ツイッターのタイムラインでは、「君の名は。」と並んで本作を表するツイートがずらりと並んでおり、気になってはいたのだが、なにぶん上映館が少なく、円盤待ちにしようと決めていた。
それが、好評を受けて、全国各地の映画館で上映しており、わが町の映画館でも3月に公開されることが決まった。こりゃあいい、3月に来たら見に行こう。
と思っていたら、隣県の映画館でも期間限定で上映があるというではないか。さっそく駆け付けた。「ドクター・ストレンジ」も見たかったけど、時間が合わなかったのでスルー。
終幕後、ポケットテッシュで涙を拭ったのは初めての経験だった。
おっさんの目にも涙である。
ここまで涙が溢れたのは「ハチ-約束の犬」ぐらい。
などといいつつも、あまり泣ける映画であることを強調したくない。
だれかを泣かせようというあざとい内容のものではないからだ。
舞台は太平洋戦争の末期、広島県は広島市および呉市。
主人公のすずは、幼少時を広島市で天真爛漫に過ごし、嫁入り先の呉市では妻として賢明に働く。
有り体に言えば、本作は「戦争映画」であるが、ドンパチを演じるものではない。
戦時下にあった市井のひとたちの暮らしを描く作品である。
日本軍の敗色が濃厚になるにつれて、出回る食料は減っていく。すずは人に聞いたり、知恵を絞ったりして、なんとか暮らしていく。
それでも、歴史は容赦なく訪れる。爆撃、それから8月6日の原爆投下……。
このように書くと、無辜の市民を描いて、彼らが無残に死にゆくさまを露悪的に見せ、反戦意識を高揚させるような内容のプロバガンダ的映画なんだだろう?
という意地悪な指摘が頭の奥から聞こえてくるが、そうではない。
登場人物はだれも、欠点はあっても愛着のわく人物で、だれもが個性的である。「無辜の市民」などとのっぺりした型にはめようとすると漏れ出てしまうものがある。すずの視点を通して、お嫁入りした不安、それから家族のいち員になれた達成感。そういったものを視聴者は得ている。そこに訪れる戦争。
安易に「戦争やめよう」といいたい映画ではない。
ひとをのっぺりした視点で見すぎてはいけない。もうちょっと奥をのぞきこめば、そこには代替不可能の存在になるかもしれないひとがいるのだ。
戦時下の街の暮らしをみて、僕はシリアを思い出した。
シリアはこれまで経済発展し、世界の華やかな文化をひとびとは享受してきたが、テロや列強(とかくと古臭いが)の思惑に翻弄され、市民は難民として世界をさまよっている。
なにか大きなことができるわけではないが、ちょっとでも助けになることができればなあと、小さな町の片隅で僕はひっそりと想うのであった。
