私は貧乏商家の次男坊にして、基本、浅学非才、
無知蒙昧(*_*) ただ不思議なことに(実際は、
祖母の薫陶のお陰か)、本だけは好きで、子供時
代からの大の勉強嫌いも加わり、勉強そっちのけ
で、多くの分野を乱読してきました(常に焦燥感
に追われているようで、そのためか、小説類は先
ず読みません。本当は読みたかったのに!)。
こんな身ではありますか、ナンカ唯一の取り柄と
して(大げさで恐縮ですが)【本質を見抜く眼力
(慧眼・炯眼→眼光炯々として、の炯です)】と
言ったモノが身に付いたようなんです(大汗!).
本当に私の唯ひとつの大切な取り柄です。政治・
経済でも、国際問題でも、社会現象でも、瞬時に
『本質はココ!』と見抜けるつもりなんです<勿
論、私の勝手な自負に過ぎませんが(^^ゞ >。
よって、自分としては有り難い限りで、今日まで
大過なく世間を渡れたのも、この能力(?)のお
陰と感謝しています<マスコミが垂れ流す、大々
的フェイクニュースにも、ほとんど引っかかりま
せん(^o^) >。
そんな眼で、たまたま手にした、泉ウタマロ著、
『人生逆戻りツアー(1234円)』(最近、文庫本
もあり)は、瞬時に、「これは神の書か!?」、と
思った<見抜いたwww>次第です。
私は、アマゾンで、7円で買いましたが(他に送
料350円)、こんな所にも、神書としての、本質
が隠れているように思えます(高価な本が価値あ
る物とは限らない)。大寺の寺男こそが真の仏教
者だったみたいに。
とにかく、読みやすく、且つ面白い! そして、
あの世とこの世の仕組みをシッカリ解き明かして
いるようです。無論、一番大切な、『因果応報』
の教え! も。即ち、現実、身に起こる全ての現
象は、良きも悪しきも前世の報い。業(ごう。カ
ルマ)の成せるワザ。例えば、理不尽な死に方を
した子供を思うと、親は一生、苦しまなければな
りません。しかし、『因果応報』の教えを良く良
く理解すれば、早くに諦めもつき、苦しみからも
解放される訳です(全世界の人々が、小さい時か
ら必ず知るべき教えと思います)。

本の内容紹介では、「口コミでベストセラーの小
説。『そろそろ君の人生を回想しに行こう。でも
今回は逆向きでね』。。。
ついうっかり死んでしまった主人公は、三人の天
使に見守られ、自分の人生を“逆戻り”に見てい
くことになった。勤めていたスーパーでの理不尽
な出来事、愛する妻から突然の離婚宣言、さらに
は過去生の農村の女性だった自分まで・・・。
何でこんな人生なのか? 何のために生まれ変わ
るのか? 疑問を持った主人公の前に現れた神様
とは!? 笑いと感動のストーリー」。。。
別の内容紹介では、、、
「貴方は今、自分が望む人生を生きていますか? 
自称『ダメダメ男』の主人公は、あっけない死に
方で64年の生涯を終え、あの世の世界 【魂の
領域】へと帰還した。そこで彼は三人の守護天使
と再会し、たった今終えたばかりの自らの人生を
逆戻しで振り返る旅に出ることに・・・。
彼は再度自分の生涯を体験する中で、地上での人
生と、死後の人生がどのように機能し合っている
のかを徐々に思い出していく。
そして、意外な風貌の神さま【創造主】との対話
から明かされる魂のシステムとは・・・。
私たちの『存在意義』とは何なのか? 私たちが
この世で生きる『ミッション』とは何か、を問い
かける、愛と笑いの物語。あなたの人生を変える
自己存在再発見ストーリー」。。。
と、紹介されている通りの書物です。当然のよう
に、スピリチャルの大家、山川紘矢・亜希子夫妻
も大絶賛です。
皆様も、お暇な折にでも、是非、ご一読を! 

実は3/1ごろから、ノドに違和感があり、何かが
へばり着いている感じでした。感覚が強くなって
きたので、一週間後くらいに、懐中電灯で、ノド
をのぞいてみた所、何と500円玉くらいの気持ち
悪い腫瘍が出来ておりました。腸や胃に1cm位の
腫瘍ができても大騒ぎなのに、500円玉大とは、
正直、ビックリと言うところです。
3/9、最初、口腔内と思い、口腔癌診断を行う歯
科に行きましたが、口腔では無いと、耳鼻咽喉科
への紹介状をもらいました。
3/12、大阪の大きな拠点病院で診察を受け、先ず,
(中部)咽頭癌で、ステージⅡ~Ⅲ、何もしなけ
れば、やがて腫瘍が大きくなり飲み込みに支障が
生じ、時に出血も。その際はノドに穴を開け止血,
との恐いお話し。余命も10ヶ月くらい。但し、
直ぐ治療を始めれば、80%は治ります<注1>、
との力強く、有り難いお言葉と共に、即、3カ月
の入院を強く勧められました。その1週間後の生
検の結果も同様でした。 
今日は、5月の12日なので余命は、あと8ヶ月をチ
ョイ、切って参りましたね(笑) 

むろん、私は、自身のブログに書いているように
手術・制癌剤・放射線の三点セットである西洋治
療は受けません<例えば、2015-10-28付、【癌
の正体・癌は恩人。友を失ってなるものか!】→
もちろん、内容は、医学常識とは隔絶する、私の
独りよがりの話に過ぎませんが。 然し、癌と闘
わず、仲間と思うことで、精神状態はスコブル良
好です(^o^) なお、友人は、残念ながら翌年春、
他界しました(*_*) >。 西洋医学の手術関係、
薬による細菌・ウイルス性対策、診断能力は高く
評価していますが、慢性病など癌を含む、その他
の現代治療法は全く感心していないからです(よ
って、私が求めるのは正確な診断のみです)。
西欧先進国では標準となりつつある代替療法(こ
の為か、西欧の癌患者は減少に転じていますが、
ひとり我が国は急増を続けています。先日まで3
人に一人が、唯今は2人に一人が癌と言う、凄ま
じいばかりの有様です)で対応していきます。

色々調べたところ、フコイダン(海草のネバネバ
成分)、スギナ茶、良質なミネラル・ビタミン、
及び3年前から続けている、重曹(毎日、小さじ
1杯飲用)などが良さそうです<注2>。
何よりは、癌の大好物:ブドウ糖(炭水化物)の
摂取制限と、なお一層の少食(粗食)を心がける
事。当面、これで対処していきます<注3>。
前回アップの、日独伊のブログ風に言えば、我な
がら『勝機』ありです(笑)。
所で、制癌剤・放射線の副作用で食欲が消失しま
す。そのため、病院では栄養補給で点滴をされま
すが、その内容がブドウ糖液だそうで、何で癌の
大好物を? と、ナンカ首をひねってしまいます。
最近、若いアスリート(40代位)のガン死も多い
ように感じます。彼等は、刻苦し節制し自己鍛錬
を重ね、一流の選手となって参りました。それな
のに、癌などの大病に罹ると、アッと言う間に、
全てを西洋医学に丸投げしてしまいます。自分の
体です。誰も(医者も)保障してはくれません。
少しは自分で調べて、対策を考えたほうが良いよ
うに思いますが・・・。

