本(もと)を忘れる「人はその先(もと)を忘れぬを専一と存(ぞん)ずれど 得ては忘るゝものなるに・・・」(並木五瓶、『隅田春妓女容性(すみだのはるげいしやかたぎ)』)ここで「もと」に先という漢字を当てているが「本」でも「元」でもよいと思う。本末というように本があって末がある。国民の経済生活を考えるにつき食べるものがあってこそと思えば農業の重要性は経済的観念を越えたものがあろう。いわば本である。しかしこのこと、忘れやすく、末に流れ、末の利益ばかりを考るようになりやすいか。