会社勤めの頃から、体制には馴染めなかった。
病弱だったし、親との関係も良くはなかった。
覚えているのは、激しい怒号と暴力。力で常に支配され続けていたから、それに対する反発は耐えずあった。自分を過度に抑圧させられた日々。優先されるのは親の感情。機嫌を損ねないように、息を潜ませる。閉じ込められた閉塞感。彼等が満足してたのは、私たちの忍耐があればこそ。
思えば病的な親だった。共働きで疲れていたのだろう。いつもイラつき、些細なことで怒りまくっていた父と、それに怯えて、情緒不安になる母。家では何度も脅迫され、恐怖と不安が満ちていた環境。素直な感情を示せば、否定され、親の心を満たすことだけを、常に求められた。親は子供の心に寄り添うのではないのか?
でも私は、心に寄り添われたことはない。
弱音は吐けず、ネガティブ感情が表現出来なかった。人間は非情だと思った。暴力により、弟の心は病み、社会復帰は出来ずにいる。素直で優しく親思いだった彼は、父には自慢の息子だったが、治療が遅れたし、父は彼の入院先の病院には、一度も見舞いに行ったことはない。
いかにしたら、自分が世間から良く思われるかばかりを考えていたから、そのためには、平気で家族を犠牲にした。
そんな父を、私は許せなかった。亡くなるまで、感謝や謝罪はされたことはない。典型的なモラハラ、DV男性だったのだ。そして私が関与したのは、いずれも似たようなタイプの男性たちで、私は病的に依存され、心が踏みにじられ、彼等のサンドバックにされた。怒りは身体に残り、体調が悪化する。
いかに幼少期からの親子関係が、人生に影響をもたらすかだ。私は暴力から、逃れられたことは一度もない。それがとても辛かった。肉体労働の現場は、朝から怒号が飛び交う激しい雰囲気だ。無論プロだから、それなりに厳しいが、
労働者を機械の歯車程度にしか思わない会社の風潮は、どうしても受け入れ難かった。
生意気だったかもしれないが、外見や肩書きだけで判断されるのが嫌で、納得出来ないことは、例え上司であっても、従えなかった。心を縛るマニュアル、守れないコンプライアンス、そしてしがらみがある会社勤めは、自分らしくない働き方だと思いつつ、生活のためには、そんな理不尽なことにも、耐えざるを得なかった。自分が削られるだけなら、働く意味はない。
人生の選択をする時に、自らの意志が反映されたことがなかったから、もう人生の梶は、他の人々には握らせたくない。どんなに雷雨に見舞われようとも、いかに険しい道でも、自分で切り開いて、生きていきたいと思った。もう誰かのために、自分を抑圧したくない。だから早期退職して、あえて再就職先は決めなかった。
再び会社勤めをしたところで、人生は変わらないと思った。誰かの命令に盲目的に従うなら、それがない環境で、働きたいと考えて、本を作り、自然と起業に導かれた。とても自由な働き方だ。貧しさに耐えられるならば、会社勤めにはない出会いとか、魅力はある。
自分を押し殺して、安定を選ぶか、不安定ではあっても、自分を生かして、働くか。私には何も迷いはなかった。会社勤めで奪われた自分を、取り戻したかった。だからあえて茨の道を選択した。やはり子供の頃からの自分の本を出して、書店で販売したいという夢は、捨てられなかった。もちろん夢だけでは生活は出来ないが、もう私は妥協したくない。
それが仕事を続ける支えになっている。多くの非難や中傷そして時には、非情とも思える世の人々の声を浴びつつも、私は自分の決めた道を、行くだけだ。折しも復活節。イエスの復活に預かるように、私も立ち上がり、復活したいと痛感した朝だった。