 <注1> 
西洋医学の癌生存率は確か5年です(5年以上生
存は、治療が成功したと見なされる)。つまり、
5年と1日後の死は癌死では無い訳で、別名での
死となります。例えば、心不全とか、肺炎とか、
心筋梗塞とか(最近、やたらと、「心不全」の死
が多いと思いませんか?→原因は殆ど癌死ではな
いか、と)。80%助かると言われても、制癌剤・
放射線で正常細胞がズタズタにされ、ヨロヨロの
状況で、たったの5年強生きたとしても、全く無
意味な事と思います<注4>。

 <注2> フコイダン等について。
私はガン判明と共に、「FDG1000」(シンゲンメ
ディカル社)、「フコイダンカプセル」(アスリ
ード社)、「フコキサンチン」(アスリード社)
を求めました(それぞれ3倍量)。
「FDG1000」は、癌の大好物ブドウ糖の偽物で、
ガンが好んで取り込むが、中身が空っぽなので、
結局、兵糧攻めに。「フコイダンカプセル」は、
免疫力の大幅なアップ。「フコキサンチン」は、
癌細胞の自己死(アポトーシス)を積極的に引き
起こす、と言うものです。
何れも、ネット情報から得たものですが、特にア
スリード社からは、誰にでも分かりやすい、数部
の冊子が無料で貰えます。又、正式な成分分析所
のお墨付きが付いていましたので(どれも高価な
のか、紛い物が多い)、信用して購入しました。
電話営業など、一切無いのも好感が持てます。
服用2カ月ですが、お陰様で、癌発見以来今日ま
で、特に目だった痛みや衰えなどはありません。
そのうえ、ナンカ腫瘍が小さくなっている感じも
<無論、気のせいか?(笑) でも大きくなって
いないのも確か(^o^) >。

 <注3> 
先日までは、朝、バナナ1~2本、昼は無し、夜
はドンブリ1杯の「味噌・野菜のモチ麦雑炊」だ
けでしたが、本日から、一段と食事を制限し、朝
のバナナも無くし、一日1食にしました。
ネットで、癌患者さんの食事法を見ますと、医者
から「栄養を付けて、免疫力を高めましょう!」
とでも言われるせいか、セッセとグルメ並の栄養
食を、無理してでも摂っている人が多すぎるよう
です。反対に、私みたいに粗食にした方が良いと
思うのに! だって、癌って『富栄養病』の一面
もあるのだから。グルメ並は癌を益々増大させる
食事法と思います(代表的なガンの代替療法に、
断食療法があります)。
この件に関しては、船瀬俊介さんの【一連の書】
や、森美智代さんの【食べること、やめました。
1日青汁1杯だけで元気に13年】等がとても参考
になると思います。

 <注4>
2016年の国立癌センター統計によれば、ガン死は
37万強と発表されています。然し、実際は100万
以上と囁かれています。
然し更に言えば、3人に一人、2人に一人説自体
が大いに誇張されているように思えます。現実に
全国民は 13、000万として、2人に一人なら、
6500万人が癌。何処をどう見ても、そんな数字は
あり得ません(飲食物の汚染ぶりを見れば、癌が
ドンドン増えていくのは自明のことですが)。
この数字は、2人に一人、よって誰もが罹る、と
癌の恐怖を植え付け、多くの人を、癌検診に向か
わせ(船瀬さんなどは、健診は受けるな! 有害
無益そのもの、と切り捨てています)、結果、ガ
ン患者の大量生産をモクロみ、癌保険も売れまく
り、医療マフィアが大儲けする仕組み、と邪推し
たくなります。
何にせよ、『因果応報・輪廻転生』は世の習いで
す。彼等マフィアの地獄行きは、最早、免れない
でしょう! 
<2017年07月06日付け【早期健診→早期発見→
早期治療→早期死亡!】参照>。

1941年7月、総力戦研究所(主に、若手官僚や専
門家を集めての継戦能力研究。1940年10月1日開
所)に於いて、日米戦争を想定した第1回総力戦
机上演習(シミュレーション)発表。
軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項<兵
器増産の見通しや食糧・燃料(石油)の自給度や
運送経路、同盟国との連携など。及び日米の国力
差>について各種データを基に分析し、日米戦争
の展開を研究予測した。
結果、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、そ
の後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本
の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参
戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不
可能」という『日本必敗』の結論を導き出した。
これは現実の日米戦争における(真珠湾攻撃と原
爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致するものであ
った。
対して、東條首相(当時、陸相)は、「これはあ
くまでも机上の演習であり、實際の戰争は、君達
が考へているやうな物では無い。日露戰争で、わ
が帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝つた。
あの當時も列強による三國干渉で、やむにやまれ
ず帝國は立ち上がった。勝てる戰争だからと思っ
てやったのではなかつた。戰といふものは、計画
通りにはいかない。意外裡な事が勝利に繋がつて
いく。したがつて、諸君の考へている事は机上の
空論とまでは言はないとしても、あくまでも、そ
の意外裡の要素といふものを、考慮したものでは
ない。尚、この机上演習の経緯を、諸君は軽はず
みに口外してはならぬ<以上 ウィキより>。
と反論しています。

実際の大東亜戦争は、驚く事に、このシミュレー
ション通りに推移したので、今日に及ぶも高く評
価されています。
然し私は、東條首相の反論に半分同意したいと思
います。今まで、幾度と記したように、超新兵器
ゼロ戦などを擁した日本は、少なくとも1943(昭
和18)年初めまでは、制空権・制海権を握り、圧
倒的に強かったのです(米国の物量作戦が機能し
始めるのは、開戦も2年が経ってからです!)。 
この机上演習(シミュレーション)には、超新兵
器の存在を全く考慮していないのではないか、と
しか思えません(研究員に新兵器情報は与えてい
ないので、当然か)。
つまり意外裡の要素が幾らでもあり、日独伊で、
英・ソを屈服させ、アメリカを世界の孤児と化し,
十分に、お釣りが出るほどの講和が、早々と米国
と結ばれた筈なのです(米国民の戦争反対意向も
あり。当然ルーズベルトは失脚です)。

返す返すも、ソ満国境とインド洋の重要さを無視
し、南進論(*)1本に絞ってしまった事が残念
でなりません。この背景は繰り返しますが、戦争
指導の上層部に、ビッシリと敵国スパイ網が形成
され、これに誘導され南進し、長期戦(消耗戦)
に持ち込まれてしまった、に尽きるようです。
一例として、スパイ網のひとつに「ヨハンセン・
グループ」があるそうです。これは、吉田反戦の
意味と言われています。本当ならば戦後、吉田茂
が何故、突然登場し、総理大臣として君臨できた
のか、の理由も分かろうと言うものです。
更に言えば、奥はもっと広く、ルーズベルトやチ
ャーチル、(特に)日本海軍上層部は皆、フリー
メーソンのお仲間。及びヒットラー(90代で南米
で客死は事実のよう? メルケルはヒットラーの
娘?)やスターリンもロスチャイルドの孫と言わ
れ、第二次大戦は、壮大な茶番劇と言われていま
すが、ここまで踏みいるのは、私のような浅学非
才の輩では到底無理なので、言及は避けます。

