自分とは一体何なのでしょうか。
僕は、家が母子家庭で経済的に余裕がある家庭ではありません。裕福ではないといえ、母が仕事を頑張ってくれているおかげで、満足いく暮らしをさしてもらっています。今となればこのように考えれるのですが、昔といえば大袈裟ですが、先日までこの考えには至りませんでした。
幼い頃、私は親に「何か買って欲しい」や「何かしたい」と母に言ったことが数えるほどしかありませんでした。自分に素直になれず、周りの目を育つような人間でした。そして、いつからか周囲と暮らしの違い劣等感を抱くようになりました。環境が悪い、周りと違うのは、離婚してお金がない家庭にしている母のせいと考えていました。理由は、そうする方が楽だったからです。気づけば、何かを挑戦することから逃げていました。また、何かを諦めるの全て、環境(母)のせいにしていました。全て、楽だからという理由だけです。
小学生の頃には、母に「死ね」と書いたメールを送ったこともあります。中学生の時には、「おれは望んで生まれてきたわけではない。選択できるのであれば、お前の子どもに産まれていない。」と言ったこともあります。ここに書いていることより、酷いことを言ったこともあります。この考えに至ったのも全て母のせいと思っていました。
当時の、私にとって全ての原因は母であるという考えでした。
私の考えと母の考えは、異なっていたのだと、振り返って話すようになってから知りました。
母は、一人っ子の私に、寂しい思いをしてほしくないと思い、夏休みや冬休みには、母の友人の家族達と旅行に連れていってもらいました。4〜6家族ぐらいが集まって、夏はキャンプに連れて行ってもらったり、冬は…どこに行ったか忘れました笑笑
と、まぁたくさんのところに連れて行ってもらったのですが、この時ですら私は劣等感を抱いていました。いつも迎えにきてもらうという家に車がないということや、同年代の話ででくる、当時、大人気だった怪盗ロワイヤルなどパソコンが家にない私にとって、羨ましいと思うことばかりでした。
小学生時代、特に一番嫌だったのは、地元に友達がいないということでした。小学校にあがるタイミング離婚が成立し、引っ越しをしたため、小学校に仲のいい友達がいませんでした。ましてや、金曜の夜には父の家行き土曜の夜に帰ってくるという約束?契約?だったため、基本的に土日に友達と遊ぶということがありませんでした。学校では、それなりには遊んで楽しんではいたものの、プライベートで遊ぶということがあまりありませんでした。当時は、DSやWii、PSPが流行っており、母にねだって唯一買ってもらえたのが、DSliteでした。そんな私は、父にねだればいいと思うようになり、父と会うたびに、色々なものを買ってとねだるようになりました。しかし、そんなうまいこといくのも一瞬でした。父が、自分を金づるのように捉えられているのではと、思ってようで、必要なものは、買ってあげるが、自分が欲しいものは、自分で買うか、誕生日やクリスマスまで待ちなさいと言われました。私は、父に逆らうという、考えが全くなかったため、素直に受け入れました。しかし、父の周りはお金を持っている人が多かったため、お年玉が一回で4〜6万円ほどもらえる状況であったため。小学生ながら、貯金が50万ほどありました。父は、私が車が好きということを知っており、車買うために貯めておきなさいと言われましたが、欲しいものは自分で買えばいいのだ、母は頼りにならないと考えた、私は、一瞬で溶かすように使いました。気づけば10万円をきっていました。こんな感じで小学生を経て中学生になった私は、更に酷くなりました。
中学生になり、私は半年足らずで不登校になりました。学校に友達がいない、行くのがめんどくさい、行く意味がないと考えていました。最初は、母にしんどいから休むと言いましたが、長く続くはずもなく、母は、私に学校に行くように言います。それに対して、私は毎朝トイレに隠れるように籠り、母が仕事行く8時過ぎまで待機して、母が家を出たタイミングで、トイレから出るようになりました。中学生の私にとって、家に居ても暇なだけでした。朝からスッキリを見て、いいともを見たり、ヒルナンデスを見たり、夕方の再放送のドラマを見たりする以外することがありませんでした。そのまま2年生になっても不登校が続いていました。
と、まぁ、まだまだ長くなりそうなので、また後日に書きます。