まいど
ロンドン五輪第2日(28日)第2日に行われた女子48キロ級では、
3度目の五輪に臨んだ三宅宏実(26)=いちご=が、日本新記録のトータル197キロで悲願の銀メダルに輝いた。2000年シドニー五輪で採用された女子重量挙げでのメダルは日本初。1968年メキシコ五輪銅メダリストの父・義行氏(66)と、国内史上初の父娘2代でのメダリストとなった。
差し上げたバーベルの重さが、快く体に伝わってくる。バーを握り始めて12年目。偉大な父の背中を追い続けた三宅が五輪“3度目の正直”でついにメダルをつかみ獲った。
快挙から一夜明けた29日、会見に臨んだ三宅は「これまで父とけんかしたことや負傷など嫌な思い出も多かったが、昨日の試合で吹き飛んだ。4年先のことは何も考えていない」と充実の笑顔を浮かべた。
スナッチで日本新記録となる87キロを挙げて2位につけ、ジャークでも110キロを記録。トータル197キロで堂々の日本新記録。集大成とした舞台で、父娘2代の悲願が成就。「一瞬にして夢がかない、父の銅メダルより1個上(銀メダル)にいけてうれしい」。
メダルを期待された4年前の北京五輪では減量に失敗。想定体重の47・6キロから約300グラム減り過ぎて力を発揮できずに6位に終わった。北京五輪以降は53キロ級で筋力アップをはかり、苦手なスナッチ強化に着手。世界の勢力図を分析し、ライバルの少ない48キロ級へ変更した戦略も当たった。
父・義行氏はメキシコ五輪銅メダリスト。伯父の義信氏(72)は1964年の東京、68年メキシコ五輪で2大会連続の金メダルで、兄・敏博さん(37)も全日本王者という重量挙げ一家。心の力もつけてきた。義行氏は、東日本震災で大打撃を受けた宮城県の生まれ。出身地の村田町は津波の被害はなかったが、実家は屋根の瓦が落ち、ビニールのシートで応急処置を施した。周囲の道路はでこぼこ。昨年4月にその光景を目にした三宅は「言葉を失った」と胸を痛めた。
同5月には、三宅と義行氏は運動靴やタオルを届けるため合宿でも世話になった宮城・柴田農林高を訪れた。被災した高校生が漏らした「寒い時期は地震や津波を思いだして恐怖心が募る」との言葉が忘れられなかった。自身は埼玉県で生まれ育ち、被災地代表ではないが、「五輪でいい結果を出して、少しでも被災者の励みになれば」と繰り返した。
プロ野球でバース(阪神)と落合博満(ロッテ)が三冠王に輝いた1985年に生を受け、うかんむりが3つ並ぶ三宅宏実と名付けられた。三宅は今年の父の日に「五輪でいい結果をプレゼントしたい」と書いた手紙を送っている。「父超え」が、最高のプレゼントになった。
最高に感動した前回大会の悔しさをばねに
銅メダル獲得おめでとうございます
自分もロンドンではメダル獲得すると思ってました。
また、次は
銀メダルか 金メダルを獲得してほしいなあ