(*)当初、日本が南進論で目指した地域は、
 ・アメリカ領フィリピン。 
 ・仏領インドシナ(ベトナム、カンボジア、
   ラオス等)。 
 ・イギリス領ボルネオ島。 
 ・オランダ領東インド(インドネシア)。
 ・イギリス領シンガポール、マレー(マレーシ
   ア)。
 ・タイ。
 ・英領ビルマ(ミャンマー)。
などでしたが、現実は、更に南太平洋の奥深く、
敵国オーストラリア近辺のソロモン諸島<ガダル
カナル島(ガ島)など>まで、戦線を大々拡張し
兵站が思いっきり延びた所(豪州に近いアメリカ
有利、日本は大不利。兵法の基本にも大いに反す
る!)での戦闘に明け暮れてしまい、当然のよう
に、艦船・航空機・兵員・燃料・武器・糧食の多
くを失い、国力はガタガタになってしまいます。
米豪遮断を目的とし、ガ島に飛行場を建設する訳
ですが、アメリカは初めは黙視し、イヨイヨ飛行
場が完成する間際に、大軍を上陸させ奪取してし
まいます(ここに、ガ島を巡る壮絶な戦いが始ま
る次第)。そもそも、ラバウルから1000kmも離れ
た、こんな僻地に、飛行場を作ろうとしたのは誰
なのか! 南進論すらブッ飛ばす大愚策(当初、
ソロモン諸島など南進論には無かった。それがい
つの間にか!)を企画立案したのは一体誰か? 
勿論、スパイ網に汚染された海軍首脳によってで
す。兵站不利のガ島海域に深入りすること無く、
早々と撤退しておけば、まだ救われたものを! 

終章に当たり、私にとっては、正直、このタイト
ルは荷が重かった! ブログ記載の動機は、12/8
の開戦記念日に、相変わらず多くのマスコミなど
が、「日本は無謀な戦争をした!」と片づけてい
る事に、「少し違うのでは無いか」「決してそう
ばかりでは無かった」との思いからでした(⑧の
開戦時の海軍戦力比を改めて見て下さい。これな
ら無謀でもなんでもなく、開戦の決意も十分納得
出来ますし、無謀と言うなら、ハルノートなどで
日本を挑発した米英こそ、無謀であるに決まって
いるではないですか! それが、一体どうして負
けてしまったのか? それこそが大疑問と言うも
のです)。もし、そんな現状に一石でも投ずる事
が出来たとするのなら、私の望外の喜びとする所
です(汗!) 
以上、10回にも亘って、お付き合い下さり、厚く
御礼申し上げますm(_ _)m 

<日本軍が如何に強かったか、の一例です>  
負け戦となっている1944年4月、インパール作戦
にワズカに遅れて、<大陸打通作戦>が実施され
ます(4/17~12/10)。
目的は、この年、制空・制海権は完全にアメリカ
に奪われ、南方からの資源輸送が覚束(オボツカ)
なくなりました。シーレーンがズタズタにされた
訳です。この打開策として、華北(北京)から、中
国大陸を縦断し雲南省を経由、仏領インドシナま
でを結んでの壮大な「陸のシーレーン構築」(南
方資源を陸路、釜山まで運び、そこより、米潜水
艦からの防御を固くして玄界灘を渡り九州へ)で
す。及び、本土空襲を狙う、中国大陸にある「ア
メリカ空軍基地の壊滅」です。
当初、日本の支那派遣軍50万(関東軍とは別。最
終的には100万まで膨らむ)、中国軍300万が中国
各地で激突し、結論を言えば、精強な日本軍の圧
勝で作戦は大成功でした。しかし、この時、既に
マリアナ諸島が落ち、サイパン島からの本土爆撃
が本格化する訳で、目的の半分は無意味なモノと
なりました。
然しマ~、とにかく日本軍は強く、敗戦1年前時
点での大作戦も目を見張る程です。なお、支那派
遣軍精鋭100万は、終戦を中国大陸で迎えました
が、降伏調印式で、名将、岡村寧次総司令官(大
将)は、「何で連戦連勝の我が軍が、負かした相
手に降伏しなければならないのだ」とエラく立腹
し、もう一戦を覚悟したそうですが、陛下のご意
向であると聞き、直ぐに鉾を納めたそうです。<日本軍が如何に強かったか、の一例です>  
負け戦となっている1944年4月、インパール作戦
にワズカに遅れて、<大陸打通作戦>が実施され
ます(4/17~12/10)。
目的は、この年、制空・制海権は完全にアメリカ
に奪われ、南方からの資源輸送が覚束(オボツカ)
なくなりました。シーレーンがズタズタにされた
訳です。この打開策として、華北(北京)から、中
国大陸を縦断し雲南省を経由、仏領インドシナま
でを結んでの壮大な「陸のシーレーン構築」(南
方資源を陸路、釜山まで運び、そこより、米潜水
艦からの防御を固くして玄界灘を渡り九州へ)で
す。及び、本土空襲を狙う、中国大陸にある「ア
メリカ空軍基地の壊滅」です。
当初、日本の支那派遣軍50万(関東軍とは別。最
終的には100万まで膨らむ)、中国軍300万が中国
各地で激突し、結論を言えば、精強な日本軍の圧
勝で作戦は大成功でした。しかし、この時、既に
マリアナ諸島が落ち、サイパン島からの本土爆撃
が本格化する訳で、目的の半分は無意味なモノと
なりました。
然しマ~、とにかく日本軍は強く、敗戦1年前時
点での大作戦も目を見張る程です。なお、支那派
遣軍精鋭100万は、終戦を中国大陸で迎えました
が、降伏調印式で、名将、岡村寧次総司令官(大
将)は、「何で連戦連勝の我が軍が、負かした相
手に降伏しなければならないのだ」とエラく立腹
し、もう一戦を覚悟したそうですが、陛下のご意
向であると聞き、直ぐに鉾を納めたそうです。


サテ、①に記載した<勝機1.2.3>に付いて
書いてみます。

<勝機1>ソ満国境で、関東軍は特種演習(関特
演)を実施しました。70万を動員しての大演習で,
スターリンは、本当に日本が攻めてくるのでは無
いかと、冷や汗を流したそうです。現実にも、演
習に見せかけての『対ソ武力発動』を前提とした
作戦準備行動で、陸軍健軍以来の大動員でした。
しかし、華々しい大演習も、当初の意気込みは何
処へやら、終われば撤収してしまいました。世上
言われるように、戦争方針で、北進論(ソ連を攻
撃し欧州戦線での独伊を支援する)が後退し、南
進論<仏領インドシナから、東南アジアの資源
(石油、スズ、ゴム等)地帯を攻略>が優勢にな
った事です。結果として、スターリンを安堵させ
ると共に、独伊を大いに落胆させました。
改めて言うまでも無く、ここは、何としても北進
論を実行し(併行して、東南アジアの資源地帯を
攻略。それだけの戦力は十分あり)、独伊を支援
し勝たせることに全力を挙げるべきでした。日独
伊三国同盟は、軍事同盟なのですから当然のこと
でしょう! 独伊の勝利は、密接に日本の勝利に
関わってくるのですから尚更です。南進論の実施
により、日本の勝機は大いに失われました。

