a2hi6 Lounge & Archives

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Cho Binh Tay
【待ち合わせ - 市街・チョロンとか - 停電のケンタ - GH - 雰囲気のいいヴィラ - 雰囲気はアメリカンなバー】



 今日は昨夜とあるビアホイで出会ったPatrickと一緒にホーチミンを見て回る。朝9時過ぎにPatrickから電話をもらったが、まだ朝食をとっていない、もうちょっとゆっくりしたいということを伝え、予定通り10時に角のカフェで待ち合わせることにした。
 10時過ぎにカフェに行くと、彼が昨日と全く同じ出で立ちで待っていた。
 「よく寝れたかい?」 「いやいや、どうやら風邪っぽくてあんま寝れなかったよ…」
 …風邪かどうかは分からなかったけど、ノドが痛かったのと鼻が詰まってたのは間違いなかったので、まぁ風邪だろう、と。

 タクシーを呼んで、まずはダイアモンドプラザに向かう。ここでPatrickの家族と待ち合わせて一緒にショッピングをしようという話になった。おまけにタクシー代とか食事代とか、今日かかる雑費は全てPatrickが持ってくれるという。驚くくらいうれしかったけど、申し訳なくも思った。…ちょっと怖さも感じたけど、何かしらいぶかしい思惑があって「おごってやる」と言ってる感じは全くしなかったので、彼のことは疑ってなかった。
 …どんな家族が出迎えてくるんだろう…ダイアモンドプラザを前にタクシーを降りたおれは、急に緊張していくのを感じた。Patrickでさえ今日初めて会ったようなものなのに、家族まで一緒だと何だかやりづらい気がする… 家族ということでおそらくみんな英語を話せないだろうという予感はあった。
 10分ちょっとして、Patrickの家族がやってきた。お父さんにお母さん、あと高校生くらいの女の子の3人だった。おれとPatrickはこの3人に合流して、まずはブランチを。ダイアモンドプラザの4Fか5Fにフードコートがあるので、そこに向かう。…中にはスパゲティ、フォー、カフェ、それに讃岐うどん屋があった。もっともうどん屋があるのに気づいたのは、フォーを食べ始めたあとだったが。
 …まぁ、それにしてもPatrickのよくしゃべること…おれなんかそっちのけで家族との久しぶり?の会話に花を咲かせているようで、おれは仕方なく窓の外かフードコートかを眺めるしかなかった。おれの予想通り家族はベトナム語しか話せず、おれもベトナム語辞典なんて持ってないので何も話せず…外は曇っていて、今にも雨が降り出しそうな気配。…その気配も的中し、まもなく雨はその音を強めて降り出してきた。これがきっとスコールなんだろう…そしてこの家族はまだしゃべってる…よくこんなに話すことあるよなー…

 ダイアモンドプラザは、日本でいうところの三越とか高島屋みたいな百貨店。ベトナムにはおよそ似つかわしくないDiorとかPRADAとかHERMESとかMONT BLANCとか、LANCOMEとかANNA SUIとか、SAMSUNとか高級なブランドが軒を連ねている感じ。アメリカには反骨精神をまだみせているのか、AppleとかCOACHとかは見受けられなかった。
 食事も終わり、軽くショッピング。おれはこのビルに全く興味はなかったけど、Patrickいわく「カワイ子ちゃんばっかなんだよこの店は」らしいので、店員をウィンドウショッピングしてた。
…今までお母さんだと思ってたこの人は実はPatrickの"sister"だと聞かされビックリ。いやーこれはどうみても母親だろ…

 その後は家族と別れ、軽くカフェで休んでからチョロンに向かう。チョロンはホーチミン中心部から結構離れたところにあり、タクシーでも15,20分はかかった。
だんだん通りに漢字まじりの看板が目立つようになった。心なしか、ホーチミンより往来が激しい気がする。
 おれらはチョロンのど真ん中、ビンタイ市場(写真)の前でタクシーを降りた。 相変わらずこの通りはバイクの行き来が激しく、人もたくさん行き交っている。同じ市場ということでおれは2月のアタマに行った築地市場を思い出した。やっぱり市場はどの国でもせわしない。
 おれはかねてからこのビンタイ市場に行ってみたかったので、真っ先にビンタイ市場に行ってみる。
 …しかし、まぁ、このーね、中がスゴいんだ。どの店も品物が山積みだから。お菓子から生地から日用品から、ちょっと外に出れば食材まで、たぶんこの市場で買えないものはない、そう思えるくらいいろんなジャンルのショップが軒を連ねてる。スタッフは男性より女性の方が多かった。

 ビンタイ市場を歩き回ったが、特にこれといって欲しいものも見当たらなかったし、何よりこの市場を包み込む熱気と活気に疲れてきたので、…腹も減ってきたので、外に出て中華料理の店に入る。
 ここではチャーハンと堅焼きソバ、フォーと野菜の炒めもの(焼きフォーとでも言うか)をいただいた。どれもこれも旨かった。中に入ってるシーフードも、イカの味がしっかりあってうまかった。そう、シーフードが旨かった。…

 結局このあとどうするかということになったが、2人とも疲れてるので、一旦ホテルで昼寝してから夜に出かけよう、今度はさっき会ったPatrickの家族と雰囲気のいいレストランで会食しようって誘いをいただいた。
 …確かにおれも適度な疲労と満腹で眠気はあったけど、「レストランで会話に困らないように、ベトナム語の本でも買っておこうかな」、と、本屋で「ベトナム語 - 日本語のコンタクトの2000句」って本を購入した。38,000ドンだったから…$3いかないくらい、か。
 んでその本屋にちょっと長く居座ってたら、もう昼寝する時間もそんなになくなっちゃったので、とりあえずMimiに戻って着替える。…ちょうどおれが着替えてるくらいの時にPatrickがMimiの前まで来てる、とネエちゃんから。…おれが白いシャツと9分丈のパンツで登場すると、"Wow…!"なんて歓声を上げてくれた。気分はイーネっ!!

 家族と待ち合わせをすべくダイアモンドプラザのほうへ向かうのだが、さっきから腹の調子がおかしい。下痢っぽいのか。どうもさっき食べたチャーハンの中に入ってたシーフードにあたったかも、といった感じ。ちょっとヤバかったので、近くにあったケンタッキーでトイレを貸してもらおうと駆け込んだ。まぁそのケンタ、停電だったんだけどね
 そんなの関係なく「とりあえずトイレ貸してくれ!」と叫んでおれは2階へ駆け上がった。こんな瞬間ほど恥ずかしいものはない。
 んで、ケンタから出ると、Patrickと店員が爆笑してた。Patrickはおれがトイレを借りた一部始終を店員に話して、それがお笑いぐさになったらしい。なに、おれはベトナム、少なくともそのケンタに「笑い」と「運(ウン)」をもたらしたんだ。気分はいろんな意味でよかった。

 そのあと、さっきの家族と合流する。今度はまたひとり、おれと同い年くらいの女の子が乗ってきた。この子、結構かわいかった。おれのタイプでした。
 …タクシーのメーターが75,000ドンになっていた。結構な距離を走ったんだろう、30分位してようやくそのレストランに着いた。川沿いの、涼しい席に案内される。…今まで見たこともないような、高級感あふれるレストランだった。
 まずはビールで乾杯。…だが、異変はこの後すぐに始まった。そう、2時間近くにわたる(おれには)気まずい空間が…
 Patrickの様子がさっきからおかしい。彼は家族としゃべる時は当然ベトナム語を話すのだが、もちろんおれには分からないので「何て話してるの?」と尋ねても「いや、わかんない」としか返答しないのだ。…さんざん話盛り上がっててわかんないはないだろ… 何度か尋ねるものの、全部「いや、わかんない」の1点ばり。おれは話す気も失せ、天井を見上げるか、暗くなって何も見えない川を眺めるか、隣の席の誕生日パーティを見つめるか、それしかしなくなった。Patrickは相変わらず家族との会話に花が咲きっぱなし。一向に話題が尽きる気配はない。Patrickに限らず他のみんなも特におれを気にかけるでもなく、。お父さんはそんなおれにちょっとは気を遣ってくれたようで、何度かジョッキを持って「かんぱい!」とやってくれたけど、それっきりだった。

 どのくらい経っただろうか。たぶん席に着いて1時間かそこらか、おれはまた腹を下してきた。さっきから親切なウェイターが、ビールの入ったジョッキに氷を入れてくれるのだ。しかもかなり大きいサイズのもので、ちょっとでも氷が減ってたらちゃんと足してくれる。

「余計なことすんじゃねー(ノд`)」

 その時席を立ったのを機に、おれはトイレと席を往復するようになってしまった。あんまり頻繁に行き過ぎると下品なので、ちょっとはガマンもしつつだったが、それでも誰もおれの体調不良に気づいてくれず、気遣ってもくれず…おれひとり、このままタクシーで帰りたかった。

 もうどのくらい経ったか分からない。そろそろPatrick一家の会話も下火になったようで、食べ残した分を袋に入れてもらって店を出る。「このあとコーヒーでもどう?」なんて提案が、"café"という単語越しに聞こえたようだったが、もうおれはとにかく早く帰りたかった。腹も痛かったけど、もうこの家族と一緒にいると疲れるんだもん…
 結局caféには行かず、家族を送ってからおれらは2人、サイゴン川沿いのアメリカンなバーに行くことになった。ホントはこれも断って帰りたかったけど、昼間から約束してたので付き合うことにした。
 そのバーはホントにアメリカンだった。フロアの中央でライブやってたし、内装もアメリカン。日本にもいそうなキャンギャルがいたし、全くベトナムっぽさを感じさせない店だった。店員のおねいさんも今まで街中で見かけたおねいさんと比べると結構かわいかった。
 Patrickはカウンターのおねいさんを口説き落とそうと積極的に話を展開する。どうやらウケはいいようだ、カウンターの子も笑いをちょくちょく見せてた。おれはというと、ただ演奏中のライブをぼんやりと見つめてた。おれのすぐ横にちょくちょくキャンギャルの子が立ち止まる。どうやらタバコのキャンギャルだったようだけど、結構かわいくて、その子と話のきっかけをつくるべくタバコを買って…もいいと思った。 いやいや、買ったところでおれはチキンですたい 何も話せんですわ

