2026年5月17日(日)

 

『山中城』→『長久保城』 その2 の続きです。

 

2日目の次の城は『静岡の山城ベスト50を歩く』の著書から34番の長久保城です。

 

長久保城に行く前に「コミュニティながいずみ」で資料を入手しました。

地図は探索するのに助かります。

 

長久保城の詳細は不明ですが、今川氏によって築かれた城だと考えられています(長久保氏による築城説もあり)。1537年(天文6年)の「第一次河東一乱」で北条氏綱に奪われましたが、1545年(天文14年)の「第二次河東一乱」で今川義元が武田氏の援軍を得て北条幻庵が守備する長久保城を包囲します。北条氏康は後詰に向かうも、上杉憲政らに包囲された河越城の救援を優先し、義元と和議を結び今川氏に返還されました。なおこのときの合戦が「河越夜戦」です。義元の死後、北条氏と武田氏によって争奪され、武田氏滅亡後は徳川氏の所領となり、松平家忠が入城しました。その後、「小田原征伐」の際には徳川家康は豊臣秀吉をこの城に招いており、秀吉はこの城から攻撃目標の山中城へ視察に出ています。

 

三の丸北西側の空堀(深さ約6m)

 

三の丸北西側の土塁(高さ約4m)

 

三の丸

 

三の丸と二の丸の間の堀の名残か?

 

二の丸

 

南曲輪西側の土塁(外側)と堀跡

 

南曲輪西側の土塁(内側)

 

南曲輪北側の土塁

 

南曲輪北側の土塁(内側)

 

南曲輪南西側の切岸

 

南曲輪南側の切岸

 

南曲輪(階段状に曲輪が段々に分かれている)

 

本丸

 

本丸からの眺望(南方面)

 

「コミュニティながいずみ」でもらった地図で位置関係がよく分かった。

城郭のほとんどが消失しているが、三の丸北側の空堀(深さ6m)と土塁を観ると大規模な縄張りだったことがわかる。