<勝機2>北アフリカのエルアラメイン(英領エ
ジプト)攻防戦では、海軍は紅海の入口付近を哨
戒し(以前述べたように、余裕をもって可能でし
た)、英軍への物資輸送を断固、阻止し、ロンメ
ル軍団を背後から支援すべきでした(場合によっ
ては、軽空母あたりを紅海に入れ、英軍基地を空
爆することも有りだった? もし、そんなことが
起こったら、英軍は大パニックに陥り、ロンメル
軍の士気は大いに上がったことでしょう)。しか
し、日本は何もせず、英米輸送隊はフリーパスで
モントゴメリー軍への支給を続け、ロンメル軍は
敗退に追い込まれました。結果的に、イタリアの
早期降伏へと繋がります。

<勝機3>スターリングラード攻防戦こそは、第
二次大戦の帰趨を分けた大決戦でした。
この局面では、ソ連への物資揚陸地、イランの軍
事施設を叩くことこそが肝要でした。勿論、米国
と大衝突しますが、この地は、アメリカからは遙
か遠隔の地であり、制空権を握る日本海軍との戦
いで、アメリカの勝ち目はありません。膨大な物
資がソ連に届かなければ、幾ら、シベリア軍団を
スターリングラードに投入しようとも、ソ連の敗
退は自ずと明らかです(貧弱な装備のままでは、
優秀なドイツ機甲化師団に適いません)。
日本は悠々と、イラン陸揚げを阻止出来たのに、
ここでも何もせず、結果的に、独伊を見殺しにし
たのも同然です。

<勝機1.2.3>を俯瞰すれば、本当に、日本
は、『為すべき事は全くせず、どうでも良い、ツ
マラナイ事には全力注入』と言う愚かさです。改
めて、勝てる戦争を自ら毀損し破滅していった、
とも思えます。『度し難し』(救いがたい)との
仏教用語は、正に日本の戦争指導者にこそ相応し
い、と言えるでしょう! 誠に情けないこと限り
なし、です(>_<) 
                 <続く>


サテ、①に記載した<勝機1.2.3>に付いて
書いてみます。

<勝機1>ソ満国境で、関東軍は特種演習(関特
演)を実施しました。70万を動員しての大演習で,
スターリンは、本当に日本が攻めてくるのでは無
いかと、冷や汗を流したそうです。現実にも、演
習に見せかけての『対ソ武力発動』を前提とした
作戦準備行動で、陸軍健軍以来の大動員でした。
しかし、華々しい大演習も、当初の意気込みは何
処へやら、終われば撤収してしまいました。世上
言われるように、戦争方針で、北進論(ソ連を攻
撃し欧州戦線での独伊を支援する)が後退し、南
進論<仏領インドシナから、東南アジアの資源
(石油、スズ、ゴム等)地帯を攻略>が優勢にな
った事です。結果として、スターリンを安堵させ
ると共に、独伊を大いに落胆させました。
改めて言うまでも無く、ここは、何としても北進
論を実行し(併行して、東南アジアの資源地帯を
攻略。それだけの戦力は十分あり)、独伊を支援
し勝たせることに全力を挙げるべきでした。日独
伊三国同盟は、軍事同盟なのですから当然のこと
でしょう! 独伊の勝利は、密接に日本の勝利に
関わってくるのですから尚更です。南進論の実施
により、日本の勝機は大いに失われました。

<勝機2>北アフリカのエルアラメイン(英領エ
ジプト)攻防戦では、海軍は紅海の入口付近を哨
戒し(以前述べたように、余裕をもって可能でし
た)、英軍への物資輸送を断固、阻止し、ロンメ
ル軍団を背後から支援すべきでした(場合によっ
ては、軽空母あたりを紅海に入れ、英軍基地を空
爆することも有りだった? もし、そんなことが
起こったら、英軍は大パニックに陥り、ロンメル
軍の士気は大いに上がったことでしょう)。しか
し、日本は何もせず、英米輸送隊はフリーパスで
モントゴメリー軍への支給を続け、ロンメル軍は
敗退に追い込まれました。結果的に、イタリアの
早期降伏へと繋がります。

<勝機3>スターリングラード攻防戦こそは、第
二次大戦の帰趨を分けた大決戦でした。
この局面では、ソ連への物資揚陸地、イランの軍
事施設を叩くことこそが肝要でした。勿論、米国
と大衝突しますが、この地は、アメリカからは遙
か遠隔の地であり、制空権を握る日本海軍との戦
いで、アメリカの勝ち目はありません。膨大な物
資がソ連に届かなければ、幾ら、シベリア軍団を
スターリングラードに投入しようとも、ソ連の敗
退は自ずと明らかです(貧弱な装備のままでは、
優秀なドイツ機甲化師団に適いません)。
日本は悠々と、イラン陸揚げを阻止出来たのに、
ここでも何もせず、結果的に、独伊を見殺しにし
たのも同然です。

<勝機1.2.3>を俯瞰すれば、本当に、日本
は、『為すべき事は全くせず、どうでも良い、ツ
マラナイ事には全力注入』と言う愚かさです。改
めて、勝てる戦争を自ら毀損し破滅していった、
とも思えます。『度し難し』(救いがたい)との
仏教用語は、正に日本の戦争指導者にこそ相応し
い、と言えるでしょう! 誠に情けないこと限り
なし、です(>_<) 
                 <続く>

前回、イギリスが、「強大な日本帝国(事実です
よ!)に宣戦布告などするでしょうか?」と書き
ましたが、ここで、太平洋・インド洋に於ける、
開戦時の日米英の海軍戦力を見てみましょう。

海軍戦力(太平洋配備、1941年時点) 
          日本  米国  英国
戦艦        11    9    2 
大型航空母艦   8    3    0 
重・軽巡洋艦   41    24    8 
駆逐艦      129     80   13 
潜水艦       67    56   0 
です。
如何でしょう? 
それが、真珠湾攻撃で、米戦艦8隻が沈没。2日
後には、英戦艦2隻撃沈で、大型艦で比較すると
ザッと日本は、米英の3~5倍の戦力! 正に、
両海洋を睥睨(ヘイゲイ)するほどの戦力と言え
るでしょう!  
それだけで無く、武器は優秀<世界最大の18イン
チ砲や16インチ砲搭載艦を多数保有、酸素魚雷、
戦闘機・艦爆機・雷撃機など。しかし、暗号解読
された事と電探(レーダー)配備遅れは最大の痛
手>、兵は勤勉なうえ不惜身命<本当に、現場
(前線)は最強>。練度も極上(世界一と言って
も過言ではありません。この練度は今日の自衛隊
にも引き継がれています。世界の軍隊が認める所
です)。軍歌に『月月火水木金金』がありますが,
休日返上(土日が無い)で猛訓練を行っていたサ
マを表しています。
この戦力なら、連合艦隊を太平洋・インド洋と二
つに分けても、お釣りが来るほど圧倒的です(実
際、セイロン沖海戦でイギリスを破ってからは、
英東洋艦隊は、アフリカ東岸のマダカスカルやケ
ニヤ基地に逼塞してしまいます。日本が負け戦に
なってから、また出てきた次第)。にも関わらず,
何故、これほど惨めな敗戦を迎えてしまったので
しょう!? まともに考えれば真実、信じられな
い程です。
偏(ひとえ)に、軍部及び戦争指導部の愚鈍さ! 
に尽きるのですが、加えて、政界・軍上層部に配
置された敵スパイ網の巧妙な存在を無視出来ませ
ん。結局、日本は、隠れたスパイの思惑通りに誘
導され、次々と泥縄式の戦術を繰り出し、当然の
ように自滅して行った次第です(防諜の貧弱さに
負けた!)。

