尾村幸三郎、『日本橋魚河岸物語』には、「黙阿弥逝去まで」の一節で、黙阿弥の死に関連した奇跡めいた話が取り上げられていて興味深い。
自分の死期を直感した明治14年、66歳のとき、「おれは長命をしても七十七まで生きたい」といったという。
周囲がなぜかと聞くと、「七十七以上に生き延びれば戦争に出逢うであろう、しかも西南役のようなのとは違って、外国とやるだろうから」と答えたという。
周囲は気にも留めていなかったが、日清戦争が実際に始まって、はたと思い知らされたのだと。
彼の直感力のすごさを物語るが、自らの死期まで直感し、死後一切の憂いなきように処置して、78歳の春を迎え、元旦、二日の雑煮を食べて三日に発病、二十日後に死去したそうだ。
果たすべき用事をすべて仕上げての逝去であったそうである。
人生の手じまいの理想のような話が伝わっている。