福島の青い空(536)



親思う心にまさる親心



養老院に親を叩き込み震災の時、112名のお年寄りの

ち迎えに来た家族はたったの1名の家族だけだったそうで

す。

養老院の世話になる家族にはそれなりの立派な理由があ

る。

共稼ぎのために親を世話できなく、已むを得ず預けている

ひと。

自宅では看病できなくなって、養老院に世話になっている

人。

家族と一緒にいるのが嫌で自ら負担して養老院に入った

人。

立派な家があって、外車に乗り裕福な生活をしているのに

親を預けているひとたち。

嫁と親との折り合いが悪くしょうがなくて預けている人。

親思ふ心にまさる親心
  けふのおとずれいかに聞くらん

松陰吉田寅次郎は1859年に刑死する時、上の歌を残し

た。辞世と言われる。(1830年~1859年)

いつの時代の人でも親を思う心は同じである。

親を思う気持ちはあたりまえな自然な心です。

しかし、震災の時養老院に迎えに行った家族は112名の

うち1名だったと言われている。朝日新聞「プロメテェウ

スの罠」より。

迎えに行かなかった111名の家族のことをよく考えてみ

ると現代というものの実態が分かるような気がする。

(A)親のことなどまったく気にもしなかった人。

(B)激しく動揺したが結局迎えに行かなかった人。

(C)お金で済ませてもらいたいと思っている人。

(D)餅は餅屋で年寄りの世話は専門家がすることだと               
   思っている人。

養老院に預けるに至ったいろいろな都合はあったのだと思

うが、それはこの際考えずに、いざという時迎えに行か

かったということは見放したということである。

もう姥捨て山に置いてきたのだから、あとは知ったこっ

ちゃない。あとは行政なり、養老院自体に始末をお願いし

ます。ということなのだろう。

出来れば火葬までお願いいたします。

そういう人たちが112名中の年寄りの家族の中で111

もの家族がいたんである。

これはゆゆしき重大なことです。

今から50年くらい前までは養老院などほとんどなかっ

た。身寄りのないお年寄りが住んでいる施設はありまし

た。まあ事実上の養老院ですが。

ではどうしていたかというと、自宅に住み、家族が面倒を

看ていたんです。徘徊とか、ボケ、恍惚という言葉がはや

りました。

それなりに看病は大変でした。ほとんどがお嫁さんがその

役を担いました。その家の主婦のことです。

ほとんどの主婦はその役を全うしました。子供(孫)たち

はそれをずっと見て育ちました。

だから我々の世代は親を養老院に入れたという話はあまり

聞きません。だいたい養老院が少なかったせいもありま

す。

いつのころからか親を養老院に預け、共稼ぎで費用を稼い

で、それを負担することが親孝行だと言われ始めました。

そのころから養老院が雨後のタケノコのように林立し始め

たのです。日本全国養老院だらけになりました。

人びとは抵抗なく喜んで親を養老院に預けるようになりま

した。

やっぱり専門家に任せて設備のしっかりした養老院に預け

るのが多少費用がかかっても親が喜ぶのではないかと考え

るようになったんです。そして養老院には同じ年ごろのお

年寄りがいっぱいいるから楽しいだろうと思うようになり

ました。

そして介護保険です。人びとの願いは老後の介護を身内に

頼まず施設や、専門家にゆだねたいと願っているという社

会現象が起きたんです。

介護士やヘルパー制度ができ、システム化され、分業化さ

れて、機能的になりました。

介護タクシーなるものまで現れて、車いすのまま車に乗る

ことができるんです。まあおカネはかかりますが。

私もあちこちの養老院を見る機会があってだいぶ参考にな

りました。

どこの老人たちも無表情で楽しそうにしている老人はひと

りもおりませんでした。

それにしても、施設にいる老人の多いこと、びっくりしま

す。

みな生気を失い、のろのろと機械のように動いています。

老人が楽しそうにしている社会は若者が生き生きして見え

ます。不思議です。昔の年寄りは楽しそうにしていて、若

者は生き生きしていたのです。

昔のテレビ番組で鈴木史朗アナウンサーのTBSのクイズ番

組があったでしょう。さんまの番組だったと思います。

年寄りが3人出てきて、トンデモ回答が出て、そのたびに

若者がバカにして笑うんです。しかし、年寄りたちは楽し

げで若者たちは生き生きしていました。

「あ!さんまのスーパーからくりTVだ。」

「ご長寿早押しクイズ」は1992年~2014年の間放

送されました。なんと22年間でした。

果たして現在の老人たちは幸せなんでしょうか。後期高齢

期を迎えた私は非常に気になりました。

わたしは子供がいないため,いずれはどちらかが養老院行

きは間違いありません。若い人たちの世話になって、のろ

のろと動いてゆく自分を考えると暗然とします。

せいぜい身体に気をつけて、健康長寿を全うし、なるべく

お世話にならないように努めたいと思っています。

しかしなんですね。親を預けている人たちは海よりも深い

母の恩という言葉がありますね。あのことをどう思ってい

るのか興味があります。

やはり一緒にいて、まあ苦労だがなんでもやってあげたい

出来る限りのことをしてやりたいと思っているのではない

でしょうかね。

手っ取り早く養老院にぶち込めばいい、などと思う人は少

ないだろうと思ってんです。

そうできないで養老院に入れざるをえなかった人は心の痛

みがあると思っています。

それは癒やしがたい傷で、人として致命傷だと思います。

つまり死ぬまで本人の心にひっかかるものだと思います。

致命傷になることは本人は知りません。あとでなるんで

す。

失敗した、こんな思いをするんなら、自分でみるべきだっ

たと後悔するんです。後悔先ただずです。人は必ずそうな

ります。どっかで妥協してごまかそうしますが、親を見は

なし、養老院に叩き込んだ事実は一生自分を責めると思い

ますよ。それは死ぬまで続くと思います。

嫁の負担や家族のことを考えて、どちらかがいいかと判断

した結果のことだ。いまさら反省しても仕方がないことだ

と言っても、心の負担はノイローゼになります。

セイセイしたという嫁と心の負担に思う嫁は二派に分かれ

ますが、男の場合はなぜ家族で看られなかったかという後

は死ぬまで続きます。そのことは経験しないと人は分か

ないんです。

女性は心の負担になる人は少ないと言ったのは女性は残酷

だからです。このへんの心のありようは男性とは違いま

す。

先日99歳まで親を自宅で看たという夫婦に会ったが、夫

つまり私の同級生は30年間単身赴任で家庭は奥さんにま

せっきりだったという。

奥さんは私の1学年下の同じ高校の後輩だが、さすがだ

ね。

価値観がわれわれと同じだということを感じました。

たぶん私と昭和19年生まれで同じだと思います。そうい

うことを思ってようやく安心しました。

価値観の違う人にはなにを言っても通じないんですよ。

私は七つ上がりで1学年上ですが、本来は同級生のはずで

す。99歳まで親を看続けたことがやっと納得できまし

た。価値観の問題だったんです。

この世の中価値観の違う人ばっかになったというわけで

す。それは価値観ですからね、しょうがありません。

親がそうしていたから自分もそうしたいということです。

これはもう価値観の問題です。夫が喜ぶからそうしてあげ

たい。これは人に頼まれてできるものではありません。

これは人を評価する場合の重要な基準だと思います。

親を最後まで看た家族という基準、こういう家庭で育った

人は幸せということを知っているんです。間違いありませ

ん。親を最後まで看ることは幸せになる条件だったんで

す。

その夫婦の話を聞いて思わず「偉い」と言った。

手を合わせたいと思ったその気持ちは今でも変わらない。