⑥に、「多数の敵国スパイ工作(ソ連のコミンテ
ルン等)により、日本の上層部が、かなり汚染さ
れてしまったことに尽きる」と書きました。1935
年第七回コミンテルン(国際共産主義組織)大会
でのスターリン演説は、
「ドイツと日本を暴走させよ! しかし、その矛先
を祖国ロシアに向けさせてはならぬ。ドイツの矛
先はフランスと英国へ、日本の矛先は蒋介石の中
国へ向けさせよ。そして戦力の消耗したドイツと
日本の前に、最終的に米国を参戦させて立ちはだ
からせよ。日、独の敗北は必至である。そこで、
ドイツと日本が荒らしまわって荒廃した地域、つ
まり、疲弊した日・独両国をそっくり共産主義陣
営にいただくのだ」(Wikiより)と、言われてい
ます。事実かどうかは分かりませんが(論争中),
事態は、ホボこの様に展開していったのは間違い
ありません。また、コミンテルンのスパイ網は、
ルーズベルトの周辺にもハワされていたのですか
ら<ソ連のスパイであったハリー・ホワイトが、
ルーズベルト政権下で財務次官補として、ハル・
ノートの草案作成に携わり、「それは日本に開戦
を決意させた」、と>、敵ながら見事としか言い
ようがありません! 
日露戦役は明石元二郎大佐などが、欧州で八面六
臂のスパイ活動を繰り広げ(工作資金は今のお金
で、400億円~1兆円とか?)、大国ロシアに勝て
ました。果たして今次大戦では、一体、日本は世
界でどのような諜報活動を行っていたのでしょう
か? まず、功績を聞いたことがありませんので
殆ど皆無に近いと思います(惨敗です!)。これ
には、明石大佐など先人達は草場の陰で、サゾ、
嘆いているに違いありません。
繰り返して結論を述べれば、日本は、防諜・諜報
活動に弱く、折角の大戦力を所持しながらも(大
和など、折角の18インチ砲を一発も撃っていない
のでは無いか? 馬鹿!としか、言いようがあり
ません)、生かすこと無く敗れ去ったと言う事で
しょう(*_*)
                 <続く> 

日本が対米戦争を始めたのは、ABCD(米・英
・支・蘭)包囲網での経済封鎖(石油・クズ鉄な
どの禁輸)と、ハル・ノート<満州・支那・仏印
からの全面撤退、日独伊三国同盟破棄、汪兆銘政
権(日本の傀儡)切り捨て等、とても日本が飲め
ない要求>により、追い詰められた為と言われて
いますが、実際には、この間も東条内閣は必死に
対米戦争回避に動いていたワケです(開戦にあた
り、東条は「陛下に申し訳ない」と泣き崩れたと
か無いとか?)。

ここで、ABCDと言いますが、C(支那、中国)
D(蘭、オランダ)は、あって無きが如し。B
(英国)も欧州でドイツに押しまくられている現
状からは、ほとんど考慮の必要は無し。結局、A
の米国一国な訳です。
当時全国民がこぞって、戦争絶対反対で固まって
いた米国に、宣戦布告無き攻撃を加えてしまい、
格好の参戦理由(リメンバー・パールハーバー)
を与えてしまったのですから、日本は本当に【ア
フォ!】としか言いようがありません。前回、記
したように、日本上層部に、ビッシリと配置され
たスパイ網の結果です(これにより、東条内閣も
誤判断に引きずり込まれた!)。
独伊は、真珠湾攻撃を知ってサゾ仰天したことで
しょう! 何しろ、アメリカという強大な国が、
相手側に付くわけですから(恐らく、日本の『馬
鹿がぁ~!』と絶叫したに相違ありません)。仕
方なく日本に追随して対米宣戦布告するハメに。
ここに全世界を巻き込んだ第二次世界大戦がスタ
ートするわけです。

私見として、日本は、「ハル・ノート」など、頭
から無視すれば良かったのです。この間、石油を
求めて、チャッチャカ・チャッチャカ、あるいは
粛々と、インドネシア方面に軍を進めれば良いの
です(ソ連への牽制は忘れずに)。
当然、英蘭からは、抗議と、場合によっては宣戦
布告を受けるかも知れません。でも、宣戦布告す
るのは、日本では無く英・蘭(既に本国はドイツ
により消失)ほうで、果たして英国が、ドイツと
死闘を演じている最中、更に、強大な大日本帝国
(繰り返しますが、事実ですよ!)に宣戦布告な
どするでしょうか? されたらされたで、遠慮無
く堂々と戦端を開けば良いだけの話です。 
米国民にとっても、聞いたことも無いであろうイ
ンドネシアの石油地帯の紛争など、北半球の裏側
の出来事で、到底、日本への宣戦布告は有り得な
い(日本への布告は、又、独・伊への布告でもあ
る)。本当に、なんで、こんな基本中の基本が理
解出来なかったのだろうと、今でも不思議です。
本来「ハル・ノート」とは、その程度のものにも
関わらず、首脳部は『カァ~!』と頭に血が上り,
過大視すると共に短絡思考に落ち行った。つまり
は戦争指導層の胆力の無さ、及び、戦略と全般予
測が存在しなかった<『カァ~!』の都度、泥縄
の戦術を立案?>、即ち、ルーズベルトやチャー
チルのように、シッカリと戦略を構築する英雄が,
日本はいなかった、と言う迄のお話しでしょう。

