1か月。(②)
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ボランティアが1人でも増えることで、復旧に必ず繋がる。
放射線に対して厳しい見解や対応を見せている世界各国。
風評被害に苦しむ方々。
それらはすべて私たちの住む日本に関する事実です。
いつか誰かに助けてもらった時のように、
あなたができることを選択して
今度はふるさとや
友人の住む地域
沢山の人々が働いていた場所を、
復旧に1%でもできることがあるならばただ思うだけでなく、行動していけたら、そう思います。
記事の中で伝えるか迷いましたが
私は福島出身なので、放射能問題や風評被害は
直接被害を受けていませんが
いつも県民の方を想うと心が苦しいです。
実際、私は幼い頃に津波や原発の被害を受けた地域に住んでいたことがあります。
2週間前も、活動の帰りに野菜を廃棄している現場の目の前を通り過ぎ、何も出来ない自分に腹が立ちました。
しかし
私自身が直接大きな被害を受けていないので
このような言葉を本当は伝えるべき立場ではないと思います。
でも、ここ数日個人的に今も震災や原発問題の影響で避難所で生活している方や友人と連絡を取っていたので
思いを友人や仲間に代わって届けたいと思い、記事にしました。
被災した仲間や被災地の方々へ、一復興団体としての思いを伝えました。
最近、余震の中で最も強い地震がありました。
スマトラ島沖地震の際には、
本震の3か月後に、
M8.7の余震があったそうです。
まだ何も終わっていません。
だから世界中が祈っています。
ケニアの小さな子どもたちまでもが
日本の被災地の方を心から'思って'いるのです。
私たちは日本にいる。
健康で行動に移せるパワーがある、
自分で時間を作ることができる。
自分は無力です。
地震や津波を止めることはできない。
誰かを救出することも
過去を変えることもできない。
原発を直せる技術も無い。
でも、
私たちのような若者が行動しなければ誰が動くんだろう。
これからの日本を支えていく世代が、
できることで良い。選択した行動でも良いと思うんです。
仕事がある人は仕事で
ボランティアができる環境がある人は被災地で
無力かもしれないけど、思いを伝えていきましょう。
PRAY FOR JAPAN.
心から、復旧を祈り、できることをしていきます。
SHIRA#07
1か月。
◇いま、
そしてこれからも自分たちができること。
1か月前、あの地震が起きる前。
あなたは何をしていましたか?
あれから1か月という月日が経ちました。
しかしすべての復興には10年、もしくは15年以上の時間が必要だと言われています。
そのような状況の中で
自分たちが今すべきことは何なのか。
悩んでいる方は沢山いると思います。
実際ボランティアに行っても、
現実は厳しくて言葉がでなかったり
自分の行動に対して正解が分からず自問自答を繰り返している方も
実際すごく多いのではないでしょうか。
時間が経つにつれて、復旧に関わっている沢山の方々の努力とサポートによって
以前と変わらない生活を過ごすことが
可能になった方々が沢山増えていきます。
沢山の方が
今回の震災で
毎日をどれだけ
自分が当たり前に過ごしてきたんだろうと実感したと思います。
私自身本当に気付かされました。
でも、自分の周りだけが復旧してもそれをまた『当たり前』にしては意味が無いですよね。そう考えている方は多いと思います。
チームメンバーの1人でもある子の
実家がある地域では、復旧にまだまだ圧倒的に人手が足りないそうです。
厳しい現実は
実際にいまこの瞬間も続いています。
その中で、
当たり前が戻りつつある方は自分が日々何をするかは自由、かつ『選択』できます。
その中で
何より『時間の自由』もある10代、20代の学生が積極的に人のためになることをしていけば、必ず何かに、誰かに思いは繋がると思います。
それぞれ参加の仕方や取り組み方は選択できますし、行動は自由だと思います。
なので
例えこの活動に参加しなくても、
地区内のすでに
『当たり前』が戻りつつある方
東京にいる方
沖縄にいる方も
決して
戦後最大の震災を他人ごとだと思わずに、今もこれからも生きて頂きたいです。
そのような思いを抱いていても、
実際何をしたら良いのか分からない方も沢山いらっしゃると思いますし、
実際私自身がその1人でした。
この団体はそういう思いを抱いている方に『利用』して頂きたいです。
もちろんできることは少ないですが、
沢山の何かしたいと思っていらっしゃる方に
自分ができることを行動に移せる『場』として、使ってもらえたらと思います。
沢山の方々の思いやパワーの形として送って頂いた物資や手紙を
私たちは地区のラクロッサーや被災地の方々へ届けます。
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余震
お疲れ様です。
昨日大きな地震が来ましたね。
みなさん大丈夫でしたでしょうか?
毎日余震が続いて不安な日々を過ごしています。
自分は地震当日はラクロスが休みだったので知人宅で寝ていました。
地震速報で目覚めて、すぐに裸足で隣の空き地に逃げました。
地震がすごく苦手だったので、ずっと知人にしがみついたまま座り込んでいました。
幸い知人宅は全く被害がなく、水も出て、カセットコンロも手に入り、食事は困らなかったです。
夜はラジオで地震について聞きながら、余震で眠れない夜を過ごしました
それから、自分の家がぐちゃぐちゃになってるのを見たり、知人の親戚の家で木を拾って薪をしたり、ガソリンから発電して暖かいごはんをもらったり、親が急遽迎えに来て実家に帰ったり、日々が過ぎるのが早いと感じました。
今まで生きてきてあんなに怖い日はなかったと思います。
私は知り合いがみんな無事で恵まれていたと思います。
ラクロッサーも無事でよかったです。
ただ先輩をちゃんと送り出してあげたかったなぁと思います。
仙台に戻ってからはボランティアに行ったりしていましたが、本当に大変な所までは申し訳ないんですが、怖くて行けませんでした。
自分の普段の生活を取り戻しつつ、
自分のできる範囲でやれるだけのことをやっていきたいです。
大変な時期だけど笑顔を忘れないでがんばっていきましょう。