僕は自分の仕事にかなり強い執着を持ってしまうタチです。

 

・自分が担当したものはより良いものにしたい

・それを他の人に崩されるのはとてもじゃないけれど許せない。

・他の人が触れるくらいならば全て自分でやる。

・他の人が触ってよくなるなら、自分が触って悪くなった方が気分は良い

 

そんなどうしようもない考えを持っていました。

そしてそんなタチであることがチームとして働く上でとてもまずいことにも気付いていました。

しかし、自覚があるのにどうしてなのかどれだけ意識しても変えられなかったのです。

今の日本企業は良くも悪くもホワイト企業が多く、キャパオーバーを引き起こすことが難しいということも一因だったかもしれません。

しかもキャパオーバーになるほどに働くとより他の人から「それはこっちでやるよ」という圧力は強まり「僕の方で進める」と押し除けることが難しくなります。

それが非常に僕にとってはストレスでした。

 

そこで僕は荒療治を取ることにしました。

本当に僕だけでほぼ全ての仕事をやることにしたのです。

キャパオーバーになれば自分の仕事についての諦めがつくのでは?と思ったのです。

 

当時僕がいた部署は仕事が少なく、正直お荷物部署だと思われてるだろうなぁという感覚を持っていました。

僕はまずは部署にもっと仕事が来るようにさまざまなところに働きかけを行うことにしました。

色々なところに顔を出し、色々なところで発言をし、仕事にできそうな話があったら「それ僕も入れてもらっていいですか?」と言ってみる。

そうすることで僕の仕事は一気に増えました。

 

しかし、僕の性質は前述の通り「僕の仕事は誰にも渡さない」といったもの。

忙しくなれど、だれにも引き継げず、ただただ仕事だけが増えていきます。

 

副次的にさまざまなスキルや知識が身につきました。

タスク管理、エンジニアへの負担の見積もり、サービス自体の理解、オペレーション構造の理解、それらに対するデザインの影響、もっと入った方が良い分野。

それなりに働けたとは思います。

 

ただ、それも限界が来ます。

とてもじゃないけれど1人で回せない量になってしまい、僕のせいで動かないプロジェクトや僕自身の精神的、身体的な体調不良も生じてきました。

 

ここに至っても僕はまだ「僕の仕事は誰にも渡さない」と思っていました。

仕事を独り占めしていたことで部署のメンバーとの折り合いが悪くなっていたことも一因としてあるかと思います。

 

そんな折に1人のメンバーが追加されました。

その方は非常に優秀で僕自身もかなり期待している人でした。

 

僕はその人に仕事をどんどん切り分けることにしました。

しかし、その人に断られました。

 

そしたら思ったのです。

「もう誰でもいいから渡したい」

 

そのときにわかりました。

僕自身、「仕事がある」ということ自体に非常に価値を感じており、コレクションするかのように仕事を集めていたこと。

僕は仕事を我が子のように扱っていたのではなく、コレクションとして扱っていたこと。

そしてそれが他の人にとっては価値がないということがわかって、そのコレクションに対しての価値を見失ってしまったこと。

 

僕は正しく、仕事を我が子のように思っていなかったようです。

 

仕事を我が子のように思うには雑に扱いすぎているし、その後の経過をみてあげられていない。

自分でやることにこだわって、もっと余裕があってちゃんと育てられる人に預けることもできていない。

 

意地を張りすぎていたことがとてもよくわかりました。

 

なので、自分の仕事を正しく「我が子」扱いする方法は単純です。

「自分の仕事」とは思わず、その仕事自身をよく見て、それが今後もっと良い成果を発揮できるように補助することが重要なのだとわかりました。

 

仕事は我が子同様、いつか自分の元から離れていきます。

その時に他の人が引き継いでもちゃんと動けるようにしておいてあげるのが、本当の意味で「我が子」のように大事にするということなのかなと思いました。