https://youtu.be/OlvVRi6cUGA
今、れいわ新選組が大注目されている。
代表は、我らが
山本太郎
さんですね^_^✨
俳優、芸能人であることは
みなさんもよくご存知かと思いますが、
彼は、スピリチュアルな方でもあります。
世界的ベストセラー
あの「神との対話」3巻の解説を
山本太郎さんが書いていらっしゃいますので
その全文をここに書いておきます。
最後の言葉で
この方は、アースエンジェルであることがわかり、
ずっと私の記憶に残っていました。
今の山本太郎さんがあるのは、
この最後にある質問を
ずっと神様にし続けていたからだと
おわかりになると思います。
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神との対話③
解説
「二十五歳になった時、納得できない大人になってたら、死んでやる」
10代の僕は、そう思っていた。
芸能界に入ったのは16。周りの大人がほとんど信用できなかった。言葉巧みに操られ、自分の意思が一つも尊重されていないような気がして、重苦しい毎日だった。仕事先でよく、大人たちから「お前、ほんとに16か?賢すぎるなぁ」と言われていた。適当なことを言っている大人が裏で何を考えているかを、いつもじっと見ていたからだ。
大人だけじゃない。何かに対していつも、怒りがあった。むかつくヤツは消せばいい。金がなければ奪えばいい。今さえよければいい。人生は一度きり、俺は俺の生きたいように生きる。ーやんちゃな年頃とはいえ、ずいぶん刹那的な10代だった。
「だけど何か違う」、そう感じたのが21歳。
ちょうどその頃、姉がヨーガを習い始めた。僕と同様、悩みが多くやんちゃだった姉なのに、ヨーガを深め、精神世界に興味を持つにつれ、驚いたことに、会う度にまるで薄紙が剥がれていくように内面の輝きが増していくのが見てとれた。
姉とは気が合わず、よく衝突していた母が、そんな姉の変容を見て、「私もそうなりたいそうなりたい」とヨーガを習い始めた。母には膠原病と言う持病があったのだが、ヨーガを始めてからは徐々にその症状も安定し、どちらかと言うと「物質至上主義」だった母が、姉の影響でいつしか精神世界えと…。そして、母の内面もそれまで以上に輝きを増し、何よりもバラバラだった家族の愛と絆が深まった。そして、これは効果がある、と僕もヨーガを習いに芝の増上寺に通うようになった。
ヨーガを通して身に付いたのは集中力。
僕は常にじっとしていられない子供だった。とにかく常に5分と座っていられない。勉強は大嫌い。字を読むくらいなら、どこかに遊びに行きたかった。
その、全く本を読めなかった僕が、海外ロケの荷物に母が入れてくれた本を開く気になったのも、ヨーガで集中力がついたためだろう。
『神との対話』を読み始めたのは、「世界ウルルン滞在記」の仕事で、パプアニューギニアのイリアンジャヤへ向かう途中だった。7回も飛行機を乗り換え、最後はドラム缶と一緒に貨物用のプロペラ機で運ばれ、たどり着いたのは「秘境」と呼ばれる地だった。「文字に慣れていないから、最初は読みにくいかも。でも、飛ばし読みはしないで、わからないところは元に戻って繰り返し繰り返し読めば、きっと意味がつかめるよ」と言う母の熱意に負けた。初めからすんなり頭に入るわけではなかったが、集中して読み始めるとだんだん面白くなってきた。
道理に合っていることだらけだった。科学者も政治家も、えらい誰かも説明できなかったことをズバズバ切っていた。
イリアンジャヤに着き、ある部族と生活を共にした。日本とはまるっきりの別世界だ。食べ物も違う。生活もまるで違う。16くらいの健康な娘が子どもを産み、しつけや教育は酋長がする。日本なら高齢者は、社会的には片隅に追いやられることが多い。だが、ここには経験を積んだ人だからこそ、必要とされるぴったりの任務があり尊敬されている。
