2026年1月29日_ ICI安黒務によるキリスト教Q&A

「Q15 :クリスチャン生活とはどのようなものなのか ?
 ―⑻心の奥底まで、聖なる神の御前に真摯に生きようとする生活である」

https://youtu.be/3H8rnvwxIFo

 

 A15 :「クリスチャン生活とはどのようなものなのか ? 」を問うている。わたしのクリスチャン生活は、19歳の夏、クリスチャンのキャンプに誘われ、そのキャンプのキャンプファイヤーにおける、あるクリスチャンの罪の告白から始まった。

 心の奥底まで、聖なる神の御前に真摯に生きようとするクリスチャン生活の本質を見せられた。「この世にこのように真摯な生き方があるのなら、不真面目なわたしもそのように真摯な生き方をしてみたい」と心の底から願い、「一生涯、聖書を座右の書として生きよう」と決心した。

 あの夜から、聖書に傾聴しつつ生きている。「聖書一日一章の通読」スタイルは、「エリクソン著作一段落翻訳と関連聖句瞑想の組織神学的瞑想」スタイルへと変貌してきたが、73年間その本質は変わることがなかった。新約聖書マルコによる福音書[1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた]とある通りである。

 わたしがクリスチャンとなり、教会の高校生クラスを担当していた時、J.D.C.アンダーソン著『静思の時』から教えた。デボーション・ノートを毎日綴るよう励ました。そのクラスからは後日幾人かの献身者が生まれていった。ひとりの姉妹は、聖書を一日一章ずつ読み、B5版のノートにびっしりと祈りと瞑想のうちに教えられたことを、毎日日記のように書き記してきた。「こんな子もいるのだな。将来きっと優れた牧師夫人となるだろう!」と感心させられた。その時はまさか、将来彼女が自分の妻になるとは予測していなかった。

 今、敦賀の教会と職場で訓練を受けている末の息子は、この一年半、旧約の預言書から始め、新約のヘブル人への手紙まで、一章単位の聖書解説とそこから教えられた洞察をまとめ、ほぼ毎日20~30分の「デボーション・シェア」として、音声ファイルで送り続けてくれた。「こんな献身者もいるのだな。将来きっと優れた牧師また教師になるだろう!」と感心させられている。

 彼は今、アメバ・ブログで「安黒拓人のデボーション・メッセージ」という新しいミニストリーへの取り組みを模索している。「蛙の子は蛙」なのかもしれない。