緒戦に於ける日米戦ですが、ここにルーズベルト
の誤算がありました。
日本側同調者との共同作戦により、見事に日本は
ハメられ、真珠湾攻撃をしてしまいました(この
時、ルーズベルトやチャーチルは、側近達と祝宴
の大歓声をあげたと言われています)。
この後、①の年表にあるように、戦線は移行・拡
大していくわけですが、連合国側の大誤算は、思
いも寄らない日本軍の強さでした。それは、凡そ
想像を絶する程と言っても過言ではありません。
海軍ひとつとっても、本当に向かうところ敵無し
で、正に破竹の勢い! 皆様はこれを可能にした
のは、一体何だとお思いでしょうか? 
答えは、イチ戦闘機に過ぎない【零戦(艦上戦闘
機)】の存在なのです(陸軍も名機【隼:ハヤブ
サ】あり)。
開戦から1~2年は、それこそ、優秀なパイロッ
トと相俟って全くの無敵状態でした<ゼロ戦1機
で、数機の敵機を撃墜したと言われるほどです。
重い爆弾類を積む艦攻機など、ゼロ戦にとって、
格好の餌食です。アメリカ空軍では、1機同士の
戦い(空中戦:ドックファイト)は絶対避けるよ
うに、とのお触れも出る始末です>。
例えば、空母同士の決戦を考えてみましょう。
日米共に、艦上爆撃機(爆弾)・雷撃機(魚雷)
が敵空母に襲いかかります。これらを守る為、敵
空母上空まで付いて行くのが支援戦闘機としての
『ゼロ戦』です(アメリカは、グラマンF4Fな
ど)。又、味方空母にも敵機が襲いかかります。
これから守るのも、掩上戦闘機<掩護(えんご)や
空中哨戒を行う航空機>としての『ゼロ戦』なの
です。敵空母上でも味方空母上でも、敵、掩護戦
闘機をバタバタ打ち落としたのが『ゼロ戦』と言
う図式です。
これが続けばどうなるかと言えば、艦攻機による
敵空母攻撃が容易となり、味方空母は限りなく安
泰というワケなのです。つまりは、『ゼロ戦』の
お陰で、制空権を取れるわけで、結果、制海権も
モノに出来る次第。太平洋での海洋決戦で、制海
権を握ることは、もう、勝ったも同然です! よ
って空母部隊を擁した、大和・武蔵(他、戦艦や
巡洋艦)による、アメリカ西海岸(サンディエゴ
軍港も含む)への18インチ砲による、一斉艦砲
射撃や空爆、他にも、パナマ運河破壊作戦も考え
られます。恐らく自国が、建国以来、一度も戦場
となったことの無い米国民には、パニックが襲う
事でしょう! 西部から東部への避難や、日本と
の講和を求める意見も出てくるかも知れません。
実際、伊号潜水艦による、ショボくれた砲撃が3
度ほど行われ、それ際も、パニックを引き起こし
たくらいです→日系人、強制隔離の一因に。
その後、幾らでも有利な和平交渉が出来たに違い
ありません! この『ゼロ戦』の存在を、ルーズ
ベルトは把握していなかった風なのです<開戦ま
で、日本も必死に秘匿したタマモノ(例えば国民
は、大和・武蔵の存在を戦後、初めて知った程で
す)。故に開戦後、零戦が颯爽と登場した際は、
米英に恐慌が走ったそうな>。この存在(【ゼロ
戦】と言う超新兵器)に気づかなかった事は、ル
ーズベルト(アメリカ諜報網)の大失策と言える
でしょう。
ただ折角、最優秀な戦闘機を擁しながらも、馬鹿
げた運用により(例えば⑤に記したように、往復
2000kmも一人で飛ばしたり)、その能力を生か
し切れなかった事は、返す返すも残念なことでは
ありました。

陸軍に関しては、1939年5月に有名なノモンハン
事件がソ連との間で勃発しています(この時、辻
政信参謀は、強力な敵戦車に対して、火炎瓶など
を持たせた日本兵に肉弾攻撃させています。本当
に酷い話です)。戦後も60年近くは、日本軍ボロ
負けと喧伝されていましたが、ソ連が崩壊し、ロ
シアとなってから、秘匿文書が公開され、ノモン
ハン事件のソ連側全貌が明かされました。
結果、ソ連側も多大な損害を出しており、判定は
5分5分、死傷者数ではソ連側の方が多かった為、
実質、日本の勝ちとの話も出ています。
陸上戦では、明らかに日本の負けなのに、何故、
5分5分かと言えば、優秀な航空機(97式戦闘機)
により、制空権を日本側が握っていたからと言わ
れています。
日本の強さを改めて知ったスターリンは、関特演
以降も、スパイ・ゾルゲの情報で確信を得る迄、
シベリア軍団を欧州に移動出来ませんでした。陸
軍も負けたと思っていたので、同様、北進論(独
伊が渇望した、満州からのソ連侵攻策)を躊躇さ
せてしまった面もあるみたいです。
この件は、又、後述してみます。
                 <続く>

  •  

前回、兵站思想の欠如が日本敗退の理由と述べま
したが、要は、特に海軍には、兵站、通商破壊、
拠点撃破<基地・港湾施設・航空施設破壊(航空
機・滑走路など)、備蓄弾薬・燃料タンク破壊、
兵舎破壊・・・>、と言う思想が著しく欠けてい
たのです。求めていたのは艦隊決戦至上主義で
(何か、武士道精神のマイナス面が出ているみた
い)、敵空母や戦艦の撃破のみのようでした。実
際、そのほうが、政府・海軍内でも、国民向けに
も大変受けが良かったからなのでしょう(輸送船
を攻撃しても殆ど評価は得られなかった)。
しかし、『勝つ』と言う視点からは、徹底して、
通商破壊、拠点撃破こそが重要であるのは、常識
過ぎることです。艦隊決戦など二の次でしょう! 
何しろ自国の軍港が機能しなければ、燃料・弾薬
の補給すら出来ないのですから。拠点壊滅して後,
余裕を持って敵艦隊と対峙すれば良いのです。

当然のように、南雲指揮下の機動部隊は、パール
ハーバーを襲いましたが、目指す敵空母2隻は無
く(スパイの通報により、事前に湾外に避難して
いた)、ルーズベルトの策謀により、湾港にずら
りと並べられたオンボロ戦艦を含む8隻を撃沈し
て、意気揚々と引き上げてしまう!(実際、攻撃
搭乗員や参謀からの港湾施設再攻撃を具申される
も、南雲は無視してサッサと日本に帰投)。
肝心要の港湾施設は無傷のままでした。もし戦艦
など無視して、真珠湾の軍港施設を徹底して破壊
しておけば、米海軍は西海岸のサンディエゴ軍港
までの後退を余儀なくされ、少なくとも半年間、
太平洋での活動が大幅制限されたと言われるだけ
に、その後の珊瑚海海戦:1942年5月8日(史上初
の航空母艦同士の決戦)で、引き分ける事も無か
ったし、ミッドウエーで大敗北を喫する事も無か
った筈です。又、その後のガダルカナルでの悲惨
な敗退やアッツ島の玉砕もなかったでしょう。
戦争屋ルーズベルトが折角、日本側内通者と仕組
んだ、精緻な日本軍誘い込みシナリオも、真珠湾
施設破壊なら緒戦で破綻してしまった次第。結果
的に、いわゆる太平洋(戦争)は米国にトテツモ
ナイ重荷となってノシ掛かかってきた訳です。
馬鹿げた真珠湾攻撃を、もし、評価出来るとすれ
ば、港湾施設破壊の一点のみでした<でも、絶好
の機会なのにしなかった(>_<) >。

17年6月のミッドウエー海戦で虎の子の空母4隻
と優秀なパイロットを多数失い、制空権を奪わ
れ、徐々に衰退の道を歩み始めたのはご承知の通
りです。
何故、こんな事になってしまったのかと言えば、
戦争前からの多数の敵国スパイ工作(ソ連のコミ
ンテルン等)により、日本の上層部が(近衛首相
を始め戦争指導部→近衛は昭和20年12月16日、自
殺していますが、あるいは知りすぎた男として消
されたのかも?)、かなり汚染されてしまったこ
とに尽きるのです。
何と言っても、海軍は目も当てられない程の酷さ
で、山本五十六司令長官(*)<アメリカに武官
として赴任中、どうせ、ハニートラップにでも引
っかかったんでしょう>、米内海軍大臣は、ルー
ズベルト同様、フリーメーソンに入会していたの
は真実のようです。山本の作戦行動・足跡を見る
限り、十分に首肯できるところです。米内に関し
ては、阿南陸相が終戦日の自決に当たり、介錯の
副官に向かって「米内を切れ!」との有名な逸話
(?)が残されています。側近の宇垣中将(連合
艦隊参謀長)や栗田中将(**)、野村駐米大使
(海軍大将)も疑わしい限りです。

