偏屈な性格でして、嫌いなものがあるとその理由についてよく考えこみます。
僕はおじさんが嫌いです。
おじさんを見ると不愉快な気持ちになります。
それは向こうからしても同じようで、おじさんに絡まれることがしょっちゅうあります。
例えば嫁とドライブをしていて赤信号で止まったときに、近くを通りすがったおじさんが僕を睨んでいて連れの人がそれを必死に止めているとか、
馴染みのスーパーに行って知らないおじさんにいきなり「なんだよ(怒)」とすごまれたり、何かあるとすぐに絡まれます。
しかし考えてみるとおじさんとは一体何なのか?
年齢だけで見るとおじさんと呼べる人でも、面白くて仲のいい人も沢山います。 そして僕はそうゆう人達の事をおじさんだとは思いません。
自分にとって都合の悪い人間の事を僕はおじさんと呼ぶのか?
いやしかし、厄介だと思うけれどおじさんだとは思わない人もいる。
だとしたら僕にとっての「おじさんの定義とは一体何か?」と考えた場合、シンプルな一つの答えに行き当たりました。
おじさんとは、究極の権威主義者なのだと。
「ニュースで言っていたから」「年下なんだから」「仕事なんだから」
同じような言葉を発したとしてもそんな意味にはならない人がいることも承知しております。
僕の考えるおじさんたちは、このような言葉を発するときに極めて無責任なのだと思います。
「~から」と言ったきり、たとえ何か不始末がおこったとしても、弱い立場の相手に向かって「それは知らない」で終わらせる人間。それがおじさんという生き物です。
そこでは目的の遂行よりも、責任の訴追を逃れる事が優先される。
本来であれば目的の遂行のために責任が存在するのだと思うのだが・・・
うーん、羨ましい。
何もしなくても達成感を得られて牛馬のように草を食む。そうゆう人間に私もなりたい。