忙しく生活する東京と湘南のスローライフ

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東京は便利な生活が出来るし、地方は空気が美味しいし。

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海に行く途中、散歩していると、道路に財布が落ちていました。

中には、5万5000円の現金と、マイナンバー、銀行カードと銀行暗証デジタル番号カード、保険証、運転免許証が入っていました。おそらく60歳過ぎの人のもの?

海行くの跡にして、遠回りして交番へ
交番には誰もいない、仕方ないので、電話で呼び、そこから拾得物の手続きに、40分、交番行った時間含めると、一時間以上、ロスしてしまいました。

翌々日、落とした人からお礼の手紙と5000円の入った現金書留が届きました。


この一年間で、三回、財布拾いましたね。そのうち、一回は、外交官カードも入っていました。三回とも、交番に届けましたが。


ちなみに、お礼は、5パーセントから20パーセントの範囲内で権利があるということです。
ジャニーさん、亡くなりました。
一つの時代の終わりと思います。それくらい、大きな存在でした。

39年前、私が17歳のころだったか? そのころのアイドル月刊誌は、平凡と明星とセブンティーンでした。明星等の雑誌をみて、私も歌手になりたいなーということで、ジャニーズ事務所社長に履歴書と写真をおくりました。

それから数週間後? ジャニーさんから家に電話があり、毎週日曜日、踊りの稽古しているから、遊びにおいでよ、待ってるよという電話でした。そのころの稽古場は、テレビ朝日になる直前のNETテレビで、六本木の朝日テレビで、門を通ったすぐ横のテレビ中継車の二回にある広い稽古場が、そこでした。

そこには、中学生から高校生までの総勢30人くらいのジュニアが踊りの練習をしていました。ジャニーさんも後ろから観ています。そして仲間入れさせてもらい、毎週踊りの稽古に、テレビ朝日内にある稽古場に通っていたわけです。それから数か月後、ジャニーさんから電話があり、YOU、ギターできる?出来るなら、野村義男と一緒にバンドくみ、デビューだぜという電話でした。

でも、残念ながらギターできなかったですね。ジャニーズのときには、忙しいマッチに代わり、日産マーチのテレビCMの中で、私がマッチの吹き替えして、テレビCM出ていました。アップ以外は、すべて私でした。
それから私の考え方変わり、グループデビューより、俳優になりたいとして、山口百恵の所属する堀プロダクションの全国オーディションの全国乙之子選手権の企画で、一万人の中から準優勝して、ホリプロに移ったわけです。なつかしい想い出です。
西郷隆盛の名言集から

 『命もいらず、名もいらず、官任も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり』




そういう人間に、私もなりたい。
今、家の前の自転車道からの海。海風に耐えてみ黄色い花、咲いています。雑草魂。これですね。何も失うものなし!前に進むのみ。

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野中幸市