潮目のミッドウエー海戦では山本は、空母部隊の
遙か後方600kmの所で、大艦船に囲まれ、エアコ
ンの効いた戦艦大和に鎮座し、左ウチワで観戦
(別名、大和ホテルと言う)→つまり、虎の子の
空母を丸裸状態で敵の前線に放置。当然のように
空母を失い大敗北を喫した後は、国での大非難が
恐かったのか、日本に帰らず、そのままトラック
諸島にトンズラ! ミッドウエー島攻略を名目に
した、実質は自国の空母部隊壊滅を狙った、山本
の作戦と睨んでいます(トンズラも含め、スパイ
の面目躍如)。
そう思えば、空母艦上の二度に渡る兵装換装(魚
雷と爆弾の交換)なども良く理解出来ようと言う
ものです。このテンヤワンヤしている最中に、敵
機動部隊に襲われ(運命の5分間と言われる。こ
れとて山本が、敵に暗号で空母位置を知らせた、
又は、偵察機乗員にワザと誤報を打電させた、と
勘ぐれるほどの偶然の5分間です)、これからの
太平洋・インド洋海戦で必須の、虎の子空母4隻,
及び、優秀なパイロット(養成には多大な時間と
コストが掛かります)、航空機を多数失ってしま
いました(山本の罪は正に万死に値する!)。
これでは、陸軍がどんなに頑張っても勝てるわけ
はありません。陸軍にも、怪しげな人物がいます
が、海軍に較べれば、ず~とマシと言うべきでし
ょう。陸海軍の連携は最初から惨憺たる有様で、
これで良くも4年も戦争継続出来たものと感心す
らしてしまいます。
宣戦布告書を、ワザと1時間遅らせたアメリカの
日本大使館員も同罪です。このため、不意打ちを
食らわした卑怯者! との烙印が未だに、日本に
押されています。本来、全員、切腹モノなのに、
不思議なことに戦後、彼等は野村大使始め、外務
省で大出世を遂げています(こんなところにも答
えは出ているようです!)。
                <続く>

(*)ヤコブ モルガン著、『山本五十六は生き
ていた』1994/12月 太陽出版刊 が実に詳しい。

(**)「レイテ湾口 謎の反転」で有名。囮(お
とり)部隊となった小沢艦隊の決死の犠牲の上に,
漸く湾口に辿り着く。折角、戦艦大和(武蔵は途
中沈没)を率いながらも、湾内に蝟集した膨大な
敵輸送船団やマッカーサーを目前に反転、見逃す
ことに! 戦後も死ぬまで口を閉じ真相を明かさ
なかった(→無論、スパイとなれば当然のこと)。
更に、驚くべきは、この事実を共同作戦の陸軍に
は伝えず、そうとは知らない陸軍はレイテ島や、
フィリッピン本島で大敗北を喫するハメに。

欧州戦線に於けるドイツ快進撃を横目に見ての日
米開戦にあたり、本来、日本の主力戦場は、『イ
ンド洋』そのものでした。そんなことは、チョッ
ト地図を見るだけで、中高生にも分かる理屈で、
陸大・海大出身のエリート参謀に分からぬ筈はあ
りません。しかし、そうは成らず、戦線はミッド
ウエー島からソロモン海域(ガダルカナル島)に
移ってしまいました。そのような力学(後述)が
働いたから、としか言いようがありません。
1941.12/10 マレー沖海戦でイギリス東洋艦隊の
華、戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウエールズ
を轟沈し、英艦隊の主力を撃破!(この報を聞い
て、チャーチル首相は泣き崩れたとか?) 翌年
2/7より、難攻不落と謳われたシンガポール要塞
(守備兵、約13万人)を山下兵団(3.6万)が、
わずか1週間で攻略<同じく、ロンドン亡命中の
仏ドゴール将軍(後の大統領)は日記に、「陥落
は、長い歴史である白人植民地主義の終わりを意
味する」と記述したそうです>。
これで、インド洋方面への海路が開けました。
何故、インド洋が重要か? この海は、連合国側
の主要な兵站ルートの上、主敵、アメリカからは
最も遠隔地だからです。例えば、ここで艦船が損
傷すれば、遠く、ハワイまで修理に戻らねばなり
ません(補給も修理も休養も全て)。実際、珊瑚
海海戦では中破した空母『ヨークタウン』を真珠
湾で緊急修理し、ミッドウエー海戦に投入してい
ます)。もし、海戦が珊瑚海でなく、遠いインド
洋だったなら、『ヨークタウン』が真珠湾に戻れ
たかどうかも分からず(途中には要衝を押さえた
日本軍や連合艦隊が待ち構えているので!)、ミ
ッドウエー海戦に投入など凡そ不可能だったこと
でしょう!(これだけでも、日本がミッドウエー
で勝てた可能性大) 
アメリカにとって、これほど不利な海域もありま
せん(敵の不利な地を戦場とするのは、兵法のイ
ロハだと思いますが・・・)。
アメリカの武器貸与法による、ソ連への支援物資
の上陸地は、イラン(当時、北はソ連軍、南はイ
ギリス軍の進駐を受け、半独立状態)方面が実に
7割を占めています(他、北極海直行コース、ア
リューシャン列島添いにウラジオ陸揚げ)。援蒋
ルートの入口にして、北アフリカ戦線での英国軍
への輸送路(アフリカ東海岸添い→紅海経由→エ
ジプト揚陸)でもあるのです。第二次大戦に於い
て、インド洋が、どれほど重要な海域か、お分か
り頂けたでしょうか? 
4月5~9日にはセイロン(現在はスリランカ)沖
海戦があり、英空母ハーミス他を撃破し、以降、
東洋艦隊はアフリカ東岸のマダカスカル島やケニ
アの港に撤退します。
もし、この時、連合艦隊を二分し、半分(それで
も、もの凄い戦力!)をインド洋に遊弋させ、睨
みをきかせておけば、連合国側は全くのお手上げ
状態で、蒋介石もスターリンも、北アフリカ戦線
の英軍(モントゴメリー将軍)も、み~んな干上
がってしまったわけです。