 ここでもおれとPatrickとの会話は不毛だった。会話のきっかけすら生まれなかった、っていうか。それにナゼかおれさっきからオレンジジュース飲んでるし ここバーだぜ?! まーもういい、今夜は酔っても悪酔いしそうだったから。

 "If you want to leave here, let me know."とPatrickは不意に言ったが、もう帰ろう、今日は疲れたし腹の調子もさっきからおかしい、というようなことを話して、そのバーをあとにする。…これでようやく帰れるんだ…

 「…たぶんまた明日電話するわ」、朝待ち合わせた角のカフェの辺りでおれらは別れた。…「たぶん」とPatrickは言ったが、まず間違いなく電話はよこさないだろう、まぁでもそのほうが助かるな…でも何だか寂しい別れ方だったな… そんなことをぼんやり思いながら、Mimiに戻ってくる。
 さっきのレストランでのPatrickの振る舞いだけに限って言えば、「Patrickってサイテーだ」なんて思ってしまったけれど、それでもおれは昨日の夜会ったばかりのほぼ見知らぬ人にあれこれともてなしてもらったのだ。「おれ働いてるからダイジョーブ」みたいなこと言ってたけど、それでも額にしたら結構ついたはず。今日一日でおれが支払ったものなんて、昼に買ったあの本とペットボトルの水くらいなもん。あま会話はなかったけど、何かとおれのために気を遣ってくれた。それに対してもっと感謝すべきだった。せめて彼と写真の一枚でも撮っておくべきだったけど、買い物なり散策なりいろいろしてたらそんなタイミングすら逃してしまった。 だから、彼にとってはこんな日本人と一緒で何かと厄介な一日だったかもしれない。…せめてメールアドレスくらい控えておけばよかった。まぁでも明日はPatrickから電話をよこすことはないだろうし、おれもきっとPatrickに電話はしないだろう。

 ベッドに横になりながら、だんだん複雑な心境になってきた。今日もノドの痛みは引くことなく、鼻もつまっている。今日も一日歩き回ったから疲れてて、いつもなら強烈な眠気が襲ってくるはずなのに、全然寝付けない。シャワーも浴びてカラダもあったまってるのに、ノドが痛いせいか逆に息苦しくなってくる。

 …明日で帰国する。風邪を治すためだけだったら早く日本に帰りたい…!そんなさめたことを、天井を見つめながら軽く祈ってた。
 今日もいつしか眠りについてたけど、やっぱり2,3時間ごとに目を覚ましてしまった。
TP.HCM
【ホイアンの市場 - いつものレストラン - タンキーの家 - Hop Yen - ダナン空港 - ホーチミン - またMimi - ビアホイ】


 今日はホイアンを発たなければならない日。もっとこの地にいたかったけど、仕方ない。また来るぞという思いを胸に。
 まずはいつものレストランでいつものカオラウ、そんでベトナム茶も頼む。今日でこのカオラウもとりあえず見納め。いつも以上に味わって食べたような気がする。

 最後にタンキーの家を訪れる。タンキーの家は今日も観光客でにぎわいを見せ、みんな忙しそうだった。
 Manさんとまだ写真を撮ってなかったので、一緒に撮っておく。…Manさんはベトナム語しか話せなかったけど、それでも「近所にいる、悪知恵の働くおっちゃん」って感じがして楽しい人だった。ちょっとシャイな一面もあった気はするけど。
 出る間際に、おれはずっと"my mother-in-law"だと慕ってた、Leさんと握手して最後の別れを惜しむ。Leさんの手はどこかおれを包み込んでくれるような、優しいぬくもりを感じた。そのまなざしにも、おれを包み込んでくれるような優しさを感じた。
 「ここに戻ってくればまたみんなが出迎えてくれる」、現実にはまずありえないだろうけど、そんな気がして仕方ない。

 そして、Hop Yen Hotelの人とお別れをする。レセプションのNamさんと写真を撮っておく。あの子はおれと同い年ながら随分しっかりした印象がある。アオザイ効果もあったか、結構かわいかった。
すると、今日初めてみたおねえさんから「これ持って行きなさい」と、なんとバインミーを持たせてくれた。…そのおねえさんと特に仲が良かったわけでもないけど、それでもひとり身を(?)案じてくれて親切にしてくれたのは素直に嬉しかった。

 帰りのタクシーに乗り込む。車窓から流れる風景をぼんやり見つめながら、この3日間ホイアンで過ごしたことを思い出す。…でも、思い出されるのはタンキーの家で過ごしたことばかりだった。それだけおれの中であの時のことが強烈に印象づけられたのだと思う。これは今回の旅行の中で手に入れた、pricelessなおみやげの1つ。
 そういえばこのタクシー、どういうわけかもう1人別の男性が乗車している。運転手の友達なのだろうか。だが、空港のあるダナン市内に入ったとたん、空港のある方ではなく市街地を目指している。空港に行くのに、どう見ても車1台通るのもままならないような細い道 -しかも、その道はちょっとした露店街だった-、そんなところを通るだろうか?!…これは明らかに空港ではなく、助手席に同乗している男に関係があるようだった。
 …結局、市街地をグルグルしながら、ベトナム航空のオフィスがある前でその男は降りた。…現在の時刻は12:10。ホーチミンへ戻る飛行機が13:10発なのだが、チェックインは1時間前までに済ませなければならないのではないか…それにチケットのリコンファームも済ませていない。国内線だからリコンファームなんてすることもないだろうとは思ったが、いかんせんここは外国だ。国内線であろうとリコンファームが必要とあればしなければならない。考えれば考えるほどいろいろ心配になってしまって、だんだん焦りがみえてきた。

 …空港に着いたのは12:15過ぎ。ホントに大丈夫だろうか…。でも、だいたいこうやって心配し過ぎると実は何でもなかったってことが多かったので、あんまり考え込まないようにする。
 国内線のカウンターに行ってみると、これからチェックインする人たちがたくさんカウンター前で並んでいた。…なんだ、まだだいじょぶだったんだ…。ちょっと安心しつつ、その列に並ぶ。
 チェックインも済ませ、ロビーで待ってはいたのだけれど、今度はいつ搭乗なのかが心配になってきた。…というのは、ここダナンの空港ではさっきから英語のアナウンスが聞こえてこない。辺りを見回すと、どう見てもホーチミンに向かうような風の人ばかりだったけど、それでもやっぱり少しは心配になってしまう。
 まぁそんな心配も例によってムダだった。20分前にようやく搭乗手続きが取られ、13:10過ぎ、ほぼ定刻通り離陸。欧米系の乗客が目についた往路だったけど、復路はベトナム人ばかりだった感があった。

 
 そして50分後にまたホーチミンのタンソンニャット空港に到着。相変わらず出口はベトナム人の分厚い壁が張り巡らされている。
 初めて来た時と同じように、タクシーチケットを購入しようと思ったが、どうやら国内線にはそんなカウンターがないらしい。仕方なく係員に事情を話して国際線到着ロビーに入れてもらった。
 でも、行きの時にデタム通りまでは$5だったのに、今回提示された料金は$8…。そういえば、ここは行きの時に使ったSASCOタクシーの会社じゃない。「ちょっとあっちの別のタクシー会社で値段きいてみて、そんで考える」と受付に伝え、SASCOタクシーのカウンターへ。…心配することなくここでは$5でデタム通りまで行ける。ここで$5を支払って、タクシーへと案内される。
 …それにしても、このドライバーがめんどくさいヤツだった。「オレはデタム通りの辺りにイイ宿を知ってる。そこまで案内してやろう。エアコン付きで$15だぜ」なんて押し付けてきやがる。宿のアテはもうあったから、「とにかくデタム通りまで行け!」と半ばキレ口調で先を促す。すると今度は「オレはイイドライバーだから、あとでチップをくれ」なんて抜かしやがる。…おれの荷物を持とうとする気もなく、客のためにドアを開けるという気遣いもないようなドライバーにはとてもチップなんて渡せないが、渡すチップの額なんてたかが知れてるので、残った小銭でもくれてやろう。…いちいちめんどくさいこのドライバーにはとにかく黙ってもらいたかった。

 「…今持ち合わせがない。チップとして10,000ドンやる」と、ドライバーに10,000ドンだけ渡し、そそくさとタクシーを出る。
 …ちょっと歩かされたが、Mimiにまた戻ってきた。Mimiの女の子たちもちゃんとおれのことを覚えててくれたようで、おれの顔をみるや、笑顔で出迎えてくれた。「ただいま」…思わず呟いちゃった。
 今回もまた、部屋は1Fの一番玄関に近い"01"だった。ここには出張かなんかのベトナム人が滞在する予定だったみたいだけど、わざわざ空けてくれた。
 荷物を置いて、少し休む。時刻は15時半。まだまだホーチミンは暑いさなか。もうちょいしてから外をブラブラしようかな。

 ちょっとして、またアテもなく外に出てみる。ベンタイン市場をぐるっと回って、国営百貨店で食料品を仕入れる。これはおみやげ用ってことでw …今日はいつになく日本人の姿をよく見かける。
 ベトナム風のあんみつ、チェーとかシュークリームみたいなやつを食べ歩きしながらホーチミンを見て回る。さすがに買い食いは異国では人目がはばかる感じッス
 
 それからとにかくウロウロしながらMimiに戻ってきて、一旦買ったものを部屋に置いてまた外出。夕食をとりに行こう。
 以前、Mimiに宿泊した時にJonathanっていうベトナム系アメリカ人と知り合い、ごちそうしてもらったフォーのおいしい店がある。今日もまたそこでフォーをいただく。…やっぱフォーうまいよ。ホントにうまい。
 でも、フォーだけで物足りるわけないのでどうしようか、会計を済ませてまたデタム通り辺りをフラフラしてると、今度はバインミーの屋台が。久しぶりに食べたくなったのでバインミーがいくらか聞いてみると、具を入れると4000ドンで、フランスパンだけだと1000ドンだという。1000ドン…7,8円くらい…それでも「4000ドンは高い」だなんてとんでもないことを考えてしまい、とりあえずフランスパンだけを1個いただくことにした。…でも、ホントにこのフランスパンにはビックリしたかも。1本10円しないのに外の皮はパリッとしてて中はふっくら、屋台のホットケースに入ってたからか、あったくてすごくおいしかった。
 
