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急げ。急げ!。憲法はこうして誕生した。佐藤達夫の最も長い昭和21年3月4日。

2015年6月24日。
左側の無い男(ジャーナリスト)さん記事

最近の国会での安保法制審議を巡っては、これ程憲法がクローズアップされたのも珍しい。

憲法が迚も身近になった。

具体的な法案を目の前にしているだけに、立法主義とか、憲法に基づかない非立憲主義とか言う専門用語も自然に理解出来た。

安倍政権は今の憲法の枠組みをはみ出し、
時の憲法が国の枠組みを自由に決めることが出来るとする、
非立憲主義の政治を目指しているという~、
専門家の説明も納得出来た。

そもそも今の憲法は どのようにして制定されて来たのか、

昭和21年6月、帝国議会に帝国憲法の改正案として提出された新しい憲法案について、
まず最初に委員会審議に先立って秘密会で審議された小委員会の速記録である。

秘密会の委員は森戸達夫等14人。
(委員長は芦田均)

この秘密会には政府委員として、
内閣の法制局次長だった佐藤達夫が出席している。

憲法の微温的な松本政府案、
主権在民、戦争放棄等を盛り込んだ過激なGHQ案、

そのGHQ案の政府修正案、
その挙げ句の徹夜仕事でバタバタと皇居端のGHQの一室で取り組んだ共同修正案、

帝国議会提出の政府原案づくりなど生々しい現場を自らも当事者として見詰めてきた法制官僚である。
そのバタバタの徹夜仕事で、
我が国の戦後の、
「國のかたち」を官僚として決めざるを得なかった佐藤達夫のこころの中は~、
いかばかりだっただろう。

速記録にはその雰囲気が全く伝わって来なかった。
しかし児島のぼるの著作、
《史緑 日本国憲法》
(文藝春秋・1972)
では生々しく伝わってきた。

一言で言えば、
突然訪れたおもいもしなかった狂気のの一夜であり、
…生涯で最も長い日…
だろうと推察出来た。その日とは、
昭和21年3月4日~5日の30時間。
だった。
僅か30時間で戦後日本の
《この国の形》が決まったのだ。

このバタバタと事を急いだ背景には3月7日に正式に日本の今後を如何するかと言う事の基本を決定出来る連合国の極東委員会が設立されるというGHQ側の…のっぴきならない焦りの事情があった。

そんな煩いことになる前に、憲法の概要をさっさと決めておきたいというマッカーサーの思惑があったらしい。

バタバタであっても、そこには二度と戦争をしてはならないという熱情が、日本政府にもGHQにも有った。
今の(安倍政権)ように、
熟議、熟議と言うけれど、
丁寧に説明とは言うけれど、
その中身の空虚さには幻滅して居るだけでしかないのだ。
(以上)


日本国憲法《3月2日案》の起草と提出…日本国憲法の誕生…

資料と解説
3-20 日本国憲法《3月2日案》の起草と提出。

昭和21年2月26日の閣議で、GHQ草案に基づいて日本政府側の案を起草し、3月11日を期限として、GHQに提出することが決定された。
松本国務大臣は佐藤達夫法制局第一部長を助手に指名し、
入江俊郎法制局次長にも参画を求めるとともに、
自ら第一章(天皇)、第二章(戦争の廃止)第4章(国会)第5章(内閣)の「モデル案」を執筆した。

他方松本から起草の下命を受けた佐藤は、随時入江と協議をしながら、
総理大臣官邸の一室で、極秘の内に協議を行い、
佐藤らは松本の起草した「モデル案」の第一章・第二章に佐藤の起草した第三章以下(第四章・第五章を除く)を加えて、2月28日に「初稿」を完成させた。

初稿には同日松本と入江・佐藤との打ち合わせの結果訂正が加えられ、
第二稿にさらに訂正が加えられた。
この間何度かGHQから、
日本案を至急提出するように求められた為、
急いで案分を整理し(3月2日案)
3月4日午前松本と佐藤が、
GHQ民放局に提出した。

この時同時に松本の作成した「説明書」も提出した。
GHQへの提出が3月11日より早まった為、
英訳が間に合わず(案分)と「説明書」は日本文のままで有った。

3-20 日本国憲法「3月2日案」の
起草と提出

3-21 GHQとの交渉と「3月5日案」の作成

3-22 「憲法改正草案要綱」の発表。
白州次郎がみたGHQ憲法

白州次郎は終戦連絡中央事務局次長を務めGHQより、
「従順ならざる唯一の日本人」

と言われた人で、GHQの押し付けに最後まで抵抗した。

昭和21年3月5日…
一連の憲法改正の作業を終えて、自宅に戻った次郎は、泥のように眠ったものの、
寝言で、
シャラップ(黙れ!)
ゲットタウト(出て行け!)
と叫んでいました。

3月7日付けの彼の手記にはこう書かれています。

「今に見ていろ!」
ト言フ気持チ抑エ切れレズヒソカニ涙ス。

佐藤達夫は2日連続で徹夜して3月6日の朝高円寺の自宅に向かいました。
坂を上がる途中、奥さんが、
「あなたっ」と駆け寄って来ました。
「心配掛けたな」
と一言だけ言ったそうです。
家では子供達が
「お帰りなさい」
と迎えました。
佐藤はGHQで出された角砂糖2個キャラメル3個ゼリービンズ等をポケットから出して、
子供達に渡しました。

国民の為を思って、
押しつけの憲法案を書き直してくれた人達に御礼を言いたいですね。
嘘つきの安倍政権が
どれだけ酷い…人として恥ずかしいことをやっているか、
日本人を陥れる憲法改正に、
騙されては不可ませんね。