①で記した、独伊からのヤンヤの参戦要請(シベ
リヤ軍団の満州釘付け策や、欧州戦線への関与、
紅海封鎖など)も良く理解出来ると言うものです
<後日譚として、独伊は当時の情勢から、勝てる
戦争をハナから無視した日本の姿勢を、戦後も長
く恨んでいたそうな。当然でしょう!>。
後のガダルカナルやインパールや、どこもかしこ
もですが、日本軍にはそもそも通商破壊(有名な
のは独、Uボートによる輸送船団攻撃)や兵站
(食糧、補給、整備、修理、管理運用・・・)と
言う概念が著しく欠如しており(代わりに精神力
ばかりが強調されていた)、それは余りに惨めで
寒気がする程です(例えば、日本は輸送船団に少
数の護衛しか付けなかったり。よって米潜水艦の
格好の餌食となりました。反対に、日本の潜水艦
は、大物の空母や戦艦ばかりを狙い、商船には殆
ど無関心でした)。結局、この概念希薄が敗戦に
繋がった、と言っても過言でありません(と、私
は確信しています)。
一例として、もしガダルカナル方面に飛行場を作
るなら、ラバウル基地(南方の最前線で一大拠点)
から凡そ1000km(東京ー屋久島間)のガ島では無
く、中間の500km当たりに飛行場を建設すれば良
かったのです! 
1000kmと言えば、ラバウルから、敵襲を警戒しつ
つ、緊張し放しでの片道2~3時間。そこで(残り
の燃料を計算しつつ)敵と空中戦の死闘を演じ、
又、同じ距離を帰ってくるのですから、ゼロ戦パ
イロットにとって、一体どれほど過酷だったか!
(ここにも兵站概念の無さが露呈しています) 
それが連日の出撃なのです!(*)   
もし中間点なら、余裕を持ってアメリカに対処出
来、負けるはずは無かったのです。何しろ当時、
世界最先端の艦上戦闘機グラマンF4Fですら、
ゼロ戦に全く歯が立たなかったのですから(英、
スピットファイヤーも同じ)。つまり制空権は日
本に有り、このことは、海上決戦に於いても如何
に重要であるか、論を俟ちません。
ガ島がアメリカに奪われたのなら、兵法・兵站の
観点からも、そんな1000kmの先の小島などサッ
サと放棄してしまえば良かったのです!!!
さすれば、日本に有利な海域を選んでアメリカと
闘い、ガ島(餓島)の悲劇など起こりようも無か
った訳です。
                 <続く>

(*)ゼロ戦にトイレはありません。と言うこと
は、用便は機内で済ませます。そのため、命の綱
である落下傘は、実質、トイレ代わりだったとの
こと。又、戦後も暫くはヒロポンという覚醒剤が
流行りました。これは日本軍が開発し、飲むとポ
ンッ! と覚醒するので、常時、パイロットに支
給されたそうです(無論、恐怖心を和らげる為、
特攻隊にも)。

前回の、ビルマ山中の援蒋<中国国民党軍(蒋介
石軍)支援>ルート断ちが、「二次大戦の図式を
一変させる程のインパクト」には、納得できない
人も多いことでしょう。
それは、援蒋断ち→蒋介石の降伏に近い状態での
和平成立(この時、毛沢東の共産軍は、支援する
ところも無く、殆ど無力状態。せいぜいゲリラ戦
程度)→中国大陸平穏化→よって、日本は大陸の
兵を幾らでもソ満国境にも、東南アジアやインド
方面にも移動可能→ソ連のシベリア軍団は欧州戦
には向かえず(モスクワ防衛に投入出来ず)、国
境地帯に釘付け→よって、ドイツ機甲軍団のモス
クワ猛攻勢により<この時点(1941年10月あたり)
では、アメリカからのソ連への武器援助は無いか,
あっても極く少数>→「タイフーン作戦成功」で,
ついにモスクワ陥落→極東のホボ無傷の日本軍と
に挟撃されソ連降伏→ヨーロッパ全土が枢軸側に
握られ、残る英国も風前の灯火に! 
イギリスが陥落すれば、アメリカが世界の孤児と
化してしまう訳で、何という面白いストーリー展
開ではありませんか!!!<でも、そうは成らな
かった(*_*)> 

援蒋断ちは、以上のような、とてつもない大図式
を成立させる程のインパクトなのです。如何に中
国大陸での和平が重要であったか、少しはご理解
頂けたでしょうか? 
実は、援蒋ルートの入口は、今のバングラデシュ
(ベンガル湾)辺りです。12/8の宣戦布告後は、
速やかに、ここらの揚陸港(港湾施設)をチョコ
ッと叩いて破壊するだけで<例えば、連合艦隊の
大和・武蔵による世界最大18インチ砲の艦砲射
撃(メチャメチャ保有していた、その他の戦艦・
巡洋艦も使い)や空爆など>、援蒋ルートはお終
いです。わざわざインパール作戦など発動する必
要すら無い訳です。
                 <続く> 

次回は、主力戦場はソロモン海域(ガ島)では無
くインド洋! を記したいと思います。

前回、少しでも援蒋ルートを切っておくべきだっ
たと述べました。何しろ、この時点に於ける最大
の重点項目であるからです(第二次大戦の図式を
一変させる程のインパクト有り)。当然、援護側
の英米との戦闘状態を覚悟する必要があり(*)、
切らなかったのは、政府・軍部にこの覚悟が出来
なかったと言う訳です(つまりは、「優柔不断、
事なかれ、先送りの無責任体制」と言う、今に続
く悪しき慣習)。
しかし現実には、戦闘相手国に支援するというの
は、明白な敵対行動で、その行為を止めさせる権
利は有るはずです。抗議しても止めないなら、実
力に訴えるしかありません<それが、当時(現在
も?)の常識であり、そのための軍事力なのです
から>。唯今の、北朝鮮問題とも似ていますね。
同様、英米と日本が戦闘し、日本に対し独伊が支
援行動を取れば、英米は当然、独伊を攻撃出来る
道理です。最重要項目にも拘わらず、この決断が
出来なかったが為に、将来に大きな禍根を残しま
した(敗戦はするは、最後まで、日支が泥沼状態
で闘う羽目に)。
例えば、宣戦布告無き戦闘は事変と呼ばれます
(支那事変と言うように)。当時、英米と戦争し
たくないのなら、せめて、事変扱いでの戦闘でも
良かったのです。最大に譲っても、英米と戦争に
入った1941年12/8以降、直ちに堂々とインパー
ル作戦を実行すべきでした。それをしなかったの
は、返す返すも、唯々、残念至極! としか言い
ようがありません。
                 <続く>

(*)実際に援蒋ルートを叩いても、英米は日本
に宣戦布告出来なかったでしょう。前回述べたよ
うに、イギリスは独伊と死闘を演じて手一杯、余
力はありません。アメリカも、一次大戦で多くの
若者を死なせた反省から、国民全体が厭戦気分。
戦争絶対NOで固まっているからです(戦争屋の
ルーズベルトが大統領3選出馬にあたり、決して
参戦せず、と公約して当選している程です)。
しかも現場は、米本土から遙かに遠いビルマの山
中。こんな戦闘くらいで、アメリカ国民が憤り、
宣戦布告賛成など考えられません。親戚とも言う
べき、隣の欧州戦線ですら参戦反対しているので
すから。
アメリカ国民の方から、日本と戦争になる可能性
があるくらいなら、援蒋など止めろ! との声も
湧き上がっていたかも知れないのです。
こんな判断(大局予測)すら出来ないエリートだ
らけの【参謀本部】って、一体何なの? と思っ
てしまいます! 
この悪しき慣習が今日にまで及んでいるのは、多
くの識者が、ヒラリーとトランプ当選を見誤った
ことでも明らかなようです。
 誠に嘆かわしい限りです(*_*)