 そしたら、今度はビールが飲みたくなったので、どっか屋台で飲んでこうと思った。宿にも近い屋台だったら気軽な感じがする。ということで、ビールが1本いくらなのかをきいてから、ひっくいプラスチックの椅子に腰をおろした。
 ちょっとしてからビールが出された。つまみは何にしようか、並べられた貝類をながめながら考えてると、おれの前に一人の若いベトナム人が座った。席を片付けてるところだったらしく、おれとちょっとの間相席をしてるみたいだった。「…屋台にいる客のほとんどがきっと英語は話せないだろうから、きっとこの人も英語なんて話せないんだろうなー」なんて思ってたら、その彼が"Do you mind if I sit here?"なんて流暢な英語で尋ねてきた。"Do you mind~?"なんて構文なんかめったに聞くこともないから、これにはびっくりしてしまった。
出会いはこんなところにもあった。おれは多少慌てながらも"Of course you can stay here."と返す。そこから彼との会話が始まった。

 …彼の名前はPatrick。アメリカはアトランタでテレフォンオペレーターとして働いてる31歳。ベトナムで生まれ育ったのだが、大学生くらいの歳に渡米したそうで、今回も休暇を利用してベトナムに住む両親に会いにきたそうだ。
 彼は、ひとりで寂しく飲んでた(と思ったのか)おれのためにか、アサリの酒蒸しを頼んでくれた。チリソースとか鷹の爪とかなんかが入った辛いソースを殻ですくって食べる。これがうまいんだ、アサリの味もしっかりしてるし、ちゃんと火が通ってたから食中毒とかの心配もなかったし。2人ですぐに食べてしまうと、彼はまた頼んでくれたし、ついでに「ホビロン」まで頼んでくれた。「ホビロン」とは、ふ化しかけのアヒルの卵のことで、殻を割ると、ホントにふ化しかけのアヒルの赤ちゃんが出てきた。できそこないの羽とかくちばしとか脚とか、見てみるとやっぱりグロい。でも、味は結構オツなもので、ゆで卵だと思って食べればなんてことはない。…ただこの時アジア全土で鳥インフルエンザが流行ってて、それを知らずにいたから気楽に食べられたんだと思うけど…それを知ってたらたぶんおれはNN(何が何でも)断ってたと思う。でも、ホビロンはホント旨かった。もう見た目のグロさなんて全然気にならない。…ちなみにそれもPatrickがおごってくれました。

 そのあとは2人揃って近くのカフェでコーヒーを。どうもベトナムのアイスコーヒーはガムシロップが多く入ってるようで、ブラックコーヒーながら、味はちょっと気持ち悪くなるくらい甘いものだった。
 コーヒーを飲みつつ、ゆったり語り合う。「…明日はおれがホーチミンを案内してあげよう、行きたいとこがあれば教えてくれ」なんて嬉しい申し出もいただいた。ちょうど明日はホーチミン市街のちょっと外れにあるチョロンというチャイナタウンっぽいところに行こうと思ってたから、これはラッキーだった。…ホーチミンにいる時は1人でいるより2人でいたほうがいろいろとラクな局面がある。「ぜひ一緒に行かせてほしい」と返事をし、今日のところはもう眠くもなってきたのでそろそろ帰ろうと思うと伝えた。彼はまだここでタバコを吸ってくみたいだ。とりあえず明日の10時にこのカフェで待ち合わせということだけ決め、Patrickと別れた。

 …帰ってきてシャワー浴びて、そろそろ寝ようかなと思ったが、どうも寝付けない。ノドが微妙に痛く、乾きっぱなし。おまけに鼻もつまってる。「そろそろ風邪ひいてきたかな…旅の疲れも出てきてるんだろ」
 今日は午前1時過ぎに寝るものの、2,3時間ごとに目を覚ましてしまった。今日はホントに寝付きが悪かった。
MySon
【GH - ミーソン遺跡 - ボートでホイアンまで - タンキーの家 - いつものレストランでいつもの】


 …寝坊することもなく、おれもYもちゃんと6時半くらいには目が覚める。前の日から準備してたこともあってか、Yはすぐに準備を済ませた。おれも今日はホイアン郊外のミーソン遺跡に行ってくる。Yがこれから向かうフエ行きのバスは7時半に、おれが向かうミーソン遺跡行きのバスは8時にホテル前までピックアップに来てくれる。
 出発までの間におれはYの連絡先を教えてもらい、同じくフエまで行く28歳の女性 -昨日会ってみんなでごはんに行った- とおれと3人で写真を撮って、2人はホテルからちょっと先のSinh Caféでバスを待つことにした。おれも早速朝食に、と近くをほっつき歩くが、こっちは日本と違って料理の提供が結構遅い。食べてるところそろそろバスが来た、早く出なきゃ、っていうんじゃどうしょもないから、ここではガマンすることに。今思えばホテルで朝食とったほうがよかったなって思う。
 7時半にフエ組をホテルから見送って、8時過ぎにミーソン遺跡バスも到着。バスに乗り込む。辺りを見渡してもツアー組は2,3組しか見受けられなかったけど、いろいろなホテルを経由していくうちにバスはほぼ満席に。全部で30人近くはいたんだろうか。日本人とおぼしきグループは2,3組くらい。乗客のほとんど?はオーストラリア系で、あとは韓国人の夫婦、中国系のにいちゃんとか。欧米系の比率がとりあえず高かった。
 バスにがたごと揺られながら、1時間弱してミーソン遺跡に到着。けど、その前に入場料とかいって$4取られる。もう手持ち$1しかねーよ…だいじょぶかなー…
 ガイドを先頭に、とりあえず徒歩でゲート・橋を渡る。ひとり身の客はおれ以外に2,3人しかいなく、こんなちょっとした移動の時間も何となく気まずさを感じてしまう。誰かの視線を感じずにはいられない、そんな感じだ。
 ほどなくして、小さな駐車場みたいなところに着いた。そこには1台のジープが止まってて、上まではジープで案内してくれるそうな。どうみても定員まで埋まった感じなのにギリギリおれも乗れるらしく、狭くはあったけどおれだけハコ乗りでLet's Go!
…途中、急カーブを曲がるたびに何度も振り落とされそうになった。ドアがないし、結構スピードも出して走る。おまけに対向車も出てくるから、すれ違うたびにおれはジープの頼りないつり革にしがみつく。対向車もスピードを落とす気配は全くない。太陽がさんさんと降りそそぐ真っ昼間、おれもこの地で遺跡になる覚悟をひとりせざるを得なかった。

 …2時間くらいかけて遺跡を見て回ったけど、「こんなものか」というのが正直なところ。ある種廃墟的な美しさをたたえていたところに魅力は感じられたけど、「写真でも観れなくはない」「いつでも観ようと思えば観れる」、そう思うと、今までのいろんな出会いのほうがおれには魅力的に感じた。この遺跡には明日来たって同じものは拝めるだろうけど、今日の出会いに明日はない。出会いは出会うべくして出会えるものじゃない。…ベトナムに来てからというもの、人との出会いはおれにとって何よりも魅力的なものであったし、これからもそうだろう。出会いがあって、この地に来たという実感をしみじみ感じることができる。
 何となく満足したまま、帰りのバスを待つべく店で休んでると、どうやら先ほどの日本人とおぼしきカップルが向かいに座り、彼女のほうが話しかけてきた。「おひとりなんですか…?」
 …実は昨夜、ホテル前にシントー(生フルーツジュース)の屋台があって、そこで2人ともおれの顔を覚えていたそうなのだ。昨夜は4人でいたはずが今日はおれひとりだけしかいないのに気づき、気になっていたそうなのだ。
「はい、実はあの3人は今朝フエに向かっちゃって…たまたま僕らも昨日あの3人に出会ったばっかなんです」
「あ、そうだったんですかぁ… この彼が覚えてたんですよー」
おれはバスでその彼を見てからというもの、ずっと彼は日本人か韓国人だと思っていた。女性はどうも日本人っぽさがあるけど、もしお互い日本人だったら何故会話を終始英語にする必要があるのだろう…。なんか変なこじれがおれのアタマにあってそんなことを歩きながらぼんやり考えていた。でも、彼は日本人でも韓国人でもなく、マレーシアの人だった。日本語はちょっと話せるようで、英語で話しかけても多少日本語まじりで返ってくる。
 ちなみに彼女は28歳の方で、カンボジアのプノンペンに2年間住んでたことがあるそう。たまたまベトナムをひとりで旅してるところに彼と出会い、一緒に旅しているのだという。

 一通り会話が終わろうとしてた頃に帰りのバスが到着。ここから途中、復路がボート組かバス組かに別れることになる。まぁ座席に着いてちょっとしたらうたた寝してしまった。そこから20分くらいしただろうか、ボート組が途中で降りることになることを思い出してフッと目が覚めたのがちょうどいいタイミングで、「Boat!?」とガイドが降りる乗客を案内する。多少慌てながらもおれは忘れ物がないか確かめて、さっきのマレーシア・日本パーティにさよならした。
 バスが停まった橋の下にボートは係留されていた。ボート…モーターボートだな。…今度は客に日本人の姿は認められなかった。
 ボートに乗客が乗り終わると、出発。昼食は2段のお弁当箱にチャーハンとひとくちサイズの揚げ春巻きが3つ、デザートのパイナップルだけの質素なものだった。もっとベトナムっぽさが感じられる昼食だと踏んでたのに残念だった。量も大してなかったから、すぐに食べ終わっちゃったし。
 それからちょっとして、ボートの2Fに上がってみた。空は相変わらず快晴で、風も強くなくて気持ちいい。途中、小さな漁港のようなところも通り抜ける。木造の、老朽化した小舟がたくさん停泊してて、色あせたベトナム国旗が風にたなびいてる。のどかな風景… 

