弁論大会に出たかった | みきてぃーのブログ

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Mickeyは5/29~6/4まで入院してました
その期間学校では「弁論大会」というのがあった
Mickeyはその弁士だったけど、入院のため出れなかった
☟これがその文だよ

決意

朝が来る。...目を覚ます。...食事をし学校に行く準備をする。昨日も今日も、おそらく明日も、この繰り返し。
立ち止まって、深く考えもしないでいたこと。
当たり前に、今日がやって来て、再び明日が訪れること。...そして、当たり前にこうして自分が生きていること。当たり前に、呼吸をし、当たり前に心臓が胸を打ち続けていること。
『今、私は生きている。』って、別に言う必要もなく、今まで生きてきた私。
『心臓』止まれ!...って言っても動き続けている。休まずにドキドキと鼓動はし続けている。
この世に命を授かってから、ずっと動き続けている。休むこと無く。...
いつまで動き続けるのだろう。...言うまでも無く、『死』を迎えるときまで、決して休むことなく、この命は動き続けることでしょう。私の意思とは関係なく、止まることは無いでしょう。...
そんな私が、こうして、ここに生きていられることを幸せだと思い、感謝しなければならばいのでしょう。
なぜなら、この世の中には、自分の意思とは反して、望んでもいないのに、突然『命』を奪ってしまうことが起きているからです。
...交通事故に巻き込まれて、生後まもなく母親と一緒に亡くなってしまう幼児。...ガンになり余命1年と宣告されて、心臓が止まってしまうのを明日か明後日かと病室でその日を待つ患者。
それに、誰もがしっかりと記憶に残っている自然災害、そう、あの平成23年3月11日午後2時45分、仙台・宮城を中心に起きた東日本大震災では、一瞬にして、あるいは迫りつつあるあの津波に呑み込まれ、二万人近くの尊い命が無残にも亡くなりました。それに行方不明の方々も、毎日のように新聞の一面には、その人数の知らせがありました。しかし、それが1年が経ち、法要が終わったとたんに、その数は、紙面から取り除かれてしまっているのです。そして、現地では、今もNPOなどのボランティア活動をしている方々が絶えません。でもその人数は、日に日に少なくなり、瓦礫の撤収などの問題点は山積みとなっている状態です。
あの震災で、あの津波で、本当に多くの人たちの尊い命が奪われてしまったと言う現実を、みなさんはどう思いますか。あの人たちは、あの日あの時間に、命が耐えることを予期していたのでしょうか?あの人たちに、明日はなかったのです。生きたくても生きられない。どうしようもない現実だったのです。...亡くなった人たちには、運がなかったと一言で片付けていいのでしょうか?亡くなった人たちのなかには、その日も生きていくために、朝早くから漁に出かけた人も何人かいました。元気よく「行ってきます。」と言って学校に出かけた小学生も、その日は、もう帰らぬ人に。お母さんもまさかこんな姿で帰ってくるとは、どうして想像できたでしょうか?
私は、こうして、生きていることが、当たり前と思っているため、こうしてなくなった多くの人たちの尊い命のことも、日に日に記憶からは薄れ、やがて自分には直接関係のない、他人事のように。こんな災害もあったなぁって、過去の出来事として葬ってしまうのかも知れません。...
でも、私はこの出来事によって、学びました。『明日』と言う日は、人間誰にも平等に与えられているのではないことを。
せめても、たった一度の、1回きりの人生を、生かし続けている、この一つしかない、『この命』のためにも精一杯生きよう。そして、将来の目標を見つけ、たった一度しかない人生を全うできるように、『今日という日を、今を』決して無駄にしないで、明日がどんな日になろうとも、精一杯に生きよう。と、私は『決意』しました。

ご静聴ありがとうございました。

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