子供の頃から、余り友達は出来なかった。身体が弱かったし、もしかしたら初めての団体生活になる幼稚園も、半年間入院してたから、なかなかその幼稚園にも、馴染めかった。親は厳しく、体罰なんて当たり前。子供たちは悪さをすれば、親を含めて、よく殴られたものだ。
暴力の記憶は脳裏に残る。幼少期に受けた暴力により、脳には異常が起こると言われているが、私は厳しかった親の機嫌を損ねないように、その顔色を伺い、恐怖を抱いてた。典型的な機能不全の毒親育ち。かつて交際してた人が
慢性の依存症で、そのためにDVを受け続けてた
時に、そこから救われる方法を探して、奔走してた。その時に保健所から紹介されたそんな患者に関与した者の自助団体から、送付された資料に共依存とACに関するものも、含まれており、問題のある人々から離れずに、そんな人々に、過度に尽くして、病的な依存を強める者が、 イネプラーであり、問題がある者と関わり、楽しめない。愛情としがみつきを混同しているなどの特徴があるのがACであるという一文を読み、その大半の特徴があった私は、その瞬間に初めて自らがACであり、しかも親とか恋人との関係が、共依存である事実を知らされた。ショックだった。
父や元の恋人は紛れもなく、依存的な性格傾向にあり、その世話に明け暮れることにより、その傾向を、さらに強めていたのである。そして
家族以外の者には、献身的である点も、そんな
人々の特徴であるという。そう言えば彼等は、
職場では仕事も出来たから、会社での評価も高かったが、仕事は我慢の連続だから、そこて抑圧してた感情が、家族の前で現わになり、飲酒により、病的な怒りとなっていた。
そんな異常性は死ぬまで、変わらなかった。元の恋人は、それ故に仕事が出来なくなり、家族にも見捨てられ、老健施設で亡くなり、父も、 白血病で召された。母亡き後は私が、父の看病をし、看取った。最後まで若き頃の非道に対する謝罪やそんな父でも、世話を焼いたことに対する感謝の言葉はなかった。
父を見舞う友はなかった。私も父の入院先の病院を訪れても、10分も共にいたくはなかった。 幼い頃から受け続けた暴力による強いトラウマのためである。母が父に依存してたから、 離婚しなかったが、自立してたなら、おそらくそんな病的な父とは、離婚してただろう。だから私は若い頃から、全く結婚願望はなく、仕事で生きると決意し、その思いを貫いてきた。
それに関しては、全く悔いはない。けれども家族がいない孤独は、例え仕事でも癒されない。
何かを得れば、何かを失うのが世の常。働き方を変えてから、人生が激変し、会社勤めの経験が通用しない厳しい現実にあるので、一人でいて、良かったとは思うけれど、過去に誰かと暮らした記憶が、時に私を苦しめる。人生の舵を切るのは自分。そして心の空白を埋めるのも、
結局自分なのである。恋人でもそれは出来ない
事実を、苦しい恋愛により知った。
一人暮らしは、自らが決断したことだが、特に
北海道の冬は長いので、この時期は孤独が辛くなる。だからあえてわざとに仕事をして、それを一時的にも紛らわす。町の各地区に老人のためのコミュニティがあるのも、独居老人の心身の健康目的でもある。子供の頃から慣れてるはずの孤独。けれども外に出なければ、話し相手がいない暮らしの淋しさは、何をしても解消は
されない。私が物書きという仕事を選んだのも、そんな心を表現し、本を媒体とした読者との交流を図りたいと、望んだためでもある。
本当に孤独な仕事である。それに向き合いつつ、日々原稿を書き続けている。
