13の月の暦では
本日はkin260 の日。
グレゴリオ暦に例えますと、大晦日になります。
ちょうど一年前(260日前)は、
長女の心臓の手術の日。
この私達の肉体は 有限であり
“死”を迎えると、わたし達の本質、本体、へ還ります。
一年前、大事をとり、
走ることさえも、ドクターストップされていた娘を観て、
今まで、生活の中で無意識に
「歩く」「走る」を当たり前のように
してきたわたしに
「歩けること」「走れること」は、
奇跡なのだと
大切な気づきをいただきました。
わたし達のからだは
見えない自分(yesの想いの世界の自分)、
本体、との連携で
意乗り と 祈り で
この現象世界で表現できている。
“できる”ことが 沢山ある!!
「歩くことが できる」
「走れることが できる」
「話すことが できる」
「匂いを嗅ぐことが できる」
「観ることが できる」
「指を動かすことが できる」
昔は
あの人の才能が羨ましくて、、、
わたしには何も才能がない、、、
わたしなんか、、、
と自己卑下し、“無い” ばかりに心のベクトルが
向いていたわたしでしたが、
「“できる” ことが
いっぱいある!!」
と、自分のからだに感謝が溢れました。
「ないもの」から→「あるもの」
に意識が向き、ここを“前提”に生活をすると
観える世界が変わり、足元が確かになります。
(周波数が変わり、観える世界が変わる)
一見、闇(No)に見えることだけど
そこには、
それだけの高次のyes◯の光の
自分の可能性を有しています。
yes◯の自分を 思い出してゆくために🌈
Noは、yes◯の 協力者なのです。

