一番倉で荷崩れが発生し、甲板部総出で増し締め作業を行っていました。
午前中の作業を終え、昼食を取り、少し休んで午後も作業を継続しました。
一等航海士は、夕方の航海当直に備えて、午後は休息を取ることが望ましいのですが、キャプテンが当直をとってくれるというので、自分は継続して作業にあたる事にしました。
そして、午後1時過ぎ、薄暗い貨物倉の中を歩いている時、自分は貨物の後端から、10m下の船底まで転落してしまったのです。

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ここが落ちたところ。
船の前に向かって歩いていたつもりが、貨物の後端に沿って歩いていたようでした。
「あっ」と思った時には、バランスを崩して真っ暗闇の中に落ちて行きました。

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矢印の上の部分から、斜めになったプレート(シェダープレートと言います)に向けて転落(高さ6m)。
プレートの上を滑り落ち、シェダープレートに顔面を強打、積んであるコイルとの間に落ち込み、その際後頭部をぶつける。

気が付くと、必死に声を上げながら自分の事をストレッチで吊り上げている機関長の顔が見えたが、相当出血しているようなのが自分でもわかり、再び気を失う。

次に気が付いたのが貨物の上で、自分を覗き込む甲板長がいつもにも増して悲しげで、すまない気持ちになった。

キャプテンが、会社や海上保安庁に連絡を取り、ヘリが迎えに来られる八丈島から220キロの地点まで引き返す事になった。

病室で、二等航海士の応急処置を受けるが、どうやら手首と膝を骨折しているようだ。

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翌朝6時過ぎ、ヘリの音が聞こえ、海上保安庁の特別救難隊の方が「大丈夫ですか」とやってくる。
「これで助かる」とほっとした気持ちに。

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ストレッチャーに固定されたまま、吊り上げられるが、本船のマストの高さ位まで上がり少々恐ろしかった。

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八丈島に到着、ここから羽田までは飛行機。
沢山の税金を使ってしまい、誠に申し訳ない気持ちになる。
羽田から救急車で首都高を走り、文京区にある病院へ。
膝のお皿と、手首の骨が折れており、すぐに緊急手術となる。
手首は、脱臼もしており、ひょっとすると一生曲がらなくなる可能性もあると言われ暗い気持ちになる。

手術が無事に終わり、集中治療室で会社の船員部部長、両親、家内と面会。
心配させてしまい、申し訳ない気持ちだった。

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このブログを見ている方には、船員を目指している方もいらっしゃいます。
みじめなこんな姿をアップするのは、自分の恥をさらすことです。
でも、自分も事故を起こすまでは「転落事故を起こすなんてとろい奴だ」くらいにしか思っていませんでした。
空手と登山で鍛え、足腰には絶対の自信があったのです。
それでも、こうしていとも簡単に転落事故を起こし、大勢の方に迷惑をかけてしまいました。

事故はある日突然やってきます。
みなさんも、どうか慢心せずに、安全運航に務めて下さい。

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2回目の入院で、春が来ました。
病室から、桜が見えて「こんなに美しい季節に、自分は船員としての将来を断たれてしまった」と、とても物悲しくなった事を思い出します。