようになったのは12歳から15歳の頃。部屋で少し話し込んだり、二人で名*屋へ遊びに行ったりしたことも。その後、紆余曲折はあったけれど姉がいてくれたことは幸運の一つです。

 

 

 

 

 

 

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まとめました

 

 

世界のどこを見ても様々な分野に先人・王様・先生・先輩・指導者・発明者・記録保持者などが存在する人間社会。:順不同

 

個人的な話、自分は何者でもありません。真善美愛の本質を探究しているだけの一人のヒトです。興味のある人は見守ってください。そうでない人は見ないでください。

 

 

大袈裟にいうと世界と歴史の全体と本質・あらゆるものをそれなりに経験・見聞・考察して来ての結論を書くと、相互に尊重・棲み分け・等価交換・自律・協調が理想的。根本原理を改めると世の中の問題はすべて解決可能に。

 

あらゆる個人も集団も他者に干渉しない。押し付けも搾取もしない。それを正当化することはしない。哲学することが最善の選択。

 

探求して行くと誰でもそうなるのでは。🤔

 

 

不毛でも生産的・建設的でも必要な人は論争するのもあり。したくない人は社会的役割と問題解決に専心して取り組めば良いのでは。

 

 

 

改めて、片隅で根気強く勉強を続けることにします。

 

 

 

 

 

 

追記予定