「若い者が子どもを産み、50歳以上の成熟した大人がその子を育てればいいと『神との対話』に書いてあったのは、目の前のこれじゃないのか?」
本に書いてあったことを、この辺境の地で自分自身の目でしっかりと確かめたのだ。
帰国後も、まさに同じような出来事に気づかされ、『神との対話』はいつの間にか僕にとってバイブルのような思い入れのある本になっていた。破天荒だったこんな僕が変われたのは、この本との出会いがあったからだ。
だから、日々自分なりに本に書いてあることを実践している。例えば仕事を選ぶとき。映画やドラマでもその時々でスケジュールや内容、さまざまな状況が複雑に絡んだうえで、選択を迫られる場面が多い。そんな時、損得や目先のことを考えるより、自分が本当に心からやりたいことをやるべきだ、と僕はそう肝に銘じている。
また、インスピレーションやヨーガで少しは開けた自分のカンを大事にするようになった。
決して大げさなことじゃない。例えば朝出かける時、ふと街のTシャツをもう1枚持って出かけようかな、とひらめいたりする。「まぁ、大丈夫か」とそのまま出かけてしまった時に限って一日中動きまわり、大汗をかいてびしょびしょのシャツで過ごすはめになってしまう。そういう時は、朝のひらめきを逃した自分を疎ましく思う。忙しさに紛れ、つい「まぁ、いいか」と気づかぬ風をよそおうこともある。そんな時は「ダメダメ、これはきっと自分に必要なことは自分が一番知っているということだ」と、立ち止まってチェックすることにしている。
もともと僕はクリスチャンだった。だが親がそうだったから洗礼を受けただけで、今の僕にとってみれば、単なる儀式だったに過ぎない。子どもの頃から事あるごとに自分の勝手で神様に祈ったりしたけれど、その願いは届いているのかいないのか。悪事をしては、あの鋭い母にかかるとすべてお見通しで、ベッドの中で何度も「クソ神様!」とつぶやいたことか。そのうち、大きくなると、「神様がいるのなら、なんでこんなひどい世の中なのか?本当は神様なんていないのでは?」とむかつくようになっていた。
でも今は違う。
この本に書いてあるように、神が自分と同じようなものとして人間をつくったのなら、自分たちの力で世界は変えられるんじゃないかと思う。今の僕は特定の宗教を信じているわけでもない。キリストやマホメット、ブッダとか、特別に信仰している神や仏もいない。だが、いつもなんとなく、目に見えない大いなる神の存在はあると確かに感じている。どこかに向かっているわけじゃない。だが、どんな人も何かに夢中になっている一番ピュアな状態が、神に近いような気がしている。
また、殺戮や貧困、飢餓と言う悲惨な状況下の人を報道で見るたびに心が痛むのは、僕の潜在意識に「地球人」、「みんなと家族」という考えがインプットされているからだと思う。
うちは母子家庭だが、物心ついた頃から、母は子どもにいっさい隠し事をせず、「ボーイフレンドができた」「今月はもうこれだけしかお金がない」など包み隠さず話してくれた。母が死んだあとでも、何が起きても動じないよう、この世の中で起こり得るすべてのことに対処できるようトレーニングを施してくれた。僕が悪事を働いたときは、納得するまで説教され、キッチリとけじめをつけられた。母親としてだけでなく、人間として真正面から向き合ってくれた。母親でありながら、「いい師匠にあったなぁ」と思わせてくれる母も、『神との対話』に書いてあるような「家族」というものの愛と大きさを、教えてくれているのかもしれない。
自分が自分らしくない時。
最高の考えも持てない時。
高いビジョンなどとんでもないと言う時。
残念ながら、そんな日は多々ある。そういう時、僕は『神との対話』を読み返す。目次を見て、目についたところをぱっと読む。地方ロケに行く時にも、ぽんと鞄に放り込んで行く。
もし、僕も神と対話ができたら聞いてみたい。「地球はこれからどうなるのか?」と。
2002年5月

