銀閣寺完成(1483) | あっくんの自由気侭ブログやねん

あっくんの自由気侭ブログやねん

自由気ままにいろんなネタをほぼ毎日更新
基本的には
インディ~ズアーティスト
スポーツ
ごはん
などでーす


銀閣寺完成(1483)


室町幕府8代将軍足利義政は、1473年(文明5年)、


嗣子足利義尚に将軍職を譲り、


1482年(文明14年)から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。


この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、


近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。


当時は応仁の乱が終了した直後であり


京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に


段銭(臨時の税)や夫役(労役)を課して東山殿の造営を進め、



書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。



造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、




義政自身は山荘の完成を待たず、



工事開始の翌年である1483年(文明15年)にはここに移り住んでいた。



東山殿には


会所常御所、釣秋亭、竜背橋、泉殿、西指庵、漱せん亭、超然亭などの


大規模な建物が建ち、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、



ある程度政治的機能ももっていた。

ただし、現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。


1490年(延徳2年)2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため


東山殿を寺に改め、相国寺 の末寺として創始されたのが慈照寺である。






ペタしてね 読者登録してね







戦国時代 末期には前関白 近衛前久 の別荘にもなったが、これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かったことによる。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。

1952年 3月29日 には庭園が 特別史跡 および特別名勝 に指定された。1994年 12月17日 には「古都京都の文化財 」として 世界遺産 に登録されている。