 小一時間して、ホイアンの市場裏にある岸に船はつけられ、そこで解散となった。ここからは歩きでホテルまで戻ることになるので、今日は歩きでゆっくりとホイアンを観ていこうと思う。
 …何だかんだでホイアンの市場を回ってなかったので、ゆっくり巡ろう… でも、市場に足を踏み入れるとそんなことも考える余裕がなかった。何しろ市場を行き交う人はみんなしてせわしない。おれがモタモタしてると、オバちゃんに脇へ押されてしまった。それに、市場の道は人がようやく行き違えるくらいの狭さなのに、そこをバイクがムリに進もうとする。とにかくその排気ガスがすごくて、おれも直接被害はくらったけど、それ以上に市場で店を出してる人がかわいそうだった。人も果物も排気ガスまみれだもん。
 活気を十分に感じ取っといて、そのまままたタンキーの家に向かう。もうここまでくるとホイアンにいるのもちょっとはタンキーの家を訪れるためにという目的があるからなのかも、なんて思ってしまうほど。まぁでも今日でホイアンにいれる最後の日になる。
 行ってみると、昨日ほど手厚くというかキャッキャもてはやされなかった。ちょっと拍子抜けはしたけど、みんなはあくまでも係員。そうだよなー
…今日はどうやらこころなしかLさんは元気がなさそうで、Tさんは何やらイライラしてるような感じ。Lさんはほとんど笑顔を見せることがなかったし、Tさんはまくしたてるような速さの英語でいろいろ聞いてくる。日本とベトナムとの時差をきいてきた時も、それが時差をきいてるとは分からずに「about 6 and half(an hour).」と飛行時間を答えてしまった。また、「アナタ何がしたいの?!」だか「アナタ何て言ってもらいたいの!?」だか、ややキツい感じのトーンで言われてしまった。…どうやらちょっとご機嫌ナナメのようだ。何か原因がありそうだ。
 そして、今日はHさんはお休み。今日はダンナとダナンに行ってるらしい。…そうそう、どうやらHさんは結婚してるんだという話を聞いた。ちょっと残念だったけど、その代わりというか、今度はお母さんっぽい感じの方がおれの話し相手になってくれた。また相変わらず入り口すぐのベンチ。チケットもなく入れてくれた上に、またお茶まで出してくれた。このお母さんっぽい人(Leさん)は英語の発音がキレイで、ゆっくり話す人。のんびり会話が出来る。途中でレーズンも出してくれて、とにかくまったりできた。
 今日は昨日と打って変わって、団体客の入りがスゴかった。LさんもTさんも、Leさんも今日はずいぶん忙しそうに動き回ってた。それに、入り口でチケットの確認を取ってたManさんもどっかにいっちゃったので、おれがManさんの代わりになることに。ちゃんとManさんに言いつけられたしね。
 
 結局、夕方5時過ぎにおれはタンキーの家を出ることにした。あと30分で閉まっちゃうからずーっと居座り続けてもしょうがないし。居座り続けてる間にLさんから教えてもらった、ホイアンのおみやげでも買いに行くことにした。5個で$1のちっちゃいポーチ。
 そんでいろいろ見て回りながら、とりあえずホテルに戻る。荷物を置いて一息ついて、軽く着替えて午後6時半になったくらいにまた自転車を商店街へと走らせる。
 今日はどこで夕飯をとろう…今日もまたあのレストランか、それとも昨日行った、あの端のレストランか… ちょっと迷ったけど、まぁまたあのレストランに行こう。「今朝行く」って言っておいたはずなのに行かなかったからなぁ、今夜も行こう。

 行ってみると、今日はテラス席もオープン席もガラガラだった。欧州系の老夫婦が1組だけいたが、その脇のレストランはそれなりに賑わっている。今日もまたあの子が出迎えてくれて、席に通してくれた。
 今日はカオラウとチャーハン、それとLa Rueビールを頼んだ。額にして$4いくかいかないかくらいだったと思うが、もうちょっと奮発してもよかったかな。
 待ってる間、やはり前の通りをぼんやりと見つめる。あの子は頑張って客引きをやってるが、欧米人は全く興味なし、といった感じで誰も寄り付かない。なのに、そのレストランを挟む2つのレストランには客引きをしなくともするりと入っていく。
 「何がどう違うのだろう」、だんだんそう思ってきて、客引きを頑張る彼女を応援してあげた。何がどう違うのだろう。確かに店の大きさは隣の2つのレストランに比べてちょっと小さめで照明も薄暗いのだが、大した違いはない気がする。味だってマズいわけではないのに何がいけないのか。ビールを飲みつつ、ちょっと考えてみた。…そういえば、彼女はあんまり英語が話せてない。客引きの時も"Please come in"の1点ばりで、あまり気のきいたことが言えてないようだった。欧米系の観光客が多いだけに、英語が話せないのは致命的な気がする。…また、声をかけるタイミングも、なかば自店を通り過ぎるタイミングが多かった。 でも、もちろんそれが客の入りに影響を与えてるかどうかは定かではない。初めてこの店を訪れた時だって店はかなり人が入ってた。 …特におれがごちゃごちゃいうことでもないので、客が入ったら"Good job!"、客引き失敗なら"Don't mine!"と声をかけてあげた。
 今日はちょっと長居をした。彼女にミーソンに行った写真を見せてあげた。楽しそうに見てたのが印象的だった。

 そのあと、そういえばタンキーの家でTさんに「今夜Hさんの家行ってきなよ、アンタ今日Hさんいなかったから寂しかったでしょー??」なんて言われたのを思い出し、とりあえず昨日もらった住所を頼りに行ってみることにした。…だが、いち若者のおれが夜分遅くに女性の家を訪ねていいものだろうか、という思いがしばらくおれをふさぎ込ませた。もちろんいかがわしい目的で訪ねるわけではない。Hさんも「よかったらウチにおいで」と誘ってくれてはいた。だけど、それを真に受けてしまってもいいものなのか。これはあくまで社交辞令ととっておくのが正解なのでは…とも考えたが、すぐに「やっぱ行こう」という気になった。おれは明日でホイアンを去る。もしかしたら明日の朝寝坊して、Hさんに会わずしてホーチミンに戻らなきゃいけなくなるかもしれない。それに、ここは外国だ。思惑ばかりが複雑に交錯し、お互い探り探りの日本の交際様式とは違う。…もし、Hさんが疲れててそんな気分でなかったり、万一親に怒られるようなことがあればそのまま帰ってくればいいだけのことだ。せっかくの誘いを、おれの探りでもみ消すようなマネはあとあと後悔のタネにもなる。 彼女の住む家は、ホテルから歩いて5分くらいのところにある。まぁ、行ってみよう。

 近くまできたものの、番地がよく分からない。たぶん、目の前にしている大きめの建物がこの住所なのかも、だが、ハッキリは分からないので、近くでぼんやりしてる住民にきいてみる。
「……#$%&?>,&`*!!」 ベトナム語でその大きな建物に向かって呼びかけるおじさん。「この住所の家はあそこで、入口はそこだから…。」おじさんは、夜にも関わらず帽子をかぶった異国の若者に怪訝な顔一つすることなく、気前良くしてくれた。"Cam On! (Thanks!)"とおれはアタマを下げ、その家へと近寄っていく。すると、そこの家の主?かなんかのおじさんが、2階にむかって何か叫ぶ。…間もなくして、メガネをかけたHさんが「うわぁ…!」といった面持ちで2階から降りてきた。
 敷地のちょっと奥にブランコがあったので、そこに2人腰掛け、話すことに。特に彼女に恋愛感情があるわけではなかったけど、つり橋効果と、女性と夜2人っきりでいるというシチュエーションにおれは動揺してしまった。
「もし親が来たら、両腕を組んで"Xin ???"って言って。そうすれば誤解は招かないから…。」
 …話したことは、タンキーの家でまったりしてた時とあんまり変わらなかった。でも、Hさんは日本のことについて深く掘り下げて聞いてくれた。Hさんも日本が好きなようで、"COOL BIZ"という単語を知ってたのにはビックリした。
「アレってPrime Ministerコイズミが決めたのよね、でもアレって…なんで日本人はスーツなんか着るんだろうね…?」
「日本人はスーツ着ないとimpoliteなんだよ。Governmentが決めたわけじゃないけど、そういうmannerなんだよなー」
 あとは地下鉄の存在を分かってなかったのも印象深かった。"subway"と言っても「地下道」かなんかだと思ったらしく、「じゃ車で行くの?」っていう返答が…。日本、特に東京はビルがたくさん建ってて地上のスペースが取れない、だから地下に鉄道を敷設しててそれを"subway"っていうんだ、と説明してあげた。…まぁ、確かにホーチミンでさえ地下鉄が通ってないんだから、頻繁に外国に行ったりしない限りベトナム国内で「地下鉄」という言葉は浸透しないのかも、と思った。
 少し恋の話もした。おれはしばらく彼女がいないが、かつて付き合っていた女の子にヒドいフラれ方をした。それも少しは引きずっているのだろうけど、今はひとり身でのびのびやりたい、そんな話をHさんは真摯に聞いてくれた。「アナタは純粋なのね」、確かそんなこと言われたような気がしたけど、嬉しかった。
 …また、今日Lさんが心なしか元気なさそうだった理由も分かった。どうやら前の日に日本人観光客が借りた自転車を返し忘れて、そのままホイアンを発ってしまった。その自転車はもう盗まれたらしく、その自転車代をTさんと2人で補填しなきゃならなかったそうだ。決して安くはない自転車の代金を、決して高くはない自分のなけなしの給料から支払わなければならない。…自転車を返し忘れてった日本人の責任がなんだか自分にもあるような気がして、いたたまれない気持ちになった。…そういえば、タンキーの家でManさんが血相変えてあの2人に怒号を発してたのはそういうことだったのか。言葉にはしなかったが、おれもその自転車代のいくらかは払ってあげたいと考えた。

 1時間弱は一緒にブランコのところで話をしていただろうか。そろそろホテルの玄関も閉まっちゃうからまた明日、出発の前にでも行くと伝えて、Hさんの家をあとにする。
 
 ホテルに着いて、すぐにシャワーを浴びて、それからバガボンドをまた下からごっそり持ち込んで読みふけった。でも、やっぱ今日もすぐ眠くなっちゃったので、寝る前にちょっとだけ荷物の整理をして、そのまま横になる。…どうしたことか、ノドと鼻の調子が日増しにおかしくなっているような…
 この日は確か午前1時就寝。



【~The 5th Day~に続く】
TanKy
【ホイアン市街 - 4km先のビーチ - 川沿いのレストラン】


 今朝Jさんがホイアンを発ったのだが、残念ながらおれはまだ寝ていたために全く気づかなかった。ガサガサと物音がするのでまだパッキングやってるのかな、と思って起きてみてみたら、そこにはすでにJさんの姿はなく、別の欧米系の男性が荷物をおろしてたところだった。
 そのあと、ホテルの近くで自転車を借りて、ホイアンの街を散策することにした。まずは朝食をとろうと、昨日訪れたレストランに行ってみる。そこの女の子はどうやら昨夜おれらが訪れたのを覚えてたらしく、笑顔で出迎えてくれた。今日こそそのカオラウを食ってやる! …今日はちゃんと用意してあるらしく、その子は2つ返事でOKしてくれた。とりあえず、今朝はそのカオラウだけでいいや。
 待ってる間、テラスから川をボーッと眺める。川の向こう岸できらめいてた照明はもうなく、何となくうら寂しい感じが漂ってた。でも、ここはホーチミンみたいにバイクも多くなく、すごく静かな街。目の前の川は木造の船がゆったりと流れている。昨日あったJさんも「予定より1日多く滞在したよ」と話してた通り、居心地のよいところなのかもしれない。今日は丸一日かけてこの街を練り歩こう。…それからちょっとして、カオラウが出てきた。
 カオラウ…あったかいうどんみたいな感じだった。汁なしとはいえ少しはボウルの底に汁があって、醤油ベースな味だった。上にはパクチーとか揚げワンタンとかミントとかのってて、見た目の小ささの割にはボリュームが結構あった。もちろん、おいしかった☆ でも、これで100円しないんだから、ホントにベトナムって住みやすいなーなんてぼんやり思ってしまった。でも、過去にこのホイアンには多くの日本人が住んでいたようで、ホイアンに住んでいた日本人の墓が街の外れにあるのだという。決して住みにくい街ではない気がする。

 そのあとは、街のなかの観光スポットが5つだけ観覧できるチケットを購入。75,000ドンなので、ちょうど$5くらい。今まで100円~$1ちょっとで大抵の用が済んでただけに、これはちょっと高いなって思った。

 …途中、昼食を取るべくホテルに戻ると、昨日のMがレセプションのところでひとりいろいろボヤいてた。またいろいろと死語みたいな日本語を発してて、おれも一緒に付き合った。すると、ドイツ人のS大学講師がやってきて、3人でいろいろだべる。そのドイツ人は日本語が結構うまく、おれの言ってることが筒抜けなんだろうなと思うとちょっと恥ずかしかった。そのあと、一緒に昼食を取りに近くのカフェに入って、ここでも色々話す。
 ちょっとしてから会計を済ませ、そのあとおれはまたひとりで行動を取る。

 …チケットで入場できるスポットは結局3つしか回らなかった。けれどそのうちの1つ、上の写真にもある「タンキーの家」というところが今でも印象的で、行ってよかったなって思う。
そこは、タンキーという中国人が実際に住んでた家を保存してあるもので、一つの家に日本・中国・ベトナムの3国の建築様式が盛り込まれている。中に入ると、さっきホテルで出会った日本人の人に出会う。おれもお茶を出されて、そこで係員をやっている女の子にいろいろ家のなかのガイドを受けた。
 だんだん家のなかを案内してもらってるうちに、その係員の子たちがいろいろおれに話しかけてくる。だんだんオバちゃんも出てきて、ついには一家総出でお出迎えみたいな感じになってきた。たまにおれがカタコトのベトナム語のあいさつをすると、その一家はそんなおれがおかしいようで爆笑する。そんな中、一人の知的な感じの女の子(Hさん)が近寄ってきていろいろと話をしてくれる。彼女は係員sの中でも一番英語が聞き取りやすい人で、しばらくその人と話をすることに。話すことといってもだいたい知れてるようなことばかりだったけど、話していてなんだかまったりできた。街が穏やかで、中に入ってくる風も涼しい。
相変わらずおれがカタコトのベトナム語を話すとみんなは笑い出す。何を話して笑ってるのかおれはあんまり聞き取れなかったけど、でもそれでもそうやっていじってくるのが嬉しかった。何せ、それまであんまり現地の人とまともに会話したことなかったから。…ちょっとしてHさんがガイドに回ると、今度は別の子(Tさん)がやってきた。どことなく中国系の顔をしたHさんとは違い、Tさんは色黒の、いかにもベトナムの子って感じ。どうやら日本語を学びたいらしく、おれにしきりにいろんな日本語を教えてくれと話してきてくれた。おれも2つ返事で、彼女のメモパッドにローマ字で日本語を書いて発音も教えてあげる。彼女はアタマの回転がいいのか、すぐに覚えてしまった。

 …どれくらいいただろうか。分からないけど、1,2時間はいたと思う。そろそろベトナムの民族音楽コンサートが近くであるのを思い出し、そこに顔を出してみる。 …ベトナムの民族音楽、聞いたことはないけどタイの民族音楽のような印象があった。踊り子のねえちゃん、アタマにツボのせてたけど、底がちょうどいいようにアタマの形にくぼんでた。……。うーん
 そのコンサートはすぐに終わっちゃって、おれも終わりとほぼ同時にそこを去った。その後でまたタンキーの家に行こうと思ったけど、あんまり入りびたってるのも何だったから、日本人の墓を目指して行ってみることにした。
 
 ホイアンの街外れにある日本人の墓は、沢木耕太郎の小説「1号線を北上せよ」にもそのくだりが載っている。読んでみた限りでは、「青々とした水田が墓を取り囲むようにして広がっていて、近くではアヒルがガァガァいっている」そう。アタマの中では明るい、のどかな風景が広がっていて、なんとも幻想的な感じだった。墓までは4km近くあるようだけど、まぁゆっくり行けばいい。自転車を北へと進める。
 間もなくして、道は舗装されてない土の道路にかわり、幅もかなり狭くなってしまった。でも、バイクだけはスピードを落とすことなくガンガン進んでいく。おかげで、バイクがまき散らしていった砂ぼこりをおれがモロに受けるハメとなった。
 …でも、行けども行けども「急に視界が開ける」ような感じにはならず、逆に来た道が分からなくなりそうで怖かった。1本道ではありながらまずたどり着きそうにない、そう思ったおれは、行き先をやはりホイアンの街外れにあるクアダイ・ビーチに変更した。こっちはある程度大きい通りを延々と走っていけばいいだけなので、問題ない。
…でも、行けども行けども同じような景色で、おれの脇は絶え間なくバイクとトラックが疾走して行く。午後の日射しはまだまだ強く、サドルのカタい自転車にヒーヒーいってるおれの体力を容赦なく削っていく。…だんだんと潮風の匂いがしてくるのだけど、それでもビーチは見えてこない。さらに進むと、急に右側に大きな川が視界に入ってきた。「この川も海へと通じているのかな」、たぶんビーチまであともう少し。
 …ようやくビーチが見えてきて、ゲートで2000ドンを支払って自転車を駐輪する。
 ビーチは白い砂浜で、ヤシの木も生えていて、ヤシの実が落ちててリゾート気分♪砂浜で寝そべってたり、海で遊んでるのは大体が欧米系だった。近くに高級なリゾートホテルもあるわけだし、昨日出会った経営コンサルタントもここでレイドバックしてるんだと思う。ちょっと会いたい衝動に駆られた。
 でも、当然ながらひとりで海に来ても面白くはなく、何となく「ベトナムの海に来たぞー!」っていう気持ちをしみじみ味わってた。滞在時間わずか20分だったけど、そろそろ引き上げることに。

 行きと違って帰りはスイスイ帰ってこられた。そんで、街に着いてからアイスで1服入れる。アイスで1服入れて、一旦ホテルに戻る。すると、ちょうどMがホイアンから南に下った、ニャチャンという海辺の街へと出発すべく、またレセプションのとこでバスを待っていた。おれも最後に日本語をMにちょっと詰めてあげて、彼は裏口からバスへ乗り込んだ。
…すると、裏口では昨晩見かけた日本人のグループがテーブル席でくつろいでいた。声をかけて少し話をする。…ここのグループ、実はみんなお互い全く面識がない人たちで、たまたま一人旅で来てたらバスが一緒だったとかでみんな共に行動しているのだという。「仲良さそうでうらやましいな…」そんな4人をみてちょっとうらやましかった。
 その中の、HAWAIIAN6のVo.っぽい彼はずっとマンガを読みふけってる。それはそれでよかったけど、おれももう腹ぺこだったのでひとりでもいいから夕飯に行きたかった。そのことを告げると、みんな足踏みしつつもようやく動き出した。
 今夜は、ホイアンの川沿いの道(Bach Dang通り)の両端どっちかの店に行くことにした。どうやら両端の店は安めらしい。でも、西側のほうが現在地から近いということで、西側の店にした。
 

(食事をしつつ、おれとYという20歳の彼との音楽の趣味があい、それで話は盛り上がる。ビールはホイアンの地ビールともいうべき"La Rue"をずっと飲んでた。味が薄い感のあるベトナムビールのなかでもこれは味がしっかりしていておいしかった。すぐ隣の広場では、日本の夏祭りのような催しがあって、テラスから眺めていると風流で気持ちよかった。)




 そのあとホテルに戻り、おれもYと一緒にさっきの女の子の部屋におジャマさせてもらい、下から持ってきた「バガボンド」を読みふける。…やっぱ、読んでると読みふけってしまうもので、しばらくはYから借りたiPodで久々のラルクを聴きつつ、読みふける。

 ちょっとして眠くなったので、おれは先に部屋をあとにして、ドミトリーに戻る。シャワーを浴びて、ひとりベッドで横になってると、Yも戻ってきた。Yは明日ホイアンを発って、もう一人の女性(28くらい)とフエに向かうのだと。かくいうおれも明日はミーソン遺跡っていう、アンコールワットの一区画みたいな遺跡のツアーに参加する。とりあえず、寝坊しないよう2人ともすぐ寝る。…どうもこの日はあんまり寝付きがよくなかったような…



【~The 4th Day~に続く】
HoiAn
【3/10: GH "Mimi" - 隣のカフェ - 市街 - タンソンニャット空港 - ダナン空港 - ホイアン - GH "Hop Yen Hotel"】


 朝は比較的早くに目覚めた。5時半に一回物音で目覚めたんだけど、またちょっと寝て、7時半には起きた。このままツアーに参加するってのもアリだと思ったけど、気乗りしないままツアーに参加するのでは面白みもないので、今日は見送ることに。最悪最終日に行ければ問題ない。
 とりあえず外に出て、今日の分の寝台列車のチケットが取れるかどうか聞きに行くことにした。昨日日本人のスタッフの方から話を聞いた、TNK Caféに行ってみる。値段は約$46。なんでも、チケットの値段に15%のマージンを加えた値段なんだという。往復で$96。…もともと列車の旅をしようと思ってたので、多少高くつくのは問題ないんだけど、現地に着く時間がどうも微妙…。うまく時間をつかいこなせなさそうなので、ちょっと考えることにした。…うーん、…飛行機はどうだろう…?
 一番安くチケット買えるCaféを探そうと、また別のCaféを訪ねてみる。今度はMimiの隣にある、名前は控えてないけどやはりCaféがあって、そこでチケットの値段を聞いてみる。値段は他の店とさほど変わらないけど、列車でホイアンまで行くことを告げると、Caféのオヤジは怪訝な顔で「列車で行くのか…? 着くの昼過ぎだから列車はやめといたほうがいいぞ…!」、と。そんなことは前もって調べてあるから、言われなくても分かってたけど、言われてみると確かに到着時間が微妙なのはアタマのなかで引っかかってた。そこで、「行きは飛行機で行くから、帰りは列車で帰りたい」ということを伝えたが、それでも怪訝な顔をされた。なので、とりあえずホーチミンからホイアンに一番近いダナンまでいくらか、そして今日の分のチケットは取れるのかどうか聞いてみる。値段は$107で、今日の分は17時半のフライトのみ残ってるようだ。…しばらく迷ったが、もしかしたらホイアンが気に入って長くいたいって思うかもしれない。それに、こう悩んでる間にも今日の分のチケットが売り切れになるかもしれない。…ここは1発スパッと決めてしまえ! 後悔はしないはず! おれはすぐに17時半のダナン行きチケットを手配してもらった。ホーチミンに戻るのはその3日後。チケットが取れたら今度は出発が楽しみでワクワクしてきた。

 出発までの間、またホーチミン市街を見て回ることに。ホーチミン市街でも高級感あふれるドンコイ通りを目指して歩いてる途中、1台のバイタクがやってきて、日本語で「バイタクバイタク、1じ間2ドルぅ」なんて話しかけられた。…1回バイタクに乗るのに1万ドン、往復するのでも2万ドン。$1が1万5千ドンだから、それを考えると1時間チャーターするのも悪くないと思った。
 そのドライバーの名前はHungとか言う。渡された名刺には(通称 HUNG雄)って書いてある。何となくうさんくさい感はあったけど、過去に日本人がこのドライバーにお世話になったことを証明するかのようなノートを見せてくれたので、まぁ信じることに。
 ドライバー曰く、ドンコイ通りは値段や敷居の高い店ばっかであんまり面白くないのだという。なので、ドンコイ通りはやめて、市場に行ってみることにした。まずはヤンシン市場というところ。いろいろ見て回るものの、日用品ばっかりでとてもショッピングをしようという気にならなかった。一通り見て回ってから、そのままどこに行こうか考える。チョロンというチャイナタウンみたいなトコはここから近いのか聞いてみるが、「チョト遠いヨー」……
 やっぱお腹も空いてきたっぽいので、バインセオというベトナム版お好み焼きを食べに行くことにした。
 店に着くと、時刻はちょうど12時。11時にチャーター始めたので、ちょうど1時間になった。
 バインセオ…生地にエビとか豚とか入ってておいしかったけど、中がもやしかタマネギだけだったので、あんまおいしくなかった。つけだれもかなり甘くてうまくなかった。

 そのあと、HUNG雄にベトナムの歴史博物館まで行ってもらって、そこでチャーターは終わり。去り際には随分と素っ気なかったのが印象的だった。そんで結局2時間分の$4を払うことになりました。
 ベトナム歴史博物館・戦争証跡博物館の見学もそこそこに、早めにMimiをチェックアウトする。ちょっと時間は早かったけど、念のため早めに空港へと向かっておく。時刻はまだ15時過ぎ。

 ホーチミン発ダナン行きの飛行機は17時40分に出発した。所要時間約50分。でも、こんなところでもちょっとした出会いがあった。
 離陸して間もなく、おれの隣に座ってた欧米系の男性が、聴いていたiPodを床に落としてしまった。おれがそれを拾ってあげたのをきっかけに、この人と話すことができた。
 その彼はワシントンD.C.に住む経営コンサルタント。今は休みを取って家族旅行に出かけてきたそうで、その家族もまたホイアンに向かうらしいが、ホイアンから少し離れたビーチにステイするとのことだった。
 
 何だかんだいろいろ話しているうちにダナンに到着。 時刻は18時40分。外はもう既に暗くなってしまっている。
 空港を出てすぐにタクシーの大群のところにひとりふらっと立ち寄る。いろんなドライバーにホイアンまでいくらか聞くものの、どのドライバーからも$12と。まぁ相場はそんなものだろうと1台のタクシーに乗り込む。
 「メーター!」とドライバーが高らかに言い放ってつけたのは時計…。19:23と表示されていて、1分ごとに右側の1の位が1ずつ増えていく。…まぁ、$12で行ってくれるのでそれはどうでもよかった。

 飛ばすほど急いでもないのに、無駄に急くドライバー。何度対向車と正面衝突しかけたか。50分くらいかかってホイアンに着いたけど、ベトナムに来ておそらく一番怖い目にあったのがこのタクシーだったと思う。まず生きた心地はそんなしなかった。
 ホイアンに入ってしばらくしてから"Hop Yen Hotel"の看板を発見する。そこですぐに停めてもらい、$12払ってホテルに向かう。$12払ったのにいつまでもおれをいぶかしげに見ているようで何だか怖かった。おれは何か間違ったことをやらかしたのか、と。

 しかし、ここで予想外の事態が… なんと全室満室なんだという。シングルはおろか、ドミトリーも今は空きがないらしい。「屋根裏部屋ならあるけど…」と勧められたが、みた感じどうも暑そうだ。そこで寝るのをためらっていると、オバちゃんが「じゃあ玄関で寝るのはどう? 簡易ベッドは用意するし、ここでこのおじさんも一緒に寝るから…」
 …本気で言ってるのか…?! 最初は唖然とした。そりゃそうだ、ホテルの玄関で寝てる客なんて聞いたことがない。まぁ上には扇風機もついてるし、涼しそうとはいえ何だか気が滅入る。荷物管理はどうしようとかいろいろ不安要素が絡んできたから。…ただ、1泊$2という破格の値段にはちょっと惹かれてしまう。最悪貴重品さえ盗まれないようにしとけばここで寝るのも悪くないんじゃないか…それにこんなアクシデントはあとあと話のタネにもなるんじゃないか…そう思うと、ここで寝るのも悪くないと思った。
 でも、玄関で寝てもいいということを告げようとすると、「やっぱりドミトリーにもう一つベッド用意したから、そこにする? $3だけど…」 …さっきのドミトリーにもう一つベッドを運んできてくれたのだ。…真上には扇風機がついていて、安全面の心配もなさそうだ。いろいろアレンジしてくれたオバちゃんにお礼を言って、ここで泊まることを快諾した。
 荷物を置いて一息つくと、端のベッドで寝ていた人が起き出した。どうも顔つきとか日本人っぽい。「急にここで泊まることになっちゃってすみません」と告げると、「あ、いやいや全然気にしないで下さい。」 …その人は34歳の日本人。自宅が意外におれの自宅から近いということが分かり、しばらく地元の話で盛り上がる。その人はホイアンに今日まで滞在していたそうで、ホイアンで2,3着スーツをオーダーメイドしたそうだ。これから郵便局に行ってスーツを日本に郵送してもらわなきゃならない、とのことで、おれも早速ホイアンの街並みを見に行きがてらついていくことにした。
 郵便局は結構しっかりした感じで、日本のとはだいぶ違う。端には国際電話の電話ボックスもあった。…海外配送にはいろいろと面倒な手続きがあるようで、彼はちょっと苦労していた。おれも助けつつ、何とか配送手続きが取れた。ので、おれの夕食に一緒に付き合ってくれた。

 ホイアンの名物料理はカオラウっていう、汁なしのうどんみたいなものらしい。残念ながら今夜はほとんどの店が閉まってたため食べることができなかったけど、その他の名物ホワイトローズと揚げワンタンをいただいた。もちろんビールも、ネ◎
 ホワイトローズは日本でいう水餃子みたいなもので、揚げワンタンは揚げたワンタンに豚肉とか野菜の甘辛い炒めものみたいなのがのっかったもの。どっちもおいしかったし、何よりビールにあったっていう。
 時間は22時過ぎ。この街は夜が早いようで、この時間になると街全体にほとんど人気がなくなる。この川沿いの界隈のレストランでは欧米人がまだまだ飲んだくれてるって感じで、一向に帰ろうとする気配がない。前にはバイタクたちが、客の帰りはいつかいつかと見守っている。
 その彼(Jさん)とお互いの旅を語り合い、しばらくしてから店を出た。Jさんは明日の朝、ホイアンより北にある、フエという街を目指すのだという。
 ドミトリーに戻ると、やはりこれまた同じ部屋にステイしている、イスラエル人(M)を見つけた。JさんはMに結構日本語を教え込んだ(?)のか、Mは「Anataha Watashino Taiyou Desu」なんていう死語をいきなり発した。そんなおかしなMとはこの時初対面だったけど、Jさんとともに話しながら、最後はJさんとMとおれで写真を撮って、シャワーもちゃんと浴びて、そのまま寝ることにした。
 ホイアンはホーチミンと違って夜は若干涼しい。扇風機だけでも充分涼しかったし、扇風機のまわる音を聞きながら、今日も長旅の疲れですぐに寝つくことができた。


【~The 3rd Day~に続く】
De Tham St.
【3/9: 成田空港 - ホーチミンシティ・タンソンニャット空港 - ファングーラオ通り・デタム通り周辺 - ホーチミン市街】


 2年前から何となくベトナムに行ってみたいという気持ちはあったものの、何となくそれは記憶の片隅にこびりついたままだった。でも、卒業を前にして急にひとりで旅したくなり、「ひとり旅すんならやっぱベトナムかな」って思い、何となく行くことにした。その話をすると、Bxxxもおれを「よっ、現地人」と称してくれた。
 3月ということで繁忙期ではあったけど、航空券もしっかり取れた。あとは出発を待つのみ。ココまでは前日までの話。

 
 そして、3/9。10時ちょうどに離陸なので、8時くらいには空港でチェックインを済ませなきゃならなくて、ウチから成田空港まで約2時間。朝6時には家を出なきゃいけなくて、5時前には起きてないといけないことになるんだけど、…そんなのはおれには無理な話で。なので、前日から徹夜。

 何とか徹夜の間に寝ることもなく、無事定刻通りホーチミンシティに向けて出発できた。
 日本とベトナムとの時差は-2時間(日本から見てベトナムは)。 時計を現地時間に変えておく。
 6時間と30分ちょっとでベトナムはホーチミンシティのタンソンニャット空港に到着。この日の気温は35℃。3月は1年の中で最も暑い月というのは前もって調べてあるけれど、それにしても35℃にもなるとは予想もしてなかった。
 入国審査を済ませ、外に出ると、辺りにはおびただしい出待ち客でごったがえしていた。ちょうど柵を囲むようにして人の壁ができてるような、そんな感じ。
 早速タクシーをつかまえて、ゲストハウスの集まるファングーラオ通り・デタム通りに行ってもらう。空港周辺はまだ郊外ということもあってか、バイクの量もまあまあだった。とはいえ、日本と比べたらそれでもまだ多い方ではあるけど。そしてだんだん市街地に近づくにつれて多くなっていき、ついに道路はバイクの河になった。110ccのスクーターとかカブばっかで、みんなヘルメットはしてない。2ケツ・3ケツは当たり前、4ケツもベトナムでみるとさしておかしく見えないから不思議だった。

 小一時間かかって、ようやくデタム通りとブイビエンという通りの交差点辺りで降ろしてもらった。途端にゲストハウスの客引きがあったけど、おれは迷わずCさんオススメの"Mimi"というゲストハウスを探す…けど、住所も何も分かんないので、とりあえずその客引きのオバちゃんにMimiがどこにあるか聞いてみる。そしたら「ついてこい」って。ついてったらほんの1,2分でそこについてしまった。おれがありがとうっていう間もなくそのオバちゃんはどっかに去ってしまった。
 Mimiのおねえさんがすぐに出てきて、部屋を案内してくれる。でも、まず部屋の設備を確認しないことには落ち着かないので、ホットシャワーとエアコンはちゃんと動いてくれるのか聞いてみる。でも、自分ではあんまりちゃんと確認しなかった。Cさんにオススメされたのでまずそういった面でトラブルはなさそうな感じがしたし、おねえさんもしっかりしてる感じがしたから。レセプションもなく、風通しがいい感じ。

 おれが泊まることになった部屋は入口から最も近い場所にあり、ツインベッドだった。ただ、ベッドを2つ置いたらそれだけでスペースがほとんどない感じだったけど、まぁ寝るだけだったし、それで$9は全然安い。

 荷物を部屋に入れ、一息入れるのもそこそこに、早速ホーチミンの街を歩くことにした。さすが35℃もあるだけあって、ちょっと歩くとすぐに汗がにじんでくる。信号待ちでもしようものなら汗が止めどなく伝わってくる。街中に信号もあまりないみたいなので、直接車道を横断しなければならないことも多かった。カイロに行った時と同じだったからそんなに抵抗はなかったものの、いざ渡ってみるとやっぱり怖いものは怖かった。幅の広い道路だと両方向の車の流れを見ながら渡らないといけないので、これがなかなか気が抜けず。やっぱり走りたくもなったけど、走るのは逆に危ないので、ガマン。それでもちょっと走っちゃったけど。

 今日は早速昼食がてらフォーをいただき、TAXと呼ばれる国営百貨店と、その近くにあるバクダン(Bach Dang)アイスってとこに立ち寄った。バクダンアイスのココナッツアイスっていうのがあって、ココナッツの身を器にしてきれいにデコレーションされてた。キレイだったしボリュームもここぞとばかりにあった。写真も撮っとけばよかったけど、たまたまカメラを持ってきてなかったので撮れなかった。残念。

 
 外はとにかく暑い。今の時期は日本の真夏と何ら変わりはない。夕方になって日が落ちてきても、まだまだ熱帯夜が待ってるのだ。
 夜はバイクタクシーにちょっと遠目のレストランまで行ってもらう。ベトナム来て初めての料金交渉だったけど、相手は複数いてあまり英語を話せないということもあってか、とりあえずガイドブックに載ってた相場の2倍ふっかけられる。ふっかけられたといっても80円が160円になったくらいなもんだけど、やっぱりふっかけられることそのものが気分悪いので、2万ドンを1万ドンにするよう、頼んだ。もちろんあっちもすぐに折れるわけなくて、「えーっ、ダメダメぇ」なんて答えが返ってきたけど、だったらこっちから願い下げるのみ。「じゃあいいよ、他探す」ってその場を去ろうとすると、「待って待って、じゃあ1万ドンでいいよ!」って。紙にメモっとこうと思ったけど、持ち合わせがなかったので地面に値段を書いて念のためハッキリさせといた。まぁあんま意味はないけれど、疑ってばかりでは何も進まないので、ここは半信半疑な気分も持ちつつ、行ってもらう。
 15分くらいして、ようやく目指すレストランに到着。結局バイタクにふっかけられることもなく、1万ドンを渡すとそそくさと行ってしまった。…そのレストランは見かけ高級な印象があって、ひとりで入るには随分気後れするようなところだった。中に入るも、ウェイターさんもひとりの客にちょっと戸惑ってるようで、「…あっじゃあ2階にどうぞ…」と通された。辺りを見渡してももちろんひとりの客なんていなかったけど、でもウェイターさん、おれに気を遣ってくれて、テラス側の、一人でいるには居心地のいい席に通してもらった。
 待ってる間、石の器で焼いたごはんを空中に投げて皿でキャッチする、なんてパフォーマンスも見せてくれた。 …ただ1回ミスってました

 そのあとはまたバイタクつかまえて、デタム通りに行ってもらう。相手が信号の角でひとりポツンとしてて、客がつかまれば今夜は御の字とでも思ったのか、今度は行きみたいに手こずることもなく1万ドンで行ってもらえた。
 そんで、カフェでありながら旅行会社も兼ねてる、ベトナムでは最大手のSinh Caféに立ち寄ってツアーの情報を集めておく。ガイドブックにはどれも$20以上もしてたツアーだったが、ここではだいたい$8~9くらいで済んでしまうし、メコン川ツアー1泊2日コースでも$15なんていう値段。高い高いと辟易してたツアーだったけど、この額だったら安心して行ける。

 Mimiに戻ってからは、明日はどうするかを考えることにした。ベトナムに来て一番行ってみたかったホイアンに行くことを考えていたけれど、寝台列車で行こうか、それともやっぱホイアンはやめてツアーに行こうか、何はともあれ、明日は朝一で旅行会社(Café)に行かなきゃ…。あんま考えすぎてもしょうがないので、シャワーを浴びてそのまま寝ることにした。時刻は23時過ぎ。外ではまだ玄関のとこにいた子たちが遊んでるみたいで、キャッキャッ声が聞こえる。
 エアコンがあるのは本当に快適だった。涼しくて気持ちいい部屋と旅の疲れとが相まって、この日はすぐに寝れた。



【~The 2nd Day~に続く】
 ずーとバトンほったらかしにしてました
 (((; °д°)))

 せっかく回してくれたのにすいましぇん(ノд`)  それではw


●シャワー派?浸かる派?●

1年中シャワー派だね

●最短時間は?●

んー
5分くらいだね

●最長時間は?●

んー
30分くらいだね

●どこから洗う?●

アタマ a.k.a 髪だね

●歌う?●

歌わないね 昨日はカラオケで熱唱したね

●何歌う?●

何も歌わないね でも昨日はカラオケで熱唱したね

●何考えてる?●

何も考えないようにする とりあえず気持ち良さにひたるね

●温泉好き?●

温泉大スキだね 特に秋田の乳頭温泉は今一番行きたいね

●泳ぐ?●

泳いでしまうね

●隠す派?オープン派?●

隠す派だね 

●好きな人又は想いを寄せている人がいたら興奮する?●

興奮するね お湯でのぼせてるのかスキな人がいてのぼせてるのか分かんなくなるね

●好きな入浴剤の色は?●

白だね 温泉っていったら白って感じするね

●好きな入浴剤の香りは?●

入浴後すぐ眠れるような香りのがいいね 具体的には分かんないけど

●お風呂上がりはパジャマ?全裸?下着?私服に近い服?●

最近は冬でもTシャツだね

●お風呂にあったらいいなと思うものは?●

現実みてウチに追い炊き機能あるといいね
 おとといくらいから、久しぶりに、いつも通りのシナリオで親友とケンカした。ケンカというか、友達はいろいろ考え込んでてつらい立場にあって、そしてたまたまメールを返した返してないがきっかけで彼がバクハツしてしまった。彼は相変わらず口汚く罵ってきたけど、それが「もう爆発しそうだ」と言われたことを思い出してハッとなった。

 そして昨日、その爆発しかけた理由を聞きに行った。
 …おれは絶句したし、心のうちを聞きながら徐々に自己嫌悪にひたっていくのもはっきりとわかった。

 おれは今まで、「顔で笑って心で泣」けるような、そんな友達想いになろうっていつも思ってたけど、それは結局理想論でしかなく、所詮「顔で泣いておいても心までは泣かせない」、友情関係に保身を持ち込んでいたんだ。それに気づいたとき、やっぱりおれは友達との間で起こるいざこざに顔だけ突っ込んで結局何も考えてなかったっていうことにも合点がいった。
 彼が友達をどれだけ大切にしてきたか、どれだけ友達のために身を切る思いをしてきたのか、今までは全く分かっていなかったわけではないにせよ、表面上でしか理解しようとしなかった。
 彼は言った。「もう人間不信になってきた…」彼はとにもかくにも人を信じる人だった、というか今でもそのはずだけど。人のためなら自分をも犠牲にできる、そんな人である。そんな彼がそんなことを考え、おれに打ち明けたその痛みがどれだけのものだったか。そして何よりもどれだけ友達を痛々しく裏切るようなマネをしたか。彼は話の途中で「ホントは昨日、お前と縁を切るつもりだった」と言った。もうかれこれ6年、7年と付き合ってきた仲なのに、である。この先もずーっと付き合っていく仲なのに、である。

