さよなら、さよなら
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に

 [略]

 僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
 でも、わけて思ひ出すことは

わけても思ひ出すことは・・・・
  いいえ、もうもう云えません
決して、それは、云はないでせう

  [略]

ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
  僕は一人で、行けます、行けます
僕は、何を云ってるのでせう
  いいえ、僕とて文明人らしく
もっと、他の話もすれば出来た
  いいえ、やつぱり出来ません、出来ません

                (中原中也「別離」)


いよいよ25日、大学卒業式である。


可能なことなら東京を離れたくない。


でも、僕自身の可能性を追求する場所・環境は東京にはないのだ。


別れは本当に辛い。僕はきっと泣くでせう。

 高村光太郎著「智恵子抄」の有名な一説である。ちなみにここで言う「ほんとの空」とは福島県安達太良山を指すらしい。


 でもねぇ...ヒト・モノ・カネ・情報、ありとあらゆる物が凝縮されている東京という街は、田舎者の僕にとって物凄く魅力的な街だった。それまで電車が来るまで1時間待ち、車がなければどこにもいけないという生活が上京するや急変、Suica一枚で気軽にどこにでも行けるという。


 日本全国から多くの人材が集まる多民族国家である東京は、実に多くの人と出会うことができ、またたくさんのイベントに参加する機会にも恵まれていた。東京は僕の偏狭的な価値観を見事なまでにぶち壊してくれたのである。


 でも、一方で思ったのは東京ばかりが「これでもかぁ!!!」ってほどに繁栄繁盛し、また一方で毎年の予算配分に苦しみ疲弊する地方との格差。


 もう誰の目からも明らかなように、欧米の植民地対抗・富国強兵・殖産興業を目的とした明治以降の中央集権システムは現代の政治・行政の枠組みに合わなくなっている。それは一部地域を除いて、インフラの整備など、日本全体の産業構造の充実が相当程度達成されたからである。そして、10年・20年の長期的な視点で考えても、東京一極集中の力だけでは日本の国際競争力が落ちるのは明らかでしょう。


 地方にはそれぞれ地方独自の特異な事情とニーズがある。それに応えるためには、いいかげん日本は上から押し付けることで均一性を保つ今の行政上のモデルケースを改めなければならない。行政の効率化と地方経済の自立を促し、地方独自の新たなモデルケースを確立するのは喫緊の課題である。


 20日、ついに僕は4年間の学生生活を終え東京を去る。これからは地方(福島)のために貢献するのが僕の使命だ。


新聞社のペンの力を信じて!今、僕は本気で地方から日本を変えたい、いや変えなければならないと思っている。

「若者の新聞離れが止まらない」 


 この言葉をよく聞く。確かに今の学生は本当に新聞を読まないと思う。大学の講義なり、普段の友人との何気ない会話なり、時事ネタについて話しても学生は新聞を読んでいないので全く会話が噛み合わない。


 大抵の人は、TVやインターネットがあるので新聞は読む必要がないと言う。しかし、それは本当なのかなぁ?新聞を読んでいる立場から言わせれば、TVやネットの情報なんて本当に内容が浅い。TVやネットには表面的な大まかな情報しかないので、新聞のような詳しい分析・解説力には到底叶わない「エセ・ジャーナリズム」だろう、そもそもTVやネットも新聞社から情報を得ているのだから真のジャーナリズムは新聞でなければならない、僕はそう思っていた。


 が、やはり事態はそう単純ではないから厄介だ。そもそも、新聞はなぜ読者から見放されてしまったのか?この理由は実に複雑だけど、大雑把に分ければ2つ考えられている。一つ目は「インターネットの急速な普及によって情報を得る術が多様化したこと(多メディア社会の到来)」、二つ目は「ジャーナリズムの原点である権力の監視、社会のチェック機能が劣化したこと(新聞ジャーナリズム精神の衰退)」である。


 ここで注目したいのは二つ目の「新聞ジャーナリズム精神の衰退」だ。朝日新聞OB・柴田鉄治氏の「読者が新聞を見放したのではない。新聞が読者を見放したのだ」という言葉には衝撃を受けた。僕はそれまで読者の側でしか新聞の将来を考えていなかったからだ。この言葉はかなり的を射た意見であると思っている。新聞について語る時は、やはり記者の視点から考察することを忘れてはいけないのだ。


 ジャーナリズム精神とは「立場の弱い市民を代表して権力を監視・批判する精神」のことである。報道・言論の自由を駆使して社会の不正をあぶり出し、国民一人ひとりを幸せにすること・社会を少しでも望ましい方向へ導くことである。


 だが、新聞ジャーナリズムはその原点である精神を忘れてしまったというのが、二つ目の問題提起の意味するところである。新聞はかつて戦時中、戦争を激しく煽り国民を戦地に赴かせる役割を担ってしまった。その反省から「戦争には断固反対し、国民の人権を守る」ことを誓い再出発したのである。


 それが70・80年代、そして湾岸戦争を契機として新聞の論調は大きく変わった。新聞は常に市民の立場でいなければならないのに、政府の見解をただ垂れ流し、逆に国家の政策を推奨する論調まで掲げるようになってしまった。終いにはアフガン攻撃・イラク戦争の開戦に関する政府見解など、戦争までをも支持する始末である。最近では、新テロ対策特別措置法・与野党の大連立・税制関連法案に関する「つなぎ法案」の提出など、市民の声を完全に無視した社説を見かけることも多くなった。


 (ちなみにここまで読めばお解かりだろうが、僕は主に讀賣・産経新聞の論調に批判的だ。讀賣は大衆迎合せず、30年後の批判に耐え得る社論を掲げている。しかし、大衆に迎合しない代わりに政府与党(国家)に迎合してしまった。そして、渡邊会長の言動からもお解かりのように、発行部数1000万部を盾に讀賣自身が権力として君臨してしまった。)


 これでは新聞は官報となんら変わりがない。(よって、僕にとって讀賣新聞はもはや官報でしかない。)戦後の再出発で誓った新聞が新聞たる所以の精神が弱体化してしまったのだ。


 新聞が論調を転換せざるを得なかったのは、勿論時代の急速な変化に合わせるためであって、ある意味仕方がなかったとも言える。が、しかしそれでもやはり新聞は、市民の立場を守るのが使命であって、決して国家の側に立つべきではない。この原点を無視した新聞が増えたために、新聞は市民を敵に回してしまったのだ。


 新聞は「報道機関」という側面と「言論機関」という二つの側面を持っている。ただ情報を流すだけでなく、新聞の得意とする分析・解説力の言論分野を駆使して、権力批判の精神をぜひ取り戻して欲しい。多メディア社会を向かえ、何が重要なのか見失いがちな世の中だからこそ、新聞は市民の人権や平和を守る論調を広げ、かつ市民の思想形成を手助けする役目を果たさなければならないのだ。


 日本新聞協会の新聞要領の一部には次のようなことが書かれている。


 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
 おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。


 新聞が市民を見方にするか、それとも市民を敵に回し更なる購買力の低下を招くか。ネットの脅威に晒されてただの紙切れとなるか。それには、このジャーナリズム精神を取り戻せるかどうかに懸かっている。


参考文献

・柴田鉄治著「新聞記者という仕事」

・中馬清福著「新聞は生き残れるか」

・ひろさちや「無責任のすすめ」