東京落選しちゃいましたねー〓

生きているうちに自国の五輪を見てみたいってやはりどの国の人でも同じなんですね。

初の南米開催、リオデジャネイロ五輪楽しみにしてます〓

スポーツや音楽、といった平和交流は、互いの人種や過去・政治的利害を唯一取り除けるものだと思うんです。事実、そうですよね。五輪開催は平和の象徴〓

参加国も増え、アフリカ選手が台頭してきたのもよい成長だと思います。

しかし、一方で平和交流だけでは、互いの関係改善に繋がらないのが現状です。

その背景には、表面上だけでの交流に止まり、草の根までの交流・国民全体の意識改革がされていないことにあると私は考えています。

どんな形態の組織であろうとトップだけ突っ走っていては、走りだしはよくても、いずれは躓きますよね。

国際政治も同じではないでしょうか??

一刻も早く、世界中の紛争がなくなりより深い平和が築けるよう祈っています〓

今日は五輪から世界平和を考えてみました〓
題名の通り今日は東京ディズニシーに行ってきました〓

6年ぶり??くらいでしょうか。

最近はあまり行くことがなく、夢の世界の魅力を忘れていましたが、たまに行くといいものですね〓
しかし今日は、生憎の天気で予定されていたショーや花火はほとんど中止で残念〓

ですが、とてもリフレッシュできました〓

連れて行ってくれた友人に感謝です〓ありがとうー〓

前回書いた「医療現場」ってやつですが、私の母親のことなんですねー。



私が、幼稚園に通いだしたころから母は、医療現場に再び復帰をして、家のこと、子どものこと、おバカな父親のことを一気に見ていたんだと思うと、本当に偉大な人であったことに気付かされたんです。


正直、今日まで何度母に対し暴言を吐いたか、そして、何度むかついた事か数えられないくらいあります。

だって、半端ないくらい口うるさいんですもん(笑)自分も幼ければ反抗もしたくなりますよ。

けど…

今思えば、そのたびに傷つけていたんだろうなーって空しい気持ちになります。

母強し。


でも弱くなる時もあるわけです。突然泣きわめいたり、ものすごく機嫌が悪かったり…そんな時力になってあげたいですね。



そんな母が、先日泣きそうな顔で帰宅してきてどうしたかと思えば、職場の人が突然倒れたと。

母は看護婦ですし、最初に症状見てヘルプを呼んだ張本人だったせいもあり、だいぶ自分を責めていてこちらまで涙が出そうなくらい悲しい話でした。


意識は戻らないし、戻ったとしてもおそらく障害が残るだろうと予想はできるし…


そんな時、延命治療が果たして本当に必要なものなのか少なくとも母も考えていたと思います。

けれど、やはり大切な人には生きてほしいと思うものですよね。千羽鶴を折っていたそうです。


そして、昨日、お別れのときが来ました。


その方は、これ以上生きることができない、楽になりたいと思ったのでしょう。


死に顔で、その人がどんな風に死んだのかわかるそうです。死後硬直はあっという間なので。

だから、苦しければ歯を食いしばった表情になる。大切な人には、そんな表情で死なせたくないものです。


母は、お通夜から帰宅し、泣きはらした表情でありながらも、死者を送り出す姿勢になっていて、精神的に本当に強いな、と思いました。心から尊敬します。


私は、まだ大切な人を失ったことがなく人の「死」をきちんと受け止めたことがないから


”いい顔で眠っている”とか“安らかな顔をしている”という表現は受け止めがたい。


けれど、今回の出来事をきっかけに死を迎えることを、ただ単にマイナスな気持ちだけでなく前向きな気持ちで受け止めなければならないことを学ぶことができたような気がしました。