 …いつもいつもケンカはする。でも次の日になるとお互い許し合う。でももうそれはお互い分かっていることであり、疲れていれば仕方のないことである。ケンカをたくさん重ねてきたせいか、最近になって「こういえばキレる」とか、「こう出たらこういう態度に出る」、というのが手に取るように分かってきた。こんな言い方もヒドいけど、でも裏を返せば、いつもひと言多いおれが立ち止まって言葉を選ぶチャンスでもある。「言いたいことは内に押し殺さず話す」、まぁみんなよく言うことだけど、それでもおれが「言いたいことは内に押し殺さず話す」と、「ひと言多い」と突っ込まれる。こうなるともう言いたいことも言わないでおきたくなるけど、それでもまだこれは「ケンカ」という範囲内で済むからいい。今度ばかりは彼の言うことひとつひとつがとても重く、そして自戒的な気持ちにさせる言葉ばかりだった。当然ながらおれはとにかく反省と自己嫌悪の気分でいっぱいで、言いたいことなど浮かび上がる余裕すらない状態だった。
言葉では表現しきれない、重く痛い気持ちは、のしかかるでもなく抉るでもなく、深い霧のようにおれのココロを包んでいたようだった。

 …そのあとはいつも通り東京腸捻転というルーティーンで、そのまま寝てしまう。翌朝目を覚まし、身を切るような寒さの中カラダをガタつかせながらチャリで家に帰るものの、自己嫌悪はまだどことなく残っている。スッキリとはしなかったけど、でもこんなスッキリしない気持ちも持ってようかなって思った。自己嫌悪を忘れず、もっと友達のこと考えよっかなって。この春からまた新しい環境だし、今度こそは長い付き合いになる。「自分は自分、他人は他人」と割り切る水星人ではあるけど、もっと「友人や近所付き合いを大切にできる」、割り切れない天王星人の感性も何とか持っていこうと思う。
 とはいえ、友達関係を深く考えすぎてもギクシャクするだろうし、深く考え抜いた先にあるものが正解であるかも分からないわけで。もちろん、深く考えることそのものがなかったらおれが変わることもないわけで。
 何言ってるかよくわかんねーなー   でも、今のままじゃいけない。「これを機に」なんてことは言わないけど、変わっていかなきゃ。「欠点があるから頑張れる」、今はそんな心境です


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 …そういえば、土日ともに、ずいぶん久しくやってなかった接客のバイトをしたんすよー  しかもスーツで8時間立ちっぱだったから、腰が、足が、そしてノドが痛いのってなんのって。
 いやーしかしおれの滑舌の悪さにひいた! 「失礼致しました」って言おうと思ったら、口をついて出た言葉は「恐れ入りました」…
 よくかんだ、週末だった気がします。
 昨日、ガッコの友達と新年会した。新宿の和民と魚民、だ。
 勢いにまかせて飲んでたら、2軒目の魚民で記憶がなくなり、おきにのヘアバンドもなくなる。なくした時の記憶がなくなるってトコがもうフツーにヤバかった(((; °д°))) つか記憶がホントになくなるまで飲んだのって初めてかも。

 とりあえず一人でトイレを占領してるのだけは覚えてる。ずーっと便器を抱え込んでたり、しりもちついたり。そんでもって便器は、ね、…うん。
 帰りに友達とどうやらタクシーで送られたらしい。でもその記憶も全然ない。とにかく気持ち悪かったの一点張り。そんなおれは友達の家に捨てられ、残りはみんな新宿にカラオケレッツゴー
 その間、おれは…確か寝てた。んで目覚めたらもちろんFUTSUKA-YOI。アタマがガンガンする。そのあとは水を飲んではトイレに立てこもり、水が胃にしみるのでぬるま湯にして飲んではまたトイレに、…ある程度気分がよくなったら下のローソンにソルマック買いに行って苦いの飲んだけど、それもトイレに流れちゃった…

 朝5時だか6時くらいにカラオケ組と新規参入組がやってきて、おれに雪のおみやげをくれた。外はまだ暗くてあんまよく見えなかったけど、かすかに雪が横殴りに降ってるのが見えた。

 そんで、飲んだ水がそのまま胃液をまとって放流されてばっかだったけど、最後の最後で吐血してビクーリした(((; °д°))) でもまさか吐血だなんて思えなかったから最初はソルマックの色が赤いのかなーと思ったけど、いや、彼は胃液の色そのものでした。…そう、マロリーワイスになちゃた(ノд`) まぁ10分おきにトイレ行ってたからなー、いいかげん胃もキリキリボロボロだったんだなー  
 んでPCをちょいと拝借。そんでマロリーワイスのコト調べてみたら、ななんと「自覚症状がないから、放っとくと出血多量で命を落とすかも」……………(((; °д°)))
 まーでもそりゃ言い過ぎだなと思い、ちょっと休んでから友達の家を出る。 外はまだまだ雪が結構降ってる。小学校の時は雪の朝だと眠気も吹っ飛んでテンション上がったけど、今はもう……いやいやそん時はまだアタマがガンガンしてたんだ

雪に何度か足を滑らせながら、ふと。 「あぁ、そういえばおれだけ飲み代払ってないな…」  
久しぶりに、そして新年初めて会った友達にあいさつどころか面倒をかけてしまった。

L**・m*y**i・h**a、そしてわ***にB**H、ホントすいませんっしたm(__)m 
 2006年!おめでとうございます  あーちょっと遅過ぎるなこのあいさつも… 

 今年もまた地元のお寺で年越しを迎えた。今までは田舎で年越しを迎えてたのに、ここ3,4年は地元で過ごすのが当たり前になってしまった。そして、今年は例年以上に新しい年になったって実感が湧かなかった。31日が次の月の1日になっただけじゃんっていう、いやまぁそこまでさめてないけど、それに近いものがあったような気が…

 年明けを迎え、初詣もそこそこに、おれらは初日の出を見るべくお台場に向かった。やはり車があるというのは何モノにもかえがたい。
 お台場では、日の出直前までゲーセンに溜まる。ずいぶん久々なプリクラを撮ってダーツのフロアへと向かう。ずらりと並ぶダーツをみて感極まったおれはその場でマイダーツを手に入れた。いつもは2000円ちょっとの出費でもうんと悩んでしまうおれだったが、今年はそういうのを少しなくしていこうって思った。…その出費が自分にとってプラスか無駄かなんて悩むんじゃなくて、少しは雰囲気に流されるくらいの尻軽さも必要だなって。でもそういう点では、あれだけの大金を手にしながらも、少額でも無駄な出費は一切しない村上タイプだと思います
 2日前は絶好調だったスコアも、今日は伸び悩む。おれと対戦してるクリボーはどうしていいポイントにささる。「どーせビギナーズラックだよ」おれはそんなに苛立たなかった。だって初めてやった時のやつだってビギナーズラックだもん
 
 そのあとはお台場を出て、葛西臨海公園に向かう。たぶん一般道でも行けたんだ、でもナゼか首都高に乗っちゃう。こんな気まぐれもお正月だから許される  んじゃん。
 でも、ここにきて天気予報が当たってしまい、今日は曇り。新年そうそう6:45の日の出時刻におてんとさまは大チョンボした。そんなんでいいんすか
 それで、7時になっても日の目を見そうになかったので、「はい、初日の出出ました!」って宣言して、曇りの空に手を合わせた。

 そのあとは一路群馬の四万温泉を目指す。雪見温泉にテンション上げるも、そのうち寝てしまう。
 目覚めたら沼田を降りた直後だった。でも、実は渋川伊香保で降りてなきゃいけなかったことも忘れ、危うく老神温泉に行きそうだった。老神温泉。老ネ申温泉

 途中何度かスリップしながらも、1時間くらいしてようやく四万温泉に着いた。雪は降ってないものの、辺りは一面雪景色。そう、おれはこれを待っていたのだ。天気は快晴。そういえばようやく初日の出にありつくことができた。
 正月ということもあってか、いやその割には? 観光客は想像してたほどいなかった。でも893の団体がいらっしゃったのはビクーリしたっつーか、対向車にクラクション鳴らしたつもりが893ご一行様全員をご機嫌ナナメにしてしまった。ご一行の全員がこちらに睨みをきかしてきたので
それでもお正月ながら、宿の人はホントに手厚くもてなしてくれた。別にそこに厄介になるわけでもないのに、そんな優しさにもささやかながら癒された。
 今回お世話になったのは積善館。趣がありすぎて、まさにおれの求めてたもので、これから行こうと思ってた東北温泉巡りはまた今度にするかと後回しにさせたくらい理想だった。ひなび具合がハンパない。
 …でも、露天風呂があるもんだと思ってたら、小さめの湯船が5コあるだけだった。ヽ(´Д`)ノ でも、蒸し風呂なんて初体験なものがあったので、入ってみた。表現するなら、ちょっと温度の下がったサウナのような感じだった。温泉そのものはどうやら硫黄の成分が強いみたいで、マイメンのシルバーな指輪がいつの間にかゴールドラッシュである。金の指輪…まぁ温泉街には似合うだろうよ
 温泉から上がって休憩所入ったらそのまま寝てしまった。全く、今日はよく寝る日だよホントに。
目が覚めたのは夕方。そろそろ部屋も冷えきってきた頃だった。休憩室を出て焼きまんじゅう食べて、それから東京へと帰路につく。途中でまた渋川伊香保のICを通り過ぎちゃって吉牛に入る。全く、今日はよく食う日だよホントに。
 雪見温泉とまではいかなかったが、温泉を満喫したあと、地元に戻ってまたダーツバーに入る。全く、今日はよくダーツやる日だよホントに。3時間なんてあっという間に過ぎて、今度は相方の家へ。はねトびのDVD観て、そのまま眠りにつく。

 翌朝。1月2日。またしてもダーツバーに行く。もうここまでくるとヲタ  だけど、こうやって久々に熱中できるものがあるって、年明け早々気分がいいw 
 …まぁダーツやってそのあとグダグダやって、ようやく帰宅。丸2日も家を空けてた。なんか初めての気分です

 てなわけで始まった2006年。今年もa2hi6をよろしくお願いします。