素直に気持ちを言えば良いのにな、
という感想。主人公は天使なのか。
はたから見てると何やってんだ、と、美しいとも感じず、ある意味現実って確かにこんなもんかもなと。運命だったら2人はまた会えてくっつく、とかそういう話でもなく、行動すればそうなったのにね、と。
結果それを後から「運命だったね。」という話。
結ばれた人を見て運命という、結ばれてない人はピックアップされてない、ということである。
マヤでも足るを知る、という言葉、今の状態で足りてる、もうあなたは充分に持ってる、受け入れよう、という赤い龍から始まり、それは時に人を救い、人を苦しめる。
基本的にこの地球っていうのは、弱肉強食で、欲のある人が上に行き、叶えて行く世界である。
そんな世界が好きか嫌いかと言えば私は嫌いである。
でも、同時にそれが地球のルールなら、そのルールに則らないと、それは楽しく生きられないよね、とも理解している。ただ肌に合わない、そういうことである。
でも、野球をやってるのにルールに従えない、肌に合わないは成り立たない。
野球なんてやめてしまえ、となる訳で、
じゃあ人生などやめてしまえ、となる訳である。
つまり、私の人生って成り立ってない。笑
頑張って成り立たせようとはしていて、今まで続いていて、でも、肌に合わないから日々疲れている。
欲を叶えていってる人を見て、あぁ人間らしいなぁと思う。人間界ではああ生きる。それがきっと幸せ。それを経験せずして、マヤや他のスピリチュアル系の何か、心理学で合理化するのは苦しい訳だ。
とは言え、それなりに経験し、頑張って対人してきたことは事実で、私の中では、
人間とのコミュニケーションツール
だと思ってるマヤ暦も学び、そこから出会う人は馴染める人も多く、頭が良いとか悪いとか、じゃなくて、
精神性が高いか低いか、みたいな部分、そこに興味を持っているか持っていないか、理解はなくても無視はしないか、みたいな要素は自分にとってはやはり重要である。
そこからの出会い、対話を経て、
振り返ると、今までやってきたこと、
私の欲じゃなくて誰かの欲だったなと気づく。
今まで叶えてきたこと、人の欲のこともあれば自分の欲もあるなと思っていたけど、ほぼ全て、誰かの欲だったなと気づく。
つまり、人間界のルールで生きれてない。
推し活が楽しかったこと。
あれが初めての自分の欲だったのかもしれない。だけど、他人の欲に疲れてしまって自分の欲は引き下げフラストレーションだった。
要するに、正直言って、
この地球は基本的に好きじゃないし、基本的に人間も好きじゃない。
でも、好きになれる人はいる。
という所をまずは自覚する所から私の人生は始まる。
この文章は絶望でも希望でもない。
天使が地球に生まれ